Vajrasattva mantra 2
ゾクチェンの密教は、老いて生活が困難になると即身成仏法を行います。
独居する小屋、テント、岩穴を準備します。
断食を始めます。水のみを摂ります。
ツァ、ルン (ナーディー、クンダリーニ)の行をして、気道とチャクラを浄化します。
ティグレ(光)、ビジョンを観察しながら、カルマを浄化、解放していきます。
止観(サマターヴィパッサナー)瞑想でサマーデイー(三昧)の実践をします。
補助として真言瞑想やポワを加えてもいいでしょう。
カルマの浄化とサマーディーの実践によつて、解脱、光明、高い転生を得ます。
肉体が消えて虹色の光に変容する達成があります。
修行者にとって孤独死は最高の機会です。
Aum VajraSat Hum
独居する小屋、テント、岩穴を準備します。
断食を始めます。水のみを摂ります。
ツァ、ルン (ナーディー、クンダリーニ)の行をして、気道とチャクラを浄化します。
ティグレ(光)、ビジョンを観察しながら、カルマを浄化、解放していきます。
止観(サマターヴィパッサナー)瞑想でサマーデイー(三昧)の実践をします。
補助として真言瞑想やポワを加えてもいいでしょう。
カルマの浄化とサマーディーの実践によつて、解脱、光明、高い転生を得ます。
肉体が消えて虹色の光に変容する達成があります。
修行者にとって孤独死は最高の機会です。
Aum VajraSat Hum
チベットへの弾圧強化
中国共産党の悪政、度重なる条約違反にチベット人の怒りは頂点に達していた。1958年以降、東チベットではカンパ族を中心に反乱が続発、これに対し中共軍は見せしめのため、何千という寺院や町を砲撃や爆撃で破壊、寺院の仏像や経典を容赦なく略奪した。東チベットのいたるところで中共軍による虐殺が行われた。以下に『中国はいかにチベットを侵略したか』から引用しよう。
「妻、娘、尼僧たちは繰り返し強姦されまくった。特に尊敬されている僧たちは狙いうちにされ、尼僧と性交を強いられたりもした。ある僧院は馬小屋にされ、僧たちはそこに連行されてきた売春婦との性交を強いられた。拒否した僧のあるものは腕を叩き切られ、「仏陀に腕を返してもらえ」ちゅと嘲笑された。大勢のチベット人は、手足を切断され、首を切り落とされ、焼かれ、熱湯を浴びせられ、馬や車で引きずり殺されていった。アムドでは高僧たちが散々殴打されて穴に放り込まれ、村人はそのうえに小便をかけるように命じられた。さらに高僧たちは「霊力で穴から飛び上がって見せろ」と中共兵に嘲られ、挙句に全員射殺された。おびえる子供たちの目の前で両親は頭をぶち抜かれ、大勢の少年少女が家から追われて中共の学校や孤児院に強制収容されていった。
貴重な仏像は冒涜され、その場で叩き壊されたり、中国本土へ持ち去られていったりした。経典類はトイレットペーパーにされた。僧院は馬や豚小屋にされるか、リタン僧院のように跡形もなく破壊されてしまった。リタン省長は村人の見守る中で拷問され、射殺された。何千人もの村民は強制労働に駆り出されそのまま行方不明になっていった。僧院長たちは自分の糞便をむりやり食わされ、「仏陀はどうしたんだ?」と中共兵に嘲られた」
ラサ動乱とダライラマ法王の亡命
1959年2月、中共はダライラマ法王を、3月10日に開催される観劇に招待した。その際、警備をつけないようにという注文をつけた。法王が拉致されるのではないかという不安が瞬く間にラサ市民の間に広がった。1959年3月10日、3万人のラサ市民が市の中心部にあるノルブリンガ宮殿に集結、人々は口々に「チベットに独立を、中国人は帰れ」とシュプレヒコールを叫んだ。法王は観劇への出席を取りやめることにしたが、大群衆はノルブリンガを去らなかった。これに対し中国共産党は軍を増強し、事態は一層緊迫の度を増した。3月16日、ダライラマ法王はついに決意して、一般庶民に変装してノルブリンガを脱出し、インドへ亡命した。
3月19日、ついに悲劇は起きた。中共軍はノルブリンガ宮殿に一斉に砲撃を開始。集中砲火は41時間継続し、宮殿は蜂の巣のように破壊され、何万人という民衆が虐殺されたのであった。3月28日にはチベット政府が完全に解散させられ、チベット自治区準備委員会に統治されることとなったのである。(チベット自治区は1965年に発足した)
その後も中国共産党による残虐行為は絶え間なく続いた。1959年4月には「民主改革」運動が行われ、ありとあらゆるチベット人が摘発の対象となった。多くのチベット人が出頭を命ぜられ、投獄、殺害された。比較的軽いものでも数ヶ月間の洗脳教育を受けさせられた。以下はダライラマ法王が難民からの報告をもとにまとめたものである。
