ヤンディーズ

現在闘病中で「病んでいる」ボーカル&ギタリスト、「太郎」の独り言

冬木弘道の告白

2011年07月17日 | プロレス
ホントにおとなしい若手の一人でしたから。
プロレスの暴露本(高橋本)を読んでしまったが為だけど
この冬木が如何に上手いレスラーだったか、
良く解ります。全日本時代はひたすらブーイングを浴び、受けに回っていましたからね。
(今考えたら、高橋本は最悪の暴露本です。夢が全て潰れました)
国際プロレス崩壊後、全日本に加入、SWS、WAR、冬木軍、FMW・・・・

プロレスをガチと思っていた私は
プロレスを当時のWWFの小型版ショー劇場に変えてしまった
憎むべき存在になってしまってました・・。
しかし、本当にプロレス界の事を考えていた人だったと良く解る。
敵対していた大似田もそう。
メジャー天下と格にあぐらをかいていた当時の長州とは全然違った。

【プロレス】冬木弘道の告白


後輩なのに冬木が頼っていた、絆の深い三沢。
その師匠格のJ鶴田。冬木と名勝負を繰り広げ
最後、死期が近づいていたのを解っても橋本に挑戦表明を出した。
でも予定の5.5川崎球場までは持たなかった。
金村が冬木の遺骨を抱いて、電流爆破に突っ込んで、
橋本も突っ込んで。

その冬木、そして三沢、鶴田、橋本・・・・・・後、アンディーフグも。

皆、この世から居なくなってしまいました。
定命が有るとしても・・・こんなレスラー達が相次いで逝ってしまった。

大分良くはなったと思いますが
今のプロレス界に物足りなさを感じて・・・
こういうレスラー達の遺伝子を継いだ人間が少なくなってしまいました。

ので、私はインディーからノシし上がって来た
田中将人や邪道、外道、黒田、を応援するのですね・・・。

後、杉浦や潮崎もですね。

コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« コーネルデュプリーが表紙 | トップ | 道頓堀 たこ焼き「十八番」 »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
携帯が不調で (ミルクマン)
2011-07-17 12:03:08
文が完成しずらいので、簡潔に、エンタメFMWは駒不足だったと思います。その後のハッスルが物語るけど、高田モンスター軍が強力過ぎて、正規軍(HGがリーダー?)がフィナーレまで追いつけない!
雁ノ助や大矢を正規軍に配置転換したけど、それ以前に血みどろ抗争してましたからね、ちょっと筋書きがね。うーん、この話はまた続けて下さい
返信する
名悪役レスラー (ぶりぶりざえもん)
2011-07-17 14:04:08
時間帯や仕事の都合で、番組を見る機会は少なくなりましたが、
「冬木」のムチャクチャ振りは結構有名でしたね。
確か、人気あった覆面レスラー(誰か忘れた)の
覆面を試合中に剥ぎ取ったのが有名な話です。

今回の記事を読むと、
この人も「仕事」と「プライヴェート」は
ハッキリ分けるタイプの方だったようですね?

オリンピック選手が約30代で引退が当たり前なのに
仕事上、必要以上に体を酷使しても
40,50代でも「現役」で活動する所に
「短命」の要因があると思います。

自分も余り他人の事、言えませんがね(苦笑)

返信する
ミルクマンさん (太郎)
2011-07-17 15:25:07
携帯からの動画って細かい所って、見えにくいんですね。
(伝説の鈴木みのる対アポロ菅原のアポロのコーナーグリグリ)

と、やはり、血みどろ→純プロ→エンタメ…
椅子壊したら罰金になりましたしね。
やはり駒と駒の小ささもなりましたしね。
リアルエンタメは例えば、邪道対外道とかの仲間割れとか
見ていてキツい…何とも不快感が残ったり
あの大屋までエコ宣言とか…
当時のゴング読みながら違い…と思っました。
(田舎にそういえばこの頃のゴング運んでます。)
返信する
ぶりぶりざえもんさん (太郎)
2011-07-17 15:32:37
暑くて気持ち悪いですねぇ。
冬木はプロレスから離れれば、常識人でした。
何せ、体を大きくして激しく動きますからね、
馬場が61歳迄生きたのは驚異の長生きだったそうで。
やはり正直者は長生きしづらい…。
我々も当てはまりますが
やはり、猪木や大仁田のように策士は
しぶとく残ってますよね。
返信する

コメントを投稿

プロレス」カテゴリの最新記事