この夏に、色彩について考えたことの最終回です。
現時点での「主観的な色彩」のまとめと、今後の考察の方向性について述べてみます。以前の「主観的な色彩 その2」、「主観的な色彩」では主にゲーテの色彩論、ゴッホの色彩観に関する話です。興味がある方は、さかのぼってそちらもご覧ください。
それでは主観的な色彩について、あらためて説明しておきます。まずは『光と色彩の科学』という一般的な色彩の入門書を参照しましょう。
第1章でも述べましたが、色彩は光という物理的な現象と、知覚という生理学的な現象の接点として現れる融合現象です。してみれば、知覚の主体である人間の生理、心理と色彩の間に密接な関係があることは、当然の帰結といえるでしょう。実際に色彩が私たちの心理、生理に大きな影響を与えることは、誰もが経験することです。また、反対に、生理的な条件が色彩感覚に大きな影響を与えることもあります。このことは、LSDなどの麻薬服用状態で描かれた、幻覚的な色彩の絵画から窺い知ることができます。
色彩が私たちの心理に与える影響には計り知れないものがあります。暖色系の色彩を見れば幸福感を感じ、食欲も購買欲も増すような気がします。このような現象を経済が見逃すはずはありません。
(『光と色彩の科学』「第6章 色彩の心理学」斎藤勝裕)
私たちが色彩を感受するということは、具体的なものの存在を感受することとは違っていて、それは独特な現象であると言えます。なぜなら「色彩」は、手で触れたり、匂いを嗅いだり、舌で味わったり、耳で聞いたりすることができる現象ではないからです。「色彩」は光による物理的な現象によって私たちにもたらされますが、それを感受できるのは視覚という知覚だけです。そしてその現象が視覚によって感受され、脳に情報が届くまでの間に、麻薬などによってその経路が歪んでしまえば、それは歪んだままに認識されるのです。
「色彩」という現象の物理的な面においては、ニュートン(Isaac Newton、1642 - 1727)の光学的な研究が先駆的なものとされています。一方の生理学的な面においては、文豪のゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe、1749 - 1832)の『色彩論』が同様に先駆的なものとされているのです。
ただし、ゲーテは科学的な研究への興味の高い教養豊かな人物でしたが、基本的には文学者でした。ですからニュートンよりも後の時代の人、つまり現代に近い人だとはいえ、科学的な考え方という点ではニュートンに遠く及ばなかったようです。『光と色彩の科学』でも、ゲーテの研究については、次のように説明しています。
ゲーテの『色彩論』は第1章で紹介しましたが、さすがに文学者らしく、物理学者のニュートンとは一味違ったアプローチをしています。ゲーテはまた色相の間の関係を詳しく考察しています。科学的に見たら何の根拠もないような話ですが、心理学、心象学的には面白いものを含んでいるようです。
(『光と色彩の科学』「第6章 色彩の心理学」斎藤勝裕)
この『光と色彩の科学』は一般書ですから、かなり穏やかな書き方をしていますが、それでも「科学的に見たら何の根拠もないような話」であると書かざるを得なかったようです。もちろん私は科学に関しては門外漢ですから、ゲーテの『色彩論』を評価できる立場にありません。しかしこの文章を読むと、ゲーテの研究は科学的な根拠を伴わないものだとしても、色彩を感受したときの人間心理の探究としては興味深い指摘を含んでいる、ということぐらいは読み取れます。
そしてさらに調べてみると、ゲーテの科学的な論理の破綻について例えば次のような意見がありました。
以上から、ゲーテは自らの約束、すなわち「最も単純な現象は根本的な公式として用い、もっと多様な現象はそこから導き出し、展開させてゆく」ことを結局のところ果たしていない、つまり、ゲーテの根源現象、曇った媒体の理論、像のずれの学説をみな「根本的公式」として承認しても、ゲーテ自身の行った実験の結果の説明がつかないのである。哲学者を魅了してやまないあの「自然を拷問台にかけ、あらかじめ自分が信じ込んだものを自然に自白させようとした」(ゲーテ1、三八六頁)というニュートン批判は、この根本公式の妥当性を前提としている。だから、論争篇の文脈に即して判断すればゲーテのこの主張は不当である。そしてゲーテ色彩論の論争篇の部分は、オールタナティブ・サイエンスとはみなせないというほかはないのである。
(『ゲーテ対ニュートンー『色彩論 論争篇』の謎を解く』伊藤トム)
このようにゲーテの『色彩論』に対して、特に科学的な側面から過剰な思い込みを抱くのは危険ですので、注意することにしましょう。
視点を変えて、心理的、生理的な側面における色彩の探究について考えていきましょう。ゲーテの『色彩論』は、のちの色彩心理学にとって研究の基礎となるものだと言って良いようです。しかし、そもそもある色について人間がどう感じるのか、ということを客観的に判断することは難しいようです。
