とりたてて何もない日々のらくがきノート

からだに関することや昭和の懐古、たまに俳句など

給仕係の時給・冬の俳句

2024-11-30 20:14:51 | 日記

(↑城山公園から観音寺市の伊吹島)

お米が高い。(他の食品も値上がりばかりだが)
今年はお米が異常に不作だったんだろうか? 
そういう話は全く聞いてないが・・・

何ヶ月か前に令和の米騒動とか言うのがあったが、
どうも将来的にお米の値段をつり上げるための
演出というかインボーだったんじゃないかと
思えてきた、のは私だけだろうか?

もう主食がうどん、そば、食パン、パスタ、
イモ、棒ラーメンの無限ループに陥って
しまいそうな雰囲気がしてきたが、とにかく
何とかしてもらいたいものである。

ところで今、103万円の壁とか塀とか時給を上げる
話が世間に出ているが、今までが安すぎたんだから、
一挙に最低2000円にでも2500円にでもして法律で
定めてしまえばいいのである。

因みに、学生の時に中華レストランで給仕係のバイト
をしたがその時給はナント、(それは労働基準法違反
では!?という声が聞こえて来そうだが)
450円・・だった・・ 
16時から21時まで5時間、ひと月に20日働いても
給料は45000円・・・(今の中学生ぐらいがもらう
お年玉より安い? 笑)



という事で、今日は私の好きな冬の俳句をば。


突堤のあをぞら冬に入りにけり 中岡毅雄

月と日の出てゐる野良の十二月 三枝青雲

冬うらら海賊船は壜の中 中村苑子

火のいろのステンドグラス暮早し 田元延代

深鍋のパスタの踊る霜夜かな 栗山政子


根深汁老いてうなづくことばかり 大石白夢

湯豆腐や木と紙の家に住みてこそ 瀧春一

雑炊のほのぼのしさをすすりこむ 松澤昭

どこまでが本当の話おでん煮る 佐々木輝美

焼芋の笛が星座を低くせり 半沢房枝

安政2年の悲恋物語

2024-11-26 21:13:23 | 日記


あまりバカな事ばかり書いていると、怒られそうだが
今日は地元にちょっとだけ縁のある、よさこい節で歌わ
れて誰でもご存知の幕末の土佐で起きた出来事について。

川之江町の八幡神社は国道11号線に沿っていて、この道を
神社から香川県方向へ7、8分も歩いたところに純信堂がある。
ここは今まで前を通り過ぎるばかりだったので、数日前に
行ってみたのである。

お堂自体は小さいもので、周辺も草が蔓延っていてあまり
整備が行き届いているとは言えない感じがして、あの
はりまや橋がガッカリ名所と言われているそうだが、私も
少なからずガッカリしてしまった(笑)


純信堂は、高知の名刹五台山竹林寺住職の純信さんが、
お馬さんとの駆け落ちに失敗して土佐藩から国外追放になり、
川之江で地元の顔役の川村亀吉の支援を受けて、寺子屋を
営んでいた跡地に建つお堂である。

この記事を書くに当たってネットをあちこち見て、自分
自身思い違いをずっとしていた事に気付いたことがあって、
それは、はりまや橋の小間物屋でかんざしを買ったのは、
純信さんではなかったということ。

母親の手伝いの雑用で寺に出入りしていたお馬さんに最初
懸想(古!)したのは純信さんの弟子でまだ修行僧だった
慶全で、一時恋仲になったがお馬さんは次第に住職の純信さん
に想いを寄せるようになったそうで、そうすると慶全はお馬
さんに振り向いてもらおうと、今でいう繁華街だったはりまや
橋の小間物屋で衆目も顧みずかんざしを買ってしまったので
ある。

当時、僧侶は妻帯禁止であり、慶全の噂は町中に広まって
それが純信さんの耳にも入り、慶全は寺を追放になる。
それで恨みを持った慶全は、かんざしを買ったのは純信さん
だとふれて回ったそうで、これが藩の耳にも入って純信さん
は謹慎、お馬さんは寺の出入りを禁止になったそうである。

