ヤンディーズ

現在闘病中で「病んでいる」ボーカル&ギタリスト、「太郎」の独り言

ラッシャー木村VSオックス・ベーカー 金網デスマッチ 国際プロレス

2020年06月26日 | プロレス
昭和45年のラッシャー木村vsオックスベーカーの試合を探したのですが
HITせず。この時は木村骨折の中、強行したのですよね。
最終的に木村勝利ですが、後味悪かったそうな。
この頃は流血必死でデスマッチが放送されなかった頃なのかな?

以前から書こうとする国際プロレスネタが溜まりに溜まり‥
upするのに臆してしまいました。
国際の華のある選手が居ない、泥くささを感じる
中には元祖インディーなんて言う評論家も居ますが
国際プロレスから始まったモノは多すぎで、しかも早すぎて
時代が追い付かなかった。
隅田川決戦で惨敗したグレート草津。日本の恥とも言われた。
草津欠場で代替カードが、プロレスファンなら是非見たい
元NWA世界チャンピオンのルーテーズvs NWA世界Jrヘビー級チャンピオンの
ダニーホッジだったというのですから。
この2人はプロレス界三大シューターと言われた2人ですし。

と、耳にするのが
国際のファンはブルーカラー、
新日本のファンはホワイトカラー。
そう聞くことがあります。

この動画の頃は外国人レスラー招聘ルートをカナダ方面へと
移した頃ですかね。

国際プロレス '78.09.25 ラッシャー木村VSオックス・ベーカー(金網デスマッチ・IWA世界戦)



それにしても、オックスベーカーというレスラー、
あの顔、眉毛に髭、ロングタイツ。
見事にヒールレスラーですね。
国際プロレス愛が強いタブレット純は
電柱に貼られた国際プロレスのポスターのオックスベーカーの写真が
雨に打たれて、更におぞましくなっていく様が国際の哀愁を感じると。
私、オックスベーカーの試合はリアルタイムで見たことあるかなぁ?
国際解散後、全日本プロレスに上がって居なければ見たことないです。
その前に参戦した馬場や猪木には惨敗で(wikiでは新日本とは金銭トラブルと)
国際のトップヒールが‥国際プロレスの存在を落としてしまう感じがします。

しかし、高橋本に書かれていた
シン、新宿伊勢丹、猪木襲撃事件を真似して
札幌で開催されるデスマッチを煽る為オックスベーカーか?
マッドドッグバジョンか忘れましたが、襲撃が、路地一本間違えて
アングル失敗に終わったという出来事を
酒の席で語る新日本時代の国際はぐれ狼軍の酒宴話はウケました。

木村は何度もオックスベーカーと金網やチェーンデスマッチで
対戦している程、国際エース外人だった訳ですねぇ。

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4 コメント

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Home In My Shoes さん (太郎)
2020-06-27 01:16:21
国際解散年からプロレスファンですが、関西もテレビ大阪が入る様になったのも
その頃の記憶で、兵庫県伊丹市でしたが見れても短期間だったのかなぁ?
こう何とも泥くささを感じる木村の必死の戦いといかにも大型ヒールレスラーの
オックスベーカーの試合図式はいやぁ、良いモノですね。
木村も草津もアメリカでデスマッチ経験有るからとやらされたそうですが
木村は光り、草津は失敗だったそうで。
写真の頃はAWAタイトルマッチやってたんですよねぇ。
ガニア、ニックボックウィンクル、今思えば凄いメンツです。
まさに反則判定無しのでデスマッチなので怖いもの見たさで興奮します。
そこまでのアングルをどう盛り上げるかも有りますが私初めて
TVでデスマッチ見たのデビル雅美vsモンスターリッパーのチェーンデスマッチで、
因縁もあまり感じずモンスターリッパーがショボかったのか?期待ハズレでした。
が、後々UFCが正にデスマッチに思えますよね。ガチチョークなんてプロレスでは
許されないですし。デスマッチ、凶器OKですもんね。
ワフーマクダニエルvs草津のインディアンストラップ&金網デスマッチとか
組み合わせも沢山でしたね。試合は残念だったそうなんですが。
私も後々YouTubeで国際見れたクチなので、今だからこそ面白い
国際プロレス、何だか人間の哀愁を感じます。
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凸樫さん (太郎)
2020-06-27 01:00:35
今でも最高のチャンピオンと言われるテーズが当時青二才の草津に
負けるのはプライド許さなかったそうで。決して危険なバックドロップでは無かった説ありますが。
出だしが失敗だと後々が大変ですし、東郷の様な5クセは有る人間は
力道山位の黒さが無いと上手くビジネス出来ない気もします。
ホッジとテーズは連戦だったそうで、しかし日本人vs外人図式だった
当時のプロレスファンには超一流の対決は興奮しなかったでしょうね。
TBSはプロレス中継に対して相当横暴で人情派の吉原社長も怒りで投げやり気味とも。
東郷とブラッシーの噛み付き視聴者ショック事件でデスマッチは放送しなかったそうですね。
暫く失敗作続いたそうですが当時観客動員数は中々だったそうで。
しかし、顔が猪木=小林、坂口=草津とルックス、華共に負け気味
国際女子部は人気有ったそうですな。
観客動員が減り、デスマッチ連発がギャラ無しに追い込まれて行ったのでしょう。
まさか解散の羅臼大会、小学校の校庭で鶴見の金網デスマッチだったとは。
以前書いたのですがジプシージョー、スミルノフ、キラーヴルックス達は
大型外人の引き立て役になってしまいましたね。
そこが元祖インディーと言われる所以、インディー的リングで輝くと思います。
FMW、大仁田引退前に後楽園観に行きました。他の試合はイマイチでしたが
メインのノーロープ有刺鉄線バリケード、賞金獲得タッグデスマッチ、
大仁田FMW軍vsWINGポーゴ軍
観客いっぱいで物凄く面白かったです。凄く興奮する緊張感でした。
FMWも初期は新日本で前座だった栗栖が大仁田の抗争相手でしたが
お互いデスマッチで光りまくってたと思います。インディーのリングならではの役者ぶりでした。
返信する
Unknown (Home In My Shoes)
2020-06-26 23:11:42
いや、これはええもん見させていただきました(*´ω`*)。