「彼らは銃殺されたばかりでなく、死ぬまで鞭打たれたり、はりつけにされたり、生きながら焼かれた。溺死させられたり、生きたまま解剖されたり、餓死されたものもあった。絞め殺されたり、首をつって殺されたり、熱湯によるやけどで殺された。また、あるものは生き埋めにされたり、はらわたを取り除かれたり、首をきられたりして殺された。こうした殺人行為はいずれも公衆の面前でなされた。村人たちはそれを見物するように強制された。自分の家族のものが強制されて見ているその目の前で、ゆっくりと殺されていったのである。さらに小さな子供たちは、その両親を射殺するように強制された」
1978年から始まった改革開放政策によって、中国共産党のチベットによる残虐行為は大幅に緩和された。しかし28年間にわたる中国共産党の支配は、2000年かけてチベット人が築き上げたものを根本から徹底的に破壊しつくしてしまった。6000箇所以上あった寺院はことごとく破壊され、完全な破壊を免れたのは8箇所であった(それとて全く被害がなかったわけではない)。虐殺、戦闘、飢餓によって120万人のチベット人が命を失った。チベットの人口の5分の1に相当する。
中国共産党の悪政、度重なる条約違反にチベット人の怒りは頂点に達していた。1958年以降、東チベットではカンパ族を中心に反乱が続発、これに対し中共軍は見せしめのため、何千という寺院や町を砲撃や爆撃で破壊、寺院の仏像や経典を容赦なく略奪した。東チベットのいたるところで中共軍による虐殺が行われた。以下に『中国はいかにチベットを侵略したか』から引用しよう。
「妻、娘、尼僧たちは繰り返し強姦されまくった。特に尊敬されている僧たちは狙いうちにされ、尼僧と性交を強いられたりもした。ある僧院は馬小屋にされ、僧たちはそこに連行されてきた売春婦との性交を強いられた。拒否した僧のあるものは腕を叩き切られ、「仏陀に腕を返してもらえ」ちゅと嘲笑された。大勢のチベット人は、手足を切断され、首を切り落とされ、焼かれ、熱湯を浴びせられ、馬や車で引きずり殺されていった。アムドでは高僧たちが散々殴打されて穴に放り込まれ、村人はそのうえに小便をかけるように命じられた。さらに高僧たちは「霊力で穴から飛び上がって見せろ」と中共兵に嘲られ、挙句に全員射殺された。おびえる子供たちの目の前で両親は頭をぶち抜かれ、大勢の少年少女が家から追われて中共の学校や孤児院に強制収容されていった。
貴重な仏像は冒涜され、その場で叩き壊されたり、中国本土へ持ち去られていったりした。経典類はトイレットペーパーにされた。僧院は馬や豚小屋にされるか、リタン僧院のように跡形もなく破壊されてしまった。リタン省長は村人の見守る中で拷問され、射殺された。何千人もの村民は強制労働に駆り出されそのまま行方不明になっていった。僧院長たちは自分の糞便をむりやり食わされ、「仏陀はどうしたんだ?」と中共兵に嘲られた」
ラサ動乱とダライラマ法王の亡命
1959年2月、中共はダライラマ法王を、3月10日に開催される観劇に招待した。その際、警備をつけないようにという注文をつけた。法王が拉致されるのではないかという不安が瞬く間にラサ市民の間に広がった。1959年3月10日、3万人のラサ市民が市の中心部にあるノルブリンガ宮殿に集結、人々は口々に「チベットに独立を、中国人は帰れ」とシュプレヒコールを叫んだ。法王は観劇への出席を取りやめることにしたが、大群衆はノルブリンガを去らなかった。これに対し中国共産党は軍を増強し、事態は一層緊迫の度を増した。3月16日、ダライラマ法王はついに決意して、一般庶民に変装してノルブリンガを脱出し、インドへ亡命した。
3月19日、ついに悲劇は起きた。中共軍はノルブリンガ宮殿に一斉に砲撃を開始。集中砲火は41時間継続し、宮殿は蜂の巣のように破壊され、何万人という民衆が虐殺されたのであった。3月28日にはチベット政府が完全に解散させられ、チベット自治区準備委員会に統治されることとなったのである。(チベット自治区は1965年に発足した)
その後も中国共産党による残虐行為は絶え間なく続いた。1959年4月には「民主改革」運動が行われ、ありとあらゆるチベット人が摘発の対象となった。多くのチベット人が出頭を命ぜられ、投獄、殺害された。比較的軽いものでも数ヶ月間の洗脳教育を受けさせられた。以下はダライラマ法王が難民からの報告をもとにまとめたものである。
