ヤンディーズ

現在闘病中で「病んでいる」ボーカル&ギタリスト、「太郎」の独り言

涙のカリスマ

2007年07月11日 | プロレス
写真は今季限りで政界から身を引く大仁田厚です。
郵政選挙で棄権したのにその後、たいぞー君に激送ったり
ほりえもんや片山さつきの応援演説してる姿を見た時は幻滅しました。
まあ、参議院議員でタレント議員という扱いで政治家になりきれなかった
大仁田が政界から身を引くのは正解だと思います。
同じプロレスラー出身の馳浩は衆議院で、ガチガチに政治家してるし。
安部さんも小泉の尻拭いで小泉とは反対で情が深い為、支持率低下も
何とも言えません。と、いって与党支持ではありませぬ。
選挙も行く気も無くす様な政界です。
因みに私は小泉〇一郎は死ぬ程嫌いです。(奴も同病のクセに)
(大体、私のような病気にかかっている人は大体は嫌いだと思いますが)
評価したのは靖国神社参拝だけ。

と、「涙のカリスマ」からは大きく外れましたが、
この大仁田の試合を初めて観たのは、昭和57年、ノースキャロライナ州
シャーロッテでのNWAインターナショナルjrヘビー級世界タイトルマッチ、
当時、チャンピオンだったチャボゲレロに挑戦した試合でした。
藤波や木村健吾も巻いたベルトです。
この大仁田の試合は王者、チャボゲレロがあまりに強くてビックリしました。
すばらしいレスラーでしたな。そのチャボに果敢に向かって行き
流血しながら逆転の回転エビ固めで勝って大泣きしてた時、
子供心にも感動したモノでした。ダスティーローデスやテリーファンクに
激励されてね。メキシコ遠征中にサングレチカナにベルトは預けましたが
勿論、奪還して凱旋帰国。その第一戦は故ジェイヤングブラットとの防衛戦、
今の姿では想像も出来ない、きっちりした「芸術技」原爆固めで勝利。
初代タイガーマスケに挑戦状だしたり・・・血気盛んで。
ビクターリベラを吹っ飛ばしたミサイルキックの切れ味もかなり良かったです。
そして、チャボとの抗争、最終戦、勝利した後、チャボにトロフィーで
体ズタズタに切り裂かれ(勿論、打ち合わせ済みでしょう)
大流血で「いてぇーイテェー!!」とリングにのた打ち回る姿は
子供心に恐怖を植えつけました。と、同時に後の大仁田を想像出来るモノと
なりました。
チャボゲレロの弟、今年亡くなったエディーゲレロの兄、
ヘクターゲレロ戦の勝利後、リングに降りた時の衝撃で膝のお皿が4つに割れて、
第一次レスラー生活を終えます。

そして、タレント、スナック、風俗店など経営、失敗、
人生のどん底を見た大仁田の今のしぶとさはこの時植えつけられたのだろうか?
ジャパン女子プロレスのコーチ等経て

今となっては立ち上げ金はころころ変わり(表面上5万円)となってますが
色んなアイデアを大仁田、ターザン後藤、そして後に社長となり
崩壊後、葛飾区水元公園で自殺した元リングアナウンサーの荒井氏達と
FMWを立ち上げ、ここで、奇跡の成功を収め、メジャー団体に肉薄する
団体へとのし上がります。
そして「涙のカリスマ」と呼ばれるようになります。
今では当たり前の様に「カリスマ〇〇」とかいう時代ですが、
大仁田は猪木並の真のカリスマ性を持ちました。
大仁田のプロレスへの意地は凄かったです。
気迫もハンパじゃない。ボクシング元世界ヘビー級チャンピオン
レオンスピンクスにボコボコに殴られても立ち上がりまくる。
猪木より遥かにスピンクスを生かしました。

天龍に負け1年後の引退発表。
引退の1ヶ月前、仕事後、後楽園ホールに足を運び、
「ノーロープ有刺鉄線、有刺鉄線バリケード、1千万円賞金争奪8人タッグデスマッチ」を
観戦しました。大仁田の存在力は凄かったです。
今となってはよく考えられたストーリーだと思います。

まあ、大仁田のおかげで、散々迷惑をかけられた人もかなり多いハズです。
本当にハカリ知れないでしょうね、被害にあった人、団体。
でもこの人は人情派系ですね。
冷酷な猪木、でもこの二人が持っている「毒」は同じだと思います。
猪木は今でも大仁田を嫌ってますが、あれだけマスコミを使って
大仁田批判、大仁田嫌いをした長州力が大仁田のしぶとさに負けて
大仁田を認め、近年では対談する位までになったりで。

ただ、FMWで引退してハヤブサ達にバトンを渡したのに、復帰したい血が騒ぎ
何度復活したんだろう??
この辺は精神的影響の大きい、テリーファンクのスピリットが
混ざっているんでしょうな。
自己主張の塊です、この人。まあ、そのパワーがあったから
FMWの奇跡的な成功があったんでしょうし。
まあ、初めてFMWをチラっと見た時、本当に有刺鉄線に落ちるとは
思いませんでした。対戦相手の栗栖も男気を見せて、落ちました。

まあ、FMWに居場所がなくなった大仁田は矛先をメジャー新日本プロレスに向け、
これが大ヒットとなっていまうのでした。

その後、定時制高校、明海大学、明治学院大学への転校、そして
まさかの「小泉チルドレン」としての政界入り。

ただでは起きないというのはこういう人の事を言うんでしょうね。
また、プロレス界に戻るそうですが、
こういう人のしぶといエネルギーというか「血」を分けて欲しいです。

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2 コメント

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大仁田が (博光)
2007-07-11 18:07:19
ゲレロ破り王座に就いた時の第一声が「社長!社長!」でしたょね



そんな大仁田みてるから、最後のマィティとの選手権マィティの膝攻撃に悲鳴をあげる大仁田を見て



自分も不覚。泣きました!



悪い印象は微塵もなかったんですけどね。



今は関わった人はみんな。

ハヤブサも浅子サンも(足切断したうえ亡くなるなんて)それに早過ぎだし









最近非道君見ませんね?
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博光さん (太郎)
2007-07-11 23:09:17
社長!社長!だったんですか?
それは知らなかったです。

マイティの時もリングで泣く大仁田の姿は
何とも言えませんでした。
そして、マイティー井上が勝利者カップを
負けた大仁田に渡し拒否される所はマヌケでした。

浅子氏の店は当時通勤途中だったんで
寄ろうかと思ってたのに機会を失いました。
引退後、観戦に来ていた故浅子氏にダミアンが
「デブ!」と指差して叫んで館内はウケてました。

非道の試合を最後に見たのは大谷戦で嫁の前で
ギブアップ負けをする試合でした。
非道のスピリットは素晴らしいんですが、
大谷のあまりの天才ぶりに、非道の技の切れの悪さが
とても目立つ試合でした。

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