とりたてて何もない日々のらくがきノート

からだに関することや昭和の懐古、たまに俳句など

昭和の給食

2025-01-27 04:35:36 | 日記


数年前にコロナが最盛期だった頃、パンを自分で作ってみた事が
あって、最初生地を捏ねるのも手でやってみたが不器用なのか
要領が悪いためか出来なかったので、諦めてホームベーカリーを
買ったが、食パンばかり作っても面白くないので、捏ねるのと一次
発酵までは機械にまかせ、生地を切り分けて成型し二次発酵から
焼くまでをやってコッペパンなどを作ったりしていた。
パン作りは結構時間がかかるのに、出来るとほんの10分ぐらいで
なくなってしまうので、何か複雑な気分にもなったりした(笑)

子どもの時、小学校の給食の主食はたいていコッペパンだったが
ごくたまに炊き込みご飯だったりすると、とても嬉しかったような
記憶がある。そのころの朝食はご飯に味噌汁だったし、やっぱり
お米のほうを身体は要求していたんだと思う。

小学1年の時にはたしかビンの牛乳でなくて脱脂粉乳だったように
思う。2年からは変わったと思うがよくあんなものを飲めたものだ
と今では感心してしまう。だいたい牛乳を美味しいと思った事は
なく、どちらかと言うと義務的に飲んでいたが、同級生にはもっと
拒否感の強い子もいて給食時間の終わり頃になっても半分も減って
ないのがいつもの事で、しかし昔は給食を残すのはダメだったので
その子にとって6年間の給食時間はイヤな記憶にしかなっていない
のではないか。

小学4年の時の中年の女性教師はかなり厳しい人だった。クラスに
どうしても蒸しパンが食べられない男の子がいて、口に入れると
すぐに吐き出してしまう感じで生理的に受けつけないのだろうが、
ある日職員室に行った時に、その先生のそばにその子とその母親と
思しき人が立っていて何やらクドクドお説教されていたみたい
だった。あまり近くまでは寄れなかったがどうも蒸しパンの事で
怒られているようだった。

今から考えると、パンが食べられないというだけで親まで呼び出
して注意する、というのはどんなものだろうと思ってしまう。
食べられないのは生理的な問題なんだから、いくらお説教された
って食べられるようになるはずがない。

「給食を残すのはダメ」というのを金科玉条の如く守って、それ
を子どもに押し付ける事に何の意味があったんだろうか。
その教師は子どもの身体的な状況をよく把握もせずに、大事な
(と自分で勘違いしている)お題目だけの方しか見ていない、
考えていないとしか思えない。

まあ昔は教師というと親からも一目置かれていたし、偉かったの
だろうが幾分やり過ぎな態度や指導も多々あったのではと思った
わけである。

三国志時代から続く中国の裏組織

2025-01-20 05:35:11 | 日記


半年ほど前に映画『隠し剣 鬼の爪』(永瀬正敏、松たか子、監督
山田洋次)を観て面白かったが、思わず連想してしまったのは大昔の
緒形拳や藤田まこと、三田村邦彦などが出演していた「仕事人」シリ
ーズで、この時代劇では仕置きする側だった緒形拳が映画の役柄では
藩の家老になっていて仕置きされる側になっていたのが、少々笑えた。

中国において明から清への移行期に、当時台湾を統治していたオランダ
東インド会社と戦ってこれを追放した鄭成功もそのメンバーだったと
される洪門(ホンメン、紅幇<ホンパン>とも呼ばれる)はその源流を
三国志の時代に持つ組織で、他に大きな影響力がある組織としては
青幇(チンパン)も存在している。
そして異民族政権である清に対抗して明の再興を旗印に、本格的に
洪門を一本化し強大にした鄭成功は、洪門の中興の祖と言われている
らしい。

出版社の小学館で手塚治虫や横山光輝、水木しげるなどの漫画の編集
担当をした現在作家の志波秀宇(しばひでたか)さんによると、洪門
の構成員は世界中に少なくとも1000万人、青幇は数万人いてアジアでは
台湾、香港・マカオを拠点として裏世界で交通・通信・密輸を仕切って
いるという事である。

そして中国共産党にも洪門のメンバーがいて、人民解放軍の建軍の父と
される朱徳やトウ小平もそうであり、朱徳は洪門の中の哥老会に属して
いたそうである。哥老会とは主に密売(麻薬も)の組織で、またわずか
なお金とたくさんの義があれば暗殺も行うという事らしい。

