平らな深み、緩やかな時間

349.『阿部尊美展』紹介、それと棟方志功を現代絵画の視点で考察する

現代美術家の阿部尊美さんの展覧会が11月19日まで、東京・神宮前の「トキ・アートスペース」で開催されています。

http://tokiart.life.coocan.jp/2023/231107.html

https://takamiabe.jimdofree.com/

阿部さんは、現代美術の用語で言えば「コンセプチュアル (Conceptual art) 」な作品を発表されている作家ですが、そんなふうに身構えることなく、作品をご覧になることをおすすめします。

今回は、「Loss of my hometown」というテーマで制作されていますが、その作家のコメントを読んでみましょう。

 

子供の頃、物が無い時代の後ろ姿を見ながら、都市を中心とした高度経済成長期の「物質的な新しさと豊かさ」に価値を置く社会を通過してきた。バブル崩壊後の今もなお、その価値観は、都市部に深く浸透している。東日本大震災後、原発事故で被災した地域を訪れるうちに、そこにはかつて自然と共に時間をかけて育まれてきたコミュニティや生活、文化があったことを知る。汚染された家々が解体され更地になった土地に、突如新しい近代的な建物が建つ風景は、私が見てきた都市の風景とどこか似ている。この場所に、一部の人達が利する経済優先の都市の思考がいきなり持ち込まれることへの違和感を覚えるとき、都市の生活では持ちえなかったもの、都市が経済の豊かさと引き換えに失ったものの根本を見つめずにはいられない。 

(「トキ・アートスペース」ホームページより)

 

この文章を読んでいただくと分かりますが、例えば「東日本大震災」、「原発事故」というものものしい大事件が取り上げられているのですが、それがどこか遠くの悲惨な出来事というのではなく、「都市が経済の豊かさと引き換えに失ったもの」という、私たちにとってとても身近な問題として引き寄せられています。

このような表現にたどり着くのには、相当な力わざが必要なはずですが、阿部さんはそんな素振りを微塵も見せずに、ごく自然に、穏やかに動画作品としてこのコンセプトを提示します。動画のはじめの方の、阿部さんの「hometown」を尋ねるという行為が、後半の福島の「更地」になってしまった土地を強烈に印象付けるのです。それもごく穏やかに、押し付けがましいことは何もせずに私たちの意識に上らせるのです。

この穏やかさは、例えば東京オリンピック招致の時に、福島の状況を「under control(制御されている)」と声高々に言い放った為政者の態度と、いかに違っていることでしょう。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/51811

その東京オリンピックも汚職にまみれていることが露見し、招致に貢献した人たちも重く口を閉ざしたままです。その上、今度は「万博」ですか?やれやれ・・・、という感じですね。

このように、一時的な世評に乗っかって声高に叫ぶのではなく、穏やかにものごとを考えて、自分の立場から表現し、さらにそれを継続することの大切さを、阿部さんの作品からいつも学ばせていただいています。

それにしても、動画作品がよくできています。15分ほどの作品ですが、あっという間に見終わってしまいます。

現代美術に興味がない方も、福島のことを忘れがちな方も、ぜひ見ていただきたい展覧会です。この作品を見て、自分の「hometown」に思いを馳せるだけでも良いと思います。オススメします。





それでは次の話題です。

世界的な版画家、棟方志功(むなかた しこう、1903 - 1975)さんの大回顧展が東京国立近代美術館で開催されています。

https://www.munakata-shiko2023.jp/

私はまだ見ていませんが、12月3日までの展覧会なので、実際に見てからでは会期が終わってしまいます。そこで今回は、私がこれまで棟方志功さんの作品を見た記憶をもとに、彼の作品について考察してみたいと思います。

私はこれまでに、かなりの数の棟方志功さんの作品を見てきた覚えがあります。しかし、彼について詳しい方はたくさんいらっしゃるでしょうし、一般的な図録から研究書まで、志功さんに関するかなりの数の本も出版されています。そこに私の個人的な拙い感想を加えても何の意味もないでしょう。

ですからここでは、飽くまで現在の私たちが棟方志功さんの作品を見たときにどのような意味があるのか、ということにしぼって考えていくことにしましょう。実際にそれは、私が彼の作品と接するときに常に考えてきたことなのです。