「彼らは銃殺されたばかりでなく、死ぬまで鞭打たれたり、はりつけにされたり、生きながら焼かれた。溺死させられたり、生きたまま解剖されたり、餓死されたものもあった。絞め殺されたり、首をつって殺されたり、熱湯によるやけどで殺された。また、あるものは生き埋めにされたり、はらわたを取り除かれたり、首をきられたりして殺された。こうした殺人行為はいずれも公衆の面前でなされた。村人たちはそれを見物するように強制された。自分の家族のものが強制されて見ているその目の前で、ゆっくりと殺されていったのである。さらに小さな子供たちは、その両親を射殺するように強制された」
1978年から始まった改革開放政策によって、中国共産党のチベットによる残虐行為は大幅に緩和された。しかし28年間にわたる中国共産党の支配は、2000年かけてチベット人が築き上げたものを根本から徹底的に破壊しつくしてしまった。6000箇所以上あった寺院はことごとく破壊され、完全な破壊を免れたのは8箇所であった(それとて全く被害がなかったわけではない)。虐殺、戦闘、飢餓によって120万人のチベット人が命を失った。チベットの人口の5分の1に相当する。
タントラ仏教にある宇宙の根源仏(アーディ・ブッダ)
Vajrasattva mantra
OM VAJRA-SATTVA SAMAYA MANU-PALAYA,
VAJRA-SATTVA TVENO-PATISHTA,
DRIDHO ME BHAVA,
SUTOSHYO ME BHAVA,
SUPOSHYO ME BHAVA,
ANURAKTO ME BHAVA,
SARVA SIDDHIM ME PRAYACCHA,
SARVA KARMA SUCHA ME,
CHITTAM SHRIYAM KURU HUM,
HA HA HA HA HOH BHAGAVAN,
SARVA TATHAGATA VAJRA,
MA ME MUNCHA,
VAJRI BHAVA,
MAHA-SAMAYA-SATTVA,
AH HUM PHAT.
Vajrasattva mantra
OM VAJRA-SATTVA SAMAYA MANU-PALAYA,
VAJRA-SATTVA TVENO-PATISHTA,
DRIDHO ME BHAVA,
SUTOSHYO ME BHAVA,
SUPOSHYO ME BHAVA,
ANURAKTO ME BHAVA,
SARVA SIDDHIM ME PRAYACCHA,
SARVA KARMA SUCHA ME,
CHITTAM SHRIYAM KURU HUM,
HA HA HA HA HOH BHAGAVAN,
SARVA TATHAGATA VAJRA,
MA ME MUNCHA,
VAJRI BHAVA,
MAHA-SAMAYA-SATTVA,
AH HUM PHAT.
サンスクリット名は、ヴァジュラクマーラ。シヴァ神の息子クマーラが仏教の護法尊となった。
Om Vajra Kili Kilaya Sarva Bighanen Ban Hum Phat
Om Vajra Kili Kilaya Sarva Bighanen Ban Hum Phat
Om Vajra Kili Kilaya Sarva Bighanen Ban Hum Phat
Om Shamvara Shamvara Ah Hum
Om Shamvara Shamvara Ah Hum
Om Shamvara Shamvara Ah Hum
Om Vajra Kili Kilaya Sarva Bighanen Ban Hum Phat
Om Vajra Kili Kilaya Sarva Bighanen Ban Hum Phat
Om Vajra Kili Kilaya Sarva Bighanen Ban Hum Phat
Om Vajra Kili Kilaya Sarva Bighanen Ban Hum Phat
Om Vajra Kili Kilaya Sarva Bighanen Ban Hum Phat
Om Vajra Kili Kilaya Sarva Bighanen Ban Hum Phat
Om Shamvara Shamvara Ah Hum
Om Shamvara Shamvara Ah Hum
Om Shamvara Shamvara Ah Hum
Om Vajra Kili Kilaya Sarva Bighanen Ban Hum Phat
Om Vajra Kili Kilaya Sarva Bighanen Ban Hum Phat
Om Vajra Kili Kilaya Sarva Bighanen Ban Hum Phat