また12世紀の水滸伝の時代に洪門が再結成されたという話もある
そうで、8年前のクアラルンプール国際空港で暗殺された金正男さん
は、水滸伝の入れ墨をしていたと言われていてそうするのは一般的に
洪門であるとのこと。洪門メンバーではなかったかもしれないが、北の
お金の出し入れや密貿易を掌握していたとされ、洪門の力を借りていた
可能性は非常に高いという事らしい。

それで組織では絶対に破ってはいけない「利益は折半」という鉄則が
あり、それを破ると死刑になるそうで志波さんによると正男さんは
組織に暗殺された可能性も十分あり得ると言っている。

本当にそうなのかは知るすべもないが、世界中に1000万人もいると
いうのだから日本国内にもメンバーはいるはずで、テレビや新聞には
決して出ない闇から闇に葬られている事柄も多々あるのではと想像し
てしまい、表面には見えない事実は時代劇や映画より数段過酷なので
はと考えてしまったわけである。

アウトドアの火付け役

2025-01-15 22:28:21 | 日記


なんだかお隣の国で、戒厳令がどうとかで大規模なデモがあったり
ゴタゴタしているようだが、年末に部屋の整理をしていてちょっと
気になったので、椎名誠が週刊文春に連載していた『新宿赤マント』
が文庫化されたのを読んでいたら、韓国に行った時に女性が皆そう
いう流行なのか、口紅がほぼ黒い色であったのが興ざめだったと
書いていた。

調べるとこのエッセイが書かれたのは1998年ごろで、そのころの
Kドラマの「あなた、そして私」でもやっぱり女優さんの口紅はとても
濃いブラウンで、最初見た時はその色に面食らったがこれはドラマの
中だけではなく、韓国の一般女性でも広く流行していたものらしい。
それにしても、ドラマをよく見ると口を強調するためなのか知らない
が微妙に唇からわずかずつ全体にはみ出しているのが、ちょっと可笑
しく感じて、流行というのも色々あるもんだなあと思ったものである。

椎名誠の「怪しい探検隊」シリーズは今のアウトドアやキャンプブーム
の隆盛の大きな一因になったものであるらしいが、私も若い時に夢中
で読んだものである。たしか椎名誠を最初に知ったのはこの探検隊物で、
その後『哀愁の町に霧が降るのだ』とか『岳物語』などを次々読んで
いったように思う。

私は本格的なアウトドアとかは経験がなく、本で楽しむばかりだった
が、自然の中で過ごす本を読むだけでも相当楽しいんだから、それ
を実行出来たら気分もスカッとして、さぞ癒やされる事だろうとは
思う。今はもうそんな事はしてないが、よく海べりや川沿いを時間
をかけて歩いてストレス解消していた時期もあったと言えばあった。

椎名誠も現在はもう80歳になるはずで、探検隊の頃のイメージから
すると考えられないが、新しい作品でまだまだ楽しませてほしいと
思っている。

お灸は膝痛に効くみたい

2025-01-10 05:21:19 | 日記


今年は1月5日が寒の入りで19日までが小寒、20日から
来月2日の節分までが大寒で、この寒の内の水や卵は特に
滋養に富むとか栄養豊富であるとされ「寒の水」「寒卵」
という季語になっている。
またこの時期にお灸をすえると特に効き目があるとされ、
「寒灸(または寒やいと)」も季語である。

風の子や裸で逃げる寒灸(かんやいと) 小林一茶

わが齢支へし脚に寒灸 白石天留翁

寒灸(かんきゅう)や痩身に火を点じたり 村山古郷

これまで私はお灸をすえたことはなく、一茶の句にある
ように子どもの頃もたいした病気はしなかったし、とても
いい子(笑)だったのでお灸をすえられた事もない。
しかし高齢の母親が長年膝痛(変形性膝関節症)で、多い
ときは1か月に2回も整形外科で溜まった水を取らねばなら
ないような状況が続いていた。

そこで何とかならないかと思って少し調べたら『ひざ痛は
「お灸」で消える!』(粕谷大智著)という本を見つけ、
自宅で市販の台座灸を使用する方法が推奨されていたので
2年くらい前に母親に勧めてみたわけである。