 

さて、とはいえ若い方には、50年近く前に亡くなった棟方志功さんの作品にあまり馴染みがないかもしれません。そこで基本的な情報だけは押さえておきましょう。

青森にある「棟方志功記念館」から、志功さんの略歴に関する記述をさらに抜粋してみます。

 

棟方志功さんは、明治36年9月5日青森市に生まれました。父棟方幸吉、母さだの九男六女の第六子で、家は代々鍛冶職を営んできました。小学校を卒業すると兄と一緒に家業の鍛冶屋の手伝いをしていましたが間もなくして廃業し、17歳の時に弁護士控所に給仕として雇われ、仕事の空き時間には写生に明け暮れました。18歳の時、青森市在住の洋画家から雑誌『白樺』に掲載されたゴッホの「ひまわり」の原色版を見せられ、深い感銘をうけます。「わだばゴッホになる(私はゴッホになる)」と叫んだという話はここから有名になりました。

21歳の時に上京し、苦労しながら絵の勉強を続けました。上京して5年で帝展に油絵《雑園》を出品し、入選することができました。その《雑園》が入選する少し前、油絵の在り方に疑問をもち始めます。西洋からやってきた油絵では西洋人より上に出られないのではないかと考え、憧れのゴッホも高く評価した日本の木版画に気づきます。また、川上澄生の版画《初夏(はつなつ)の風》を見て感激し、昭和2年には初めての木版画《中野眺鏡堂窓景》を制作します。昭和7年には第7回国画会展に出品した版画4点のうち3点がボストン美術館、1点がパリのリュクサンブール美術館に買い上げられ版画の道に進む大きな転機となりました。そして昭和11年、国画会展に版画《瓔珞譜(ようらくふ) 大和し美し版画巻》を出品し、この年開館する日本民藝館に買上げられ柳宗悦、河井寛次郎、濱田庄司氏ら民藝運動指導者の知遇を受けます。

昭和27年、スイスで開かれた第2回国際版画展で銅版画家・駒井哲郎とともに日本人として初の優秀賞を受賞。同年5月にはフランスのサロン・ド・メェに板画《運命頌》などを招待出品、昭和30年、第3回サンパウロ・ビエンナーレに板画《二菩薩釈迦十大弟子》などを出品し版画部門の最高賞を受賞。翌31年には第28回ヴェネツィア・ビエンナーレに板画《柳緑花紅頌》などを出品し、国際版画大賞を受賞。世界のムナカタとしての地歩を築きました。

棟方の郷土を愛する心は人一倍強く、凧絵やねぶたは勿論のこと、風物に対しても大変心をよせていました。そして昭和50年9月13日、東京都の自宅で72年間の生涯を閉じました。

(「棟方志功記念館」略歴の記述より抜粋)

 https://munakatashiko-museum.jp/biography/

 

記念館のホームページを見ると、『雑園』という油絵が良いですね。志功さんが、そのまま油絵を描き続けたなら、「世界のムナカタ」と言われるようになったかどうかはともかくとして、興味深い絵画がたくさん残されたことでしょう。そう考えると、ちょっと複雑な気持ちになります。

棟方志功さんは若い頃にゴッホ(Vincent Willem van Gogh、1853 - 1890)さんに魅せられました。その志功さんは、版画制作に熱中すると「ゴッホ、ゴッホ」とつぶやくので、風邪を引いたと周囲の人たちに勘違いされた、というのは有名な話です。

その志功さんが木版画に転向するほどの影響を与えたのが川上 澄生(かわかみ すみお、1895 - 1972)さんです。「川上澄生美術館」のホームページから、その作品を見ておきましょう。

https://kawakamisumio-bijutsukan.jp/

志功さんの略歴にあった『初夏の風』を見てみましょう。野生味あふれる志功さんの版画に比べると、ほのぼのとした作品ですね。以前にウィスキーのコマーシャルで、ちょっとノスタルジックな思い出を語るシーンで川上さんの作品が使われていたこともありました。この川上さんの作品と志功さんの作品とを比べると、志功さんの個性がよくわかります。