私、テレ東系列が未だに見られない広島で生まれ育ったため、国際プロレスって実は今回始めて見た次第です。プロレスファンなのに、ちょっと恥ずかしいですね。

 金網の鬼、ラッシャー木村はさすがのエースぶりですね。耐えに耐えてから相手の凶器を奪っての大反撃。いい流れです(*´ω`*)。

 相撲出身者らしい体型ながらも、なかなか引き締まったいいフォルムですし。

 それにしても「反則では決着しない」ってルールとは、初めて知りました。反則やり放題ってことですよね?すげぇなぁ。よくテレビでやってましたね。

 オックス・ベーカー、名前は聞いたことあるけど・・・程度の知識なのですが、まぁ素敵なルックス。これは客呼べるわ。デカイし。

 デスマッチだからって言えばそれまでかもですが、技らしい技が全然なかったのもびっくりしました。ヴァーリ・トゥード?と言えばそうなのかも。って、喧嘩って呼んだ方がいいんでしょうか。こんなルールの「デスマッチ」で世界戦ってのも無茶苦茶ですね(*´ω`*)。

でも、国際ってそこが良かったのかなって、見てて思いました。ラッシャー、実直そうな雰囲気は確かに華はないかもですが、凶器を奪ってからの怒涛の攻撃はたしかにエースのファイトでした(*´ω`*)。いや、大したもんです。

 いや、ええもん見させていただきました。ありがとうございました。
返信する
最末期の国際プロレスで…。 (凸椪)
2020-06-26 18:35:07
国際が消滅したのが1981年夏頃だったので、この映像は3年前の試合だったと思います。TBSでの放映された1968年の正月、旧国技館だった日大講堂での試合はテレビで視ていました。初期のエース(??)グレート草津が、当時すでに50才を過ぎていたルー・テーズの必殺 岩石落しに失神して試合放棄となった折には、国際に暗雲が垂れ込めている印象を受けましたが、ゴールデンタイムの7時放送だったこともり、放送日には“虎の子”の(TWWA)世界ベルトへの挑戦を、サンダー杉山・豊登と立て続けに退け日本側には持ち駒のいなくなって、第4番手として王座に挑んだダニー・ホッジがベルトを奪取。ただその後、外人側ブッカーのグレート東郷との金銭トリブルで早くもピンチを向かえた国プロがエースとして育て上げたストロング小林でも、人気と集客に苦戦を強いられた結果、インパクトのある金網デスマッチを取り入れたものと思います。
初戦のラッシャー木村vs.ドクター・デスとの試合はTBSでも放送されたのを視た覚えがありますが、当時の放送コードの関係もあったのか、テレビ東京で放映されるまでは金網戦は流されることがなかったと思います。テレ東に移ってからは、すでに日本プロレスが消滅して新日と全日との3団体時代でしたが、後発2団体にも後れを取るような有様から、人気と客寄せのためエース・木村以外にも金網戦が1シリーズごとに行われるなど乱発することになったのかと思います。
私も(対戦相手は忘れましたが…)愛知県体育館で観ましたが、すでにテレ東では“放送解禁”になって流されることもあったので、あまり迫力は感じませんでした。他の観客も同様だったと思いますが、同会場では新日の試合はいつもフルハウス、国際は半分以下で、その後に引き取られた新日での木村・浜口・寺西(及びS小林と剛竜馬)のハグレ国際軍団の立場は納得させられた思いでした。
その3選手以外はM井上・阿修羅原などは全日に移籍したのでしたが、R木村と金網で抗争を繰り広げた国際のエース級外人レスラーも全日に登場するケースが多かったものの、そのO・ベイカーやA・スミルノフ、ジプシー・ジョーなど三番手以下の前座・中堅クラス扱いで、長州らジャパンプロレス一行が参戦した頃には、すでに消えていたように思われました。
まぁデスマッチ路線自体はアイデア的には悪くないものの、対戦相手が大したレスラーでない上に、乱発し過ぎたことがアダとなったのかと思えます。同じようにのちのFMWの頃には“エース”で涙のカリスマと称された大仁田も三流レスラーを相手により過激なデスマッチを乱発しながら、かなりウケていたのには、私は何とも理解が出来ませんでしたが…!?
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