とりたてて何もない日々のらくがきノート

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和紙で作られた風船爆弾

2024-11-10 19:49:46 | 日記

(石蕗の花 11月3日 城山公園)

風船爆弾とは、戦争末期に高等女学校の女学生達が和紙を
貼り合わせて作った兵器で、水素ガスで膨らませた
直径10mほどの気球に爆弾を吊して、偏西風に乗せて
飛ばし、約8000km先の米本土を攻撃する、というもの。

この話は本になっていて、実際にこの作業を経験した作家の
髙橋光子さんが中心になり、同級生48人の手記をまとめて
2007年に「風船爆弾を作った日々」(鳥影社)として出版
されている。

攻撃の実施は1944年から翌年にかけて千葉・茨城・福島から
約9300個が放たれ、その内361個が米国で目撃されて、山火事
や死者を出したそうである。

和紙の産地だった川之江町でも風船爆弾作りが命じられ、
町内の紙工場や学校内で、原料の楮(コウゾ)の皮はぎから
始まって、和紙の加工・こんにゃくのりでの貼り合わせ・風船
を膨らませる作業などが女学生達によって行われたらしい。

長時間の労働を強いられた作業場の環境は、気温や湿度など
劣悪なものだったそうで、指に血がにじんて手は荒れ、指紋も
消えてしまうほどだったとか。

私の母親は当時、13歳ぐらいで女学生達より年下だったが、
学年全員が楮の皮はぎの作業を、毎日毎日やらされて、授業
など皆無だったそうである。そして誰か一人さぼり気味の
生徒が見つけられると、全員一列に並ばされて頬にビンタを
くらったらしい。そんなだったから勉強は何にもしてないんよ、
そういう時代だったから、と母親が言うのを半ば呆気に取られ
て、若いとき聞いたものである。

2019年10月に埼玉県の中学校で、髙橋光子さんはこの話の
講演を行い、それを聞いた3年生の女子生徒は「学校で人を
傷つける兵器をつくっていたなんて・・・」と、学びの場が
兵器工場だったことに、とても衝撃を受けたそうである。

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