次に民芸運動の指導者として名前が上がっている人の中で、河井 寛次郎(かわい かんじろう、1890 - 1966)さんに注目してみましょう。「河井寛次郎記念館」のホームページを見てみてください。

http://www.kanjiro.jp/portfolio/

河井寛次郎さんは、民芸運動に携わったこともあって、志功さんの作品と共鳴するような野趣あふれる作風に辿り着いた人です。その河井寛次郎さんが「棟方くん」というエッセイを書いていますので、その中で志功さんの特徴を述べている部分を抜粋してみましょう。

 

人は獣にも劣る──と云うのが吾々の今日の常識だ。それは動物の中に宿る叡智と本能に思い至るからだ。如何に人がそれに競べてごまかしものだと云うことに気附くからだ。  

今君の曇りなき叡智とさらけ出された本能との前に立ちて思う。君は畏るべきものを有つ人だ。 

君のものを見て居ると、吾等の祖先が嘗つて山野を馳けまわって居た時の荒魂が頭をもたげる。君は確かに人々の中に隠れて居る荒魂を呼び返す人だ。  

君は美に付ては人一倍恥かしさを有つやさしき人であるが、同時に全く畏れを知らない荒男だ。君が汗を流し唾を飛ばし時には踊り上ったりして話すように、現されたものも汗を流し唾を飛ばし踊り上るかのようだ。これは見て居ても気持が好い。然し若しもこんな君の行為や現すものが野人の非礼と看なさるゝようなことがあるならば、それは潔癖と沈滞と礼儀との幽霊からではなくてはならない。君は器用な小刀を用いないで鉈を使う。  

吾々は真に人らしい人を君に見、絵らしい絵を君のものに見る。

(『板散華(はんさんげ)』「棟方くん」河井寛次郎)

 

この文章を読むと、志功さんがどのように評価されてきたのかが、よく分かります。志功さんは「動物の中に宿る叡智と本能」を持つ人であり、それでいて謙虚さと優しさを併せ持つ人なのです。作品に立ち向かう時は「器用な小刀」ではなく「鉈(なた)」をふるうように制作をするので、作品には荒々しさが表現されています。しかし、だからこそ「真に人らしい人」、「絵らしい絵」がそこにあるのだと河井寛次郎さんは書いています。

概ねこのような評価は、志功さんの世評と合致しているでしょう。さらに付け加えれば、志功さんの作品には、外国の人から見ればエキゾチックな日本がそこにあり、私たちから見れば民話や神話、あるいは宗教(仏教)的な懐かしい世界がそこにあるのです。

それから、略歴を見ていて面白いことがわかりました。志功さんは駒井 哲郎(こまい てつろう、1920 - 1976)さんと同じときに国際版画展で受賞しているのですね。年齢的には駒井さんの方が20年近く若いのですが、モダンでヨーロッパ的な世界を巧みに表現した駒井さんと、プリミティブで日本的な表現を追究した志功さんが、同時に評価されていたというのも興味深い話です。ちなみに駒井さんの作品は次のようなものです。

https://yokohama.art.museum/special/2018/TetsuroKomai/

 

さて、それではこのような志功さんの作品が、現代絵画的な観点から見ると、どのように見えるのでしょうか?

そのことについて考える前に、次の動画を見てください。志功さんの制作の様子がよく分かります。

https://youtu.be/n5k8lYfYfnY?si=54qzBZLj9NpLxsSJ

極度の近眼のために、志功さんは画面(板の表面)から目が離せません。

つまり画面全体でバランスを取るということには、あまり執着していないのです。もちろん、画面構成は彼の頭の中にあったことでしょう。しかし、それを画面に定着する段階で、全体を眺めながらバランスを取ったり、場合によっては画面のあちらこちらにアクセントをつけたり、というような操作をしないのです。その結果、志功さんの作品は、近距離での部分ごとの強度が特徴となります。強度をもった部分の連続性が、画面全体の強度となり、それが彼の絵の魅力となるのです。これを現代美術の用語で言い表すなら「オールオーヴァー」な表現、ということになるでしょう。

このオールオーヴァーという用語ですが、これは現代絵画の用語です。

 

オールオーヴァー(All-over)