そうして二人はとうとう安政2年(1855年)の5月の深夜
駆け落ちして、一旦阿波(徳島県)に入ったあと琴平の
旅籠にいたところを、関所破りの罪で追手に捕まってしまう。

そして後々まで未練があったのは純信さんの方だったらしく
画家の河田小龍が土佐への帰国途中に川之江に会いに来て
くれた時に、お馬さんへの手紙を託した事もあったらしい。

土佐で純信さんと同時代を生きた人々の一人である武市
半平太(純信さんより10歳年下)は、この安政2年から
6年後の文久元年に土佐勤王党を結成している。
また安政の大獄が始まるのは安政5年からだから、うまく
言うのは難しいけれど、この駆け落ち騒動はこれから世の中
が本格的に動乱の渦に巻き込まれていく直前の、一種の前触れ
というかサインのようなものだったのかもしれない。

(*昨日26日に記事をアップした時に、純信さんと武市
 半平太が同い年と書いてしまいましたが、間違いでした。
 文章を訂正して、お詫び致します。11月27日)


映画館あれこれ

2024-11-22 21:48:00 | 日記

(新居浜市 駅近くの歩道橋から)

昔は映画館もあちこちあったが、現在は住んでいる
ところから一番近いのは、新居浜市のイオンの中にある
TOHOシネマズ新居浜になる。映画はDVDか配信サイトで
観てしまうので、TOHOシネマズで映画を観るのはいつに
なることやら・・・

子供の頃はJR(当時は国鉄)の駅の近くに住んでいた
せいもあるが、歩いて10分以内に2館あった。
幼い時に一番最初に観た映画は、軍艦のシーンがあった
と記憶するので戦争映画か何かだろうと思う。たしか
父親と一緒で映像はモノクロだったような気がするが
内容は何も覚えていない。
ただ、私が時々父親に話しかけると、言下ににべもなく、
いいから黙って観てろ、と何度も言われたのだけは
覚えている。

その軍艦映画から数年して小学4年ぐらいの時に、珍しく
母親が、映画を観に行って来なさい、帰ったらスイカが
あるよ、とか言うのでいそいそ行ったが、あまり面白く
なかったので(たしか黛ジュン主演の映画 すっき~なの
に~~あのひと~はいない~♪の歌手の人)、途中で出て
家に帰って来たら、えらく怒られてしまったことがある。
たぶん何かやる事があったか、一人でゆっくり休みた
かったのではないか。

それから、関東方面に出たばかりの頃、世田谷の千歳
烏山に母方の叔母がいて、小学6年の従兄弟がどうしても
「E.T.」が観たいと言うのですまないが連れて行ってくれ
まいか、と頼まれたのでその時は渋谷の映画館に行った。
その頃は「E.T.」が一大ブームで、あの特徴的な形態の
宇宙人が今でもすぐ目に浮かぶが、頼まれなかったら
映画館まで行って観なかったような気もする(笑)

ここでなぜか、話は学生の時に戻る。
学生の時は福岡にいて、博多駅の中に小さめの映画館が
あったのでよく行っていた。天神のそれより料金が少し
安かったんだと思う。
そしてある日、洋画の恋愛ものの時だったか上映時間を
ちょっと過ぎてしまって、幾分慌てて館内に入り、他の
座席はほぼ埋まっているのに、館内左手の横に8座席ほど
連なった列で、前から3列目には真ん中に男女一組しか
いなかったので、その列の左端に座ったのである。

で、遅れた事もあって映画に集中していると、やおら私
から右へふたつ空席をおいて座っていたアベック(古!)
の男性が、
「おう、ガクセー、靴踏んどろうが!」
と、私におっしゃるのである。
私とそのハチQsun系列らしい人の間には空席がふたつもある
し、そもそも私は自分の足を右側へ伸ばしてなどいない・・・

そう言えば遅れて来て気が急いていたせいで、よく観察して
なかったが、たしかこのハチQsun系列は右手で女性の肩を
抱いて、おのが頭も右へちょっと傾けていたような・・・
そうかあ~、だからこの列は二人だけだったんだ~。他の
人達はハチQsunの雰囲気から察して避けていたわけで・・・