最初、若い時にたいして知識もない人からお灸をすえられて
拒絶感を根強く持っていた母親は、なかなか言うことを聞い
てくれなかったが、熱さが控えめな「ソフト灸竹生島」から
始めてもらったところ、すぐに慣れて「レギュラー灸伊吹」
にすんなり移行出来たのはよかったと思った。

お灸をすえるツボは私が本を見て4か所ほど教えたが、自分
ですえている内に結局「血海」と「膝内側点」だけになった
みたいで、血海は大ざっぱに言うと膝のお皿の上端から
数センチ上のところへ行き、そこからまた数センチ脚の内側
へ行ったところにある。膝内側点は膝のお皿の中央から脚の
内側へ15cmほど下がったところである。(正しく知りたい人は
本を見て下さい)

それで母親はお灸の他にも叔母から聞いた知識らしい、座った
ままでの足踏みとかも根気強くやっていたようであるが、去年
の夏ごろに、ちょっと詳しく膝のことを聞いてみたら、もう今
は痛みがほとんどないと言っていた。外を歩く時に杖がいらない
とか家の中でスタスタ歩けるとかはないが、整形外科にはその
時点で半年以上も行っていなかったらしい。以前は月に何度も
注射で痛い思いをしていた事から考えると、お灸を始める前と
では雲泥の差ではないかと思った。

現在母親は毎朝、両足の2か所のツボへのお灸が日課になって
しまっている。膝が温まる瞬間は、ほっこりと心地よく快感が
あるのはお灸の温熱効果によって冷えが取れ、痛みで固まった
膝関節が緩むのを感じるためらしい。

このような温かさは気持ちよさになり、脳に伝わってドーパミン
やセロトニンなどの神経伝達物質を放出する。ドーパミンは別名
「快感ホルモン」とも呼ばれ喜びや快感をもたらす働きがある。
またセロトニンの別名は「幸福ホルモン」で、精神状態を安定
させ幸福感をもたらしてくれる、という事だそうである。

なるほど、1年で一番寒いこの時期にはお灸の温かさが寒さで
強ばった心身にとっては、ことさら効果を感じるわけで昔から
季語のひとつにちゃんとなっているのも、そういう事だったの
かと、今更ながら気付かされたのであった。

謹賀新年

2025-01-03 17:12:09 | 日記


去年、雑用でちょっとだけあれこれ動いたらバテてしまったのか
年が明けてから何も出来なくてほぼ寝込んでいる始末(笑)。
昨日の朝早く初詣に行ったのがやっとで、体力のなさを痛感して
しまった。
たしか数年前はこんな事はなかったと思うと情けない。夏痩せの
影響がまだ残っていてよけいに体にきたのかもと、体重を計って
みたら57kg台で夏前よりまだ2kg少なかった(笑)



それで昨日だったか元日の夜だったか、直径70cmくらいのバウム
クーヘンみたいな形の金貨をふたつ運んでいるなんていう夢を見て、
それが自分の物かそうでないのかはわからないが、金貨にしては
色が薄いオレンジ色で、しかし自分ではそれを金貨と認識している
ようだった。

私はこれまで買ったことはないが今年は宝くじが当たってしまう
チャンスがあるのかもしれない(笑)。あと目が覚めた時に頭に
浮かんだのは皆さんご存知「はじめ人間ギャートルズ」(古!)
の石のお金だった(笑)

私の持っている歳時記で新年の季語が載った1冊の付録に、「全国
お雑煮アンケート」というのがあって、40数人の俳人がそれぞれの
お雑煮について細かく書いており、地方地方によって色々特徴がある
けれど、ちょっと珍しいなと思ったレシピを2人だけ紹介してみる。

青森の八戸市の藤木倶子さんのお雑煮は、出汁と味付は昆布と醤油
で、具は大根・人参・焼豆腐・芹など、餅は四角で焼く、芹を最後
に入れてすぐ火を止め、椀によそったらそれに摺ってとろりとした
胡桃をかけるそうである。(摺った胡桃を・・一回食べてみたい)

福島の会津の人の坂内佳禰さんのお雑煮は、出汁と味付は鰹節と
醤油、具は牛蒡だけ、餅は四角で焼く、そして会津では雑煮と言わず
「つゆもち」と呼び、坂内さんの実家では元日の昼に蕎麦を打って
食べ、餅は2日の朝につく、そうである。
(元日にはお雑煮はないってこと?・・餅をつくのは年が明けてから
というのも初めて知った・・)


(今年もどうぞよろしくお願いいたします)