「全面を覆う」という意味の絵画用語。「ドリッピング」や「ポーリング」といった技法を開発し画面の全体を均質に処理していく1947年以降のJ・ポロックの絵画にたいして、主として50年代以降に使用された。批評家のC・グリーンバーグは論文「イーゼル画の危機」でその特質を「明白な対立を欠いた」「多声的な」絵画と形容している。その後、抽象表現主義などの同様の画面構造を備えた作風に対してもこの語が使われ、徐々に一般化した。ポロックの作品では、部分と全体との階層差が打ち消され、また中心・周縁から上下左右に至る序列が排されていると見なされるため、結果的に奥行のない表面(平面性)や均質性、統一性が強調されることになる。

(『アートスケープ』より 沢山遼)

https://artscape.jp/artword/index.php/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC

 

この用語に出てくるジャクソン・ポロック(Jackson Pollock、1912 - 1956)さんですが、彼が「ドリッピング」技法で絵を描いている画像は次のとおりです。

https://euphoric-arts.com/art-2/jackson-pollock-1/

ポロックさんは、ドリッピング技法で絵を描いている時の自分の心理について、次のように言っています。

「そしてぼくが絵の中にいる時、ぼくは自分が何をやっているのか、一向に意識していない。」

ポロックさんは「意識していない」と言っていますが、もちろん、絵を描く意図がなければドリッピング技法は成り立ちません。ですから、ポロックさんが意識していないのは、画面全体の構成であったり、バランスであったり、といったことでしょう。つまり彼は床に広げたキャンバスに絵を描いているわけですが、その時に画面を壁に立てかけて、全体を俯瞰した時のことを意識しないようにして描いている、と解釈するのが正しいのでしょう。そういうことを考えずに、ただひたすら足元に滴る絵の具をコントロールすることだけに集中する、というのがポロックさんのドリッピング技法です。自分の手の届く範囲での画面の強度を連続させることによって、最終的にオールオーヴァーな強度を持った絵が仕上がるのです。

このようなポロックさんの心理は、志功さんの版画制作の心理と重なる部分があるのではないでしょうか。志功さんも、「体」でぶつかるように、としきりに制作における身体性を強調していました。画面と距離をとって、全体を視覚的に、あるいは理知的に眺めることをあえて拒絶する心理が、ポロックさんと志功さんには共通して働いていたようです。

そして、ポロックさんの絵画と志功さんの版画が共通するのは、ポロックさんが「ドリッピング」技法を用いたときだけに限りません。例えば、ポロックさんがドリッピング技法に到達する前の壁画作品を見てください。

https://www.art-annual.jp/column-essay/essay/76230/

人の形のようなもので、画面全体を埋め尽くすように描いています。この絵画空間も、どことなく志功さんの版画作品と似ていないでしょうか?全体のバランスを考えて描くのではなく、画面の隅々まで描き尽くすことで絵を作り上げていく、という方法論は、もしかしたらドリッピング技法の時よりも志功さんの作品に近いのかもしれません。

このような作例は、ポロックさんの盟友であったウィレム・デ・クーニング(Willem de Kooning, 1904 - 1997)さんの初期の絵画にも共通します。

次のクーニングさんの作品をご覧ください。

https://www.tricera.net/ja/artclip/blog767

こちらも、白い人型のような形象が、まるでパズルのように組み合わされています。前景と背景の区別がなく、どこを見てもポジティブな人形で埋め尽くすことで、絵を作り上げているのです。

 

このような絵画の構成上の共通点ばかりでなく、ポロックさんと志功さんとの比較で言えば、神話や民話などのプリミティブな表現に惹かれていた点も共通していたように思います。二人とも、それらのものが放つパワーのようなものを感受していたのではないかと思います。洋の東西を問わず、表現者が人智を超えた力を求めるときには、そのようなプリミティブなものの力を借りたくなるのかもしれませんね。



それからもう一つ、棟方志功さんの作品で現代絵画に通じるものがあるとしたら、それはその彩色方法でしょう。

志功さんは和紙を使って版画を刷るのですが、その和紙の特性を活かして、紙の裏側から色を染み込ませて彩色するのです。そのことによって、表側の絵を壊さずに、自由に彩色することができたのです。版画といえば、複数の同じ仕上がりものを制作することが基本なのでしょうが、志功さんはそんな発想からは、まったく自由に振る舞います。