例えば色彩による「寒・暖」の感じ方、あるいは「軽い・重い」という感じ方についてならば、ある程度の妥当性がある結果が得られるようです。しかしそれ以上に、あまり穿った色の解釈をするのは、個人差もありますし、時代や地域によっても差があるでしょうから、ほどほどに受け止めておくのがよろしいかと思います。
ただし、前にも書きましたが色をじーっと見て、そこからどのような感触があるのか推し量ろうとするゲーテの態度は、科学者というよりも美術家の姿勢にも似ていて、どことなく好感が持てます。そして、色について特別な思いを抱いて制作に励むことは、うまくやれば自分の感覚を超えた表現にも結びつくと思います。私はそのことを実践したいと思っているのですが、それは最後に書いておきます。
とはいえ、美術家や画家は意外と色彩学や色彩論について無頓着です。
なぜかといえば、それは制作上、あまり関係がないからです。実は私自身も例外ではなくて、例えば「赤」を色彩として意識する場合に、その色相としての性質よりも、実際に絵を描く場合にはその色の彩度であるとか、明度であるとか、という要素の方が気になります。鮮やかな赤を画面に置くのであれば、それが「暖かい」感じがするかどうか、ということよりも、その鮮やかさによって画面上のアクセントになるのではないか、と考えてみたり、そこに何か強い主張を込めることができるのではないか、と悩んでみたり、ということの方が実際には重要です。「赤」という色の心理学的な性質よりも、それをどのような状態で画面に置くのか、ということの方が画家にとっては問題なのです。
この、私のような色彩の受け止め方は、どのようにして形成されたのでしょうか?
考えてみると、近代的な色彩の用い方が始まったのは、ドラクロワ(Ferdinand Victor Eugène Delacroix, 1798 - 1863)のロマン派あたりからでしょう。彼は補色対比をうまく使って、画面に輝きを表現したとよく言われます。それから皆さんがご存知の印象派は、点描画法によって視覚の中での色の混合にこだわりました。絵の具の色の濁りを、点描技法によって回避しようとしたのです。さらに新印象派と言われたシニャック(Paul Victor Jules Signac, 1863 - 1935)や、スーラ(Georges Seurat, 1859 - 1891)は、それを科学的な理論によって極限にまで推進しました。その同時代に、それと違った色彩のアプローチを自覚したのが後期印象派と言われるゴーギャン(Eugène Henri Paul Gauguin, 1848 - 1903)であり、ゴッホ(Vincent Willem van Gogh、1853 - 1890)でした。彼らの象徴主義的、あるいは表現主義的な色彩表現の方が、その後の絵画への影響は大きかったのかもしれません。
20世紀になって登場したのが、現代絵画において、そして色彩表現においても巨匠だと言われているマティス(Henri Matisse, 1869 - 1954)でした。マティスは激しい色の使い方によって、若い頃はフォービズム(野獣派)と言われました。彼は一貫して色彩表現を大切に考えていましたが、色彩を理論的に整理して、そこに規則性を見出すことに関しては興味がなかったようです。
色彩に関してマティスが語った、次の文章をお読みください。
私は色彩を通して感じます、だからこれからも色彩を通して私の絵は組織されるでしょう。それにしてもやはり感覚は凝縮され、用いられる方法はその表現の極致にまで高められないといけない。
感動をじかに、純粋に翻訳できるようにするためには、すべて方法を根底からものにし、その実際の効果を験(ため)しておくべきです。若い芸術家はしくじることを恐れるには及ばない。絵を描くことは極度に心をかき乱す冒険であり、同時に絶えざる探索ではないでしょうか。こうして習作をやる場合、私はある時は色彩だけである種の均衡と表現的なリズムを得ようとし、またある時はただアラベスクだけの力を確かめようと努めてきました。そして、私の色彩があまりにも大きすぎる膨張力をもってしまった時、形体がもっと安定と特徴を帯びるようにするため、色彩を殺すー暗くするという意味ではないーようにしてきました。一つ一つが目標へ前進する手がかりとなるなら、迂回なんぞ気にすることはない。
定めねばならぬ規則などない、まして実用手引などありはしない。でなければ、工芸の仕事になってしまう。また、ほかに仕様があるわけがない、というのは、芸術家が何かすぐれたものを生み出したとき、彼は無意識に実力以上の力を発揮したのであって、もはや自分で自分がわかっているというわけではない。大切なのは行く先を自問することではなく、素材内容といっしょに生きるように努め、そのあらゆる可能性を汲みとることです。芸術家の固有の寄与というものは彼が自分の素材内容を創造する仕方によって、またそれ以上にそれらの関係の質によって測られます。
(『マティス 画家のノート』「証言」マティス著 二見史郎訳)