まあ私としても、そうやってインネンを付けられても、座席
を移るにもほぼ空いてないし、当然映画は観たいしで、
「あっ、すいませんっ」と短く応えて、あとは何事もなかった
かのように(決して右の方を見ずに)映画を観つづけたわけで
ある。

誰もそうだろうが、とにかく映画館には数限りなく行って
いるわけで、こうした出来事を書いても、だからそれがどう
したんだよと言われそうな、つまらない話にまた今日もなっ
てしまったようである。

「柿熟れて」などの句

2024-11-19 22:02:15 | 日記


10月中頃、体重を測ったら夏前より4kgも落ちていた。やはり
あまりに暑くて食欲不振気味だったからと思ったが、これだと
BMI値が18.7という事になり、低体重とされる18.5未満に迫って
しまっていたので、少し多めに食べたつもりだったが、3日前に
測ってみたら、わずか1kgしか増えていない。
あらら、どうしよう? もう歳だから思ったようにはいかない
みたいである。もっと運動するしか手はないか・・・

さて、もうとうに立冬が過ぎているので、初冬の句を詠まな
ければというところだが、まあ実感的にはまだ秋とも言える
ので、今日は、最近作った秋の季語の句を少しだけ。



柿熟れてインコの籠に夕日影

秋蝶のひとつを追へばふたつめも

稲雀我が家の背戸の溝に来よ

黄落や旧家史跡へ九十九折(つづらおり) 

冬隣三里のツボに指の跡

バブル景気とF1

2024-11-16 22:56:59 | 日記

(↑ロータスホンダ99T フロントもリアもタイヤがハの字に・・・)

この間、スバル360の事を書いたら、そう言えば
1ヶ月前ぐらいに配信サイトで映画「キャノンボール」
を観たのを思い出した。この映画を最初観たのは20代
だったと思う。

それで、昔の事なのでどこで観たのかなどもう忘れたが
オープニングの曲が強く印象に残っていて、それを
聴くためにちょっとだけ観てみようとしたが
なんとズルズル最後まで観てしまった。
エンドロールでNGシーンと言うか、舞台裏みたいなシーン
もあったりで久々に映画で大笑いさせてもらった。

この映画はスター勢揃いで、バート・レイノルズ、ファラ・
フォーセット、ジャッキー・チェン、ロジャー・ムーア、
サミー・デイビス・Jr、ディーン・マーティン、そして
「イージー・ライダー」のピーター・フォンダまで出ている。

この映画の製作は1981年で、私が関東方面の安アパートに
住み始めた頃だから、あと数年で世の中はバブル景気に突入
していくという時代である。
バブルの頃は、私などヒラはそういう事などないが、部長など
のデスクには証券会社からの勧誘の電話がしょっちゅう掛かって
来ていた。そうした電話が煩わしかったのか、わざと女性社員に
替わりに出てもらったりしていた上司もいた。

そして、昭和も末期の1987年から中嶋悟さんがF1フル参戦と
いう事で大変なブームになったが、私もF1中継のTV放送は
欠かさず観て、その上必ずVHSのビデオデッキ(古!)で録画
していたものだ。また中嶋さんで今でも思い起こすシーンは
1989年最終戦、大雨のオーストラリアGPでファステストラップを
記録した時のことだろうか。

上の写真のロータスホンダは、たぶん30代前半の頃作ったもの
だと思う。よくもほぼ無事で押入の隅に残っていてくれたものだ。

中嶋さんがF1を引退してから、だんだんとTV中継にも熱が入らなく
なって来て、次第に観なくなった。思えば引退が1991年だから、
バブル景気と中嶋さんがF1で活躍した時期が、ほぼ一致している
ことになる。
私は、バブル景気など自分には何の関係もなかったと考えていた
が、F1や中嶋さんなどのおかげで、経済的にではないにせよ
たしかに気持ち的にはそうであった、とも言えなくもないと
今ではそのように思うのである。