ティローパは、ナローパの帰依を認めて
マハームドラー(偉大な悟り)の秘儀を伝えた
マハームドラーは言葉と観念を超えている
しかし ナローパ
真剣に修行し、師に忠実なあなたに
この秘密の教えを伝えよう
マハームドラーは空のように
何かに頼ることがない
くつろいで自然でありなさい
それであなたは束縛から解放される
空をじっと見つめると
思考的ヴィジョンは静まる
同じく、心が心それ自体を見つめると
雑念、観念的思考は止み
至高なる意識に達する
朝霧がゆっくりと空間に消えていくように
どこにいくわけでもなく無くなるように
あなたが心の本性を観たとき
想念の波、すべての心の創造が消える
純粋な空間は色も形もない
それは白や黒で色を付けられない
同じく心の精髄も色と形を超えている
それは白や黒の行為で汚されることがない
千年にわたる暗闇も
太陽の輝きを覆うこはできない
同じく千年にわたる輪廻転生も
心の精髄の透明な輝きを覆うことはできない
空は「実体がないもの」といわれるが
実際は表現しがたい
心の本性は「光明」といわれるが
それは言葉を超えている
心の本性は空のようだ
それは遍在し、すべてのものを受け容れる
静かにくつろいで
まわりの声は受け流し
心を静かにたもち
現象の起滅をながめる
体はアシの茎のように実体がなく
心の本性は大空のように思考を超越している
放棄したり心を制御しようとせず
心の本性の中でくつろぐこと
対象のない心がマハームドラー
この修行によって至高な覚醒を得る
マハームドラーの光明は
真言行、大乗行、戒定慧行の
経典や形而上学的理論では表現できない
光明は観念、想念によって覆われる
教義に固執することによって
真の信仰が損なわれる
心の活動が止むことによって
すべての固定観念が消える
知的概念、教条主義からの解放によって
すべての学派と経典の真理が明かされる
マハームドラーへの専心によって
輪廻転生の束縛から解放される
マハームドラーにとどまることによって
罪の意識と否定性を焼き尽くす
そしてマハームドラーの師として
あなたは教えの体現者となる
無知におおわれている者は
輪廻転生の中でもがき苦しんでいる
常に不安に苛まれている
これらの者たちに慈悲心を持ちなさい
絶えることのない苦悩から解放されたいと願い
導師の教えを固持し
彼の祝福があなたのハートに触れたとき
心は苦悩から解放される
輪廻の中に幸福を求めるのはむだなこと
それは全ての苦悩のもとだ
世俗的かかわりは無意味だから
リアリティーの精髄を探しなさい
二元性の心を超越して観ることは最高の見解だ
静かに沈黙していることは最高の瞑想だ
自発的であることは最高の活動だ
そしてすべての欲望と恐怖が消えたとき
最高の目的地に達する
すべてのイメージを超えることによって
心は自然に清浄になる
ブッダの道に従うためには
世俗の道に従わないことだ
最高の悟りを得るためには
技巧を使わないことだ
世俗の悲しい境遇を洞察すると
それは夢のような幻で
終りがないことが理解される
意味のない幻は欲求不満をもたらす
それを顧みて、世俗的な追求を棄てなさい
故郷と友人とのかかわりを断ちなさい
森や山で独居しなさい
そこで無為の状態にとどまりなさい
そして無達成を達成することで
マハームドラーを達成する
木の根幹を切れば
葉は枯れていく
心の根幹を切れば
輪廻は止る
どんなランプの光も
永劫の暗闇を瞬時に追い払うように
明知(リクパ)の強烈な光は
無知のベールを瞬時に焼き尽くす
心に執着する者は
心を超えた真理を観ない
ダルマの修行に奮闘する者は
修行を超えた真理を発見しない
心と修行を超えた真理を知るために
人は心の根幹を切り
全てをありのままに見つめなさい
人は全ての分別から離れて
静寂の平和に留まりなさい
無理に与えず取らず
自然に留まるべし
マハームドラーは全ての受容と拒絶を超えている
原初の覚醒は生まれたものではないから
誰もそれを妨げたり、汚したりできない
「生まれてない」領域に留まることによって
全ての現象は法界に解消するだろう
全ての欲望とプライドは無に帰すだろう
最高の悟りは
全てのあれこれを超えている
最高の行為は執着がなく
大いなる創造性を受け入れる
最高の達成は
仏性の内在性を悟ることだ
最初、ヨーギの心は
滝のように転落するように感じる
中間地点、心はガンジス川のように
ゆっくり穏やかに流れる
最終地点では、心が広大な海のようになる
それは、母(仏性)と子(エゴ)の光が一つに合一するところだ
* マハームドラーの系譜
ティローパ~ナローパ~マルパ~ミラレパ~ガンポパ~カルマパ