この「定めねばならぬ規則などない、まして実用手引などありはしない」という部分が、多くの画家の気持ちを代弁するものではないでしょうか?マティスはこのことを、ただ当てずっぽうに言っているのではありません。彼には絵画史の中で色彩が果たしてきた役割について、はっきりとした認識がありました。先ほどの私のドラクロワ以降の色彩表現について書いた部分と重複する内容がありますが、マティスの意見を読んでみましょう。
色彩が再び表現的になった、ということはその歴史を語ることにほかならない。長い間、色彩はただデッサンを補うものでした。ラファエロ、マンテーニャ、あるいはデューラーはルネサンスの画家たちすべてと同じようにデッサンによって構成し、そのあとで固有色を付け加えました。
それとは逆にイタリアのプリミティフ、またことに東洋人たちは色彩を表現の手段と化したのです。アングルがパリの迷子になった中国人と呼ばれたのにはそれなりの理由があったのです。というのは、彼は純粋な色をそこなうことなく区切りをつけながら使い出した最初の人だからです。
ドラクロワから、障害物除去をやった印象派、決定的な衝撃を与え、彩色されたヴォリュームを導入したセザンヌを通ってファン・ゴッホ、そしてことにゴーギャンに至るまで、この色彩の役割の復帰、その感情的威力の回復の道をたどることができます。
(『マティス 画家のノート』「色彩の役割と様相」マティス著 二見史郎訳)
ここで「デッサンによって構成し、その後で固有色を付け加えました」と書かれているのは、グリザイユ技法のことを言っているのでしょう。モノクロームの画面でデッサンを仕上げた後に、その描写を消さないように薄い彩色で色を加えていく方法です。これでは、色彩はデッサンに従属するものでしかありません。現代では、色彩が画面上のもののヴォリュームに直接関わるのですが、それを導入したのがセザンヌ(Paul Cézanne, 1839 - 1906)だとマティスは言っています。実に的確な指摘だと思います。
このような歴史を踏まえた上で、マティスは「色彩の使い方に決まり事は必要ありません」と言っているのです。あらかじめ規則で決まっているのではなくて、制作途上で、目で確認しながら色彩を決定するほかにない、というのがマティスの意見なのです。
しかし、同じ20世紀初頭の画家の中でも、マティスとまったく逆の意見も出てきます。
それは抽象絵画の父と呼ばれるカンディンスキー(Vassily Kandinsky、1866 - 1944)の絵画論です。カンディンスキーは抽象絵画を開拓した人ですが、その際に抽象絵画にも具象絵画並みの作画の規則を設けようとしました。理論家でもあった彼は、それを本にまとめて書き残しています。
例えば、図形と色彩との関係について、カンディンスキーは次のようなことを書いています。
正方形を形づくる4つの直角については、前述した。絵画的(色彩的)要素との関連について、ここでは、ごく簡単に説明するだけでいいと思うが、折線と色彩との平行関係だけは、ぜひ指摘しておかなくてはならぬ。正方形の冷にして暖なる要素、また、前述したその平面的性質は、ただちに赤への指標となる。赤は、黄と青との中間段階にあり、さらに、寒にして暖なる種々の特質を内蔵しているからである。最近頻々として、赤い正方形が絵画に登場するのも、理由のあること。このように直角にそれ相応の資格がなければ、赤と対比させることなど、絶対に許されぬことだからである。
(『点・線・面』「折線と色彩」カンディンスキー著 西田秀穂訳)
いかがでしょうか?なかなか個性的な思い込みですね。それに、当時は赤い正方形が流行ったのでしょうか?もしもカンディンスキーが言っているように、形と色彩の関係に必然性があるのなら、現在の私たちだって正方形の図形を描くときに赤く塗りたくなっても良いはずです。しかし、そんなことはナンセンスでしょう。
カンディンスキーはこんな調子で折線と色彩についての思い込みを書いていくのですが、理論派の彼は折線の角度によってどんな色彩が規定されるのか、こまごまと言及せずにはいられませんでした。例えば次の通りです。
30°の折線・・・黄
60°の折線・・・橙
90°の折線・・・赤(だから正方形は赤です)
120°の折線・・・紫
150°の折線・・・青
180°(水平線)・・・黒
という具合です。
このような彼の理論に頷く方はいないと思いますが、しかしこのような理論に則った彼の絵画が大好きな方は、たくさんいると思います。何やら法則めいたものを作品の背後に感じるカンディンスキーの抽象絵画には、硬質の緊張感があります。決して軽く、安易な感じに見えないカンディンスキーの絵画には、自分の感覚だけに頼って描いた作品にはありえない、独特の魅力があるのです。カンディンスキーの理論の陳腐さと、それに基づいた表現の素晴らしさの落差を思うたびに、絵画表現の複雑な面白さに気が付きます。
さて、マティスとカンディンスキーの色彩表現について簡単にまとめてしまうと、マティスは色彩と形体の関連性の重要さを認めながらも、そこに規則性を見出すことはしませんでした。一方のカンディンスキーは色彩と形体の関連性に規則性を見出しますが、そのすべてが妥当なものだとは言えませんでした。いずれにしても、凡庸な感性と下手な規則性はつまらない作品の要因となりますが、彼らの作品