この裏側からの彩色方法は、表側に描かれたフォルムと関連しながらも、その線や形に束縛されることなく、色を使うことができます。また、黒い墨の色の裏側から色を重ねることで、微妙なニュアンスを表現することができるのです。

実は私も、若い頃に和紙を使ってこの彩色方法を試したことがあります。表側に描いた色や形と裏側から染み込ませた色が、互いに自由に響き合うと面白いのではないか、と考えたのです。それなり面白いものができましたが、志功さんのように表側のフォルムに緊張感がなかったので、裏側の自由な彩色も、ごく当たり前のものになってしまいました。現在の私なら、もう少しマシなものができるかもしれません。また試してみることにしましょう。

その志功さんの彩色方法を解説したホームページを紹介します。

 

版画は、版がある限り何度でも摺ることのできる複数芸術です。棟方志功も「摺ることのくり返しが、美しさを増して行くというところに大きなよろこびがあります」(『板画の話』、1953年)と複数性の良さを語り、実際に一つの板木を何度も摺ることがありました。一方で、一枚しか摺らなくても版画であるし、何枚摺ったとしてもそのどれもが独立した一点ものだ、とも考えていました。

そんな棟方の板画の大きな特徴は、ひとつの板木を繰り返し摺る中で、一点は墨摺りのままにしたり、もう一点には裏彩色(紙の裏から筆で絵具を染み込ませること)をしたり、改刻(彫りを加えること)してから再度摺ったり、それぞれに変化をつけていることです。もちろん、毎回摺りが全く同じになることはありえないのですから、それだけでも全てが独立した作品と言えますが、裏彩色や改刻によって一点一点の違いはより明確になります。

例えば、1949年の《女人観世音板画巻》は晩年まで何度か摺った作品ですが、墨刷りそのままのものもあれば、後に1969年に摺った際には裏彩色をして色鮮やかに仕上げています。《御鷹揚ゲノ妃々達》は、1963年に弘前市民会館大ホールの緞帳原画として制作したものですが、1964年には改刻し配色を変え、同年の第六回現代日本美術展には《道標の柵》と題名も変えて出品しています。

(『棟方志功記念館』ホームページより)

https://munakatashiko-museum.jp/2022/12/18/post-6686/

 

裏から絵具を着彩するのではなくて、しみ込ませるというところに狙いがあります。板木につけた墨がしみこんで出来上がる道程と同じ様に、絵具が紙の裏面から表面にしみ込んで行くということが、板画の性質にさからわない道程なのです。自然に筆を通じて色彩が板されて行くのです。描かれたものではなく、しみこんで行くことによって、板画と同じ他力による出来栄えを見ることが出来るのです。そういうところから「裏彩板画」が出来ました。墨一色では感じがこめられない、というときの表現方法の一つにこの技法を考えました。「裏彩板画」は、なごやかな気分を板画にただよわせます。また、やわらかい、ほのぼのとした気分を板画に流れさせる効果があります。

棟方志功 板画の話より(小学館)棟方板画美術館 昭和29年

(『棟方志功のことば』ホームページより)

http://munakata-shikou.jpn.org/munakata/



さて、このように現代絵画と志功さんの版画は、少なからず共通点があるのですが、もちろん、相違点もたくさんあります。

志功さんは具象的な表現、つまり具体的なものの形から離れることはありませんでしたし、志功さんの版画は時に装飾的であり、時に工芸品としての要素も含んでいます。現代芸術の視点から見れば、それは純粋芸術の枠からはみ出てしまっていると判断されることでしょう。時には親しみやすい女性像やお坊さんの姿が、俗っぽく見えることもあるかもしれません。

しかし、これだけの表現の強度を持った作品に対し、ネガティブな判断からその魅力を見逃してしまうのは、あまりにもったいないことです。そういうさまざまな要素を飲み込んだ上で、棟方志功さんの到達した表現についてあらためて考えてみる、ということを若い方にはオススメしたいです。

 

もしもあなたが、棟方志功さんの作品に、まとまって触れたことがないとしたら、ぜひ今回の回顧展を見に行ってください。私も若い頃に見たはずの作品群に、もう一度出会いに行こうかなあ、と思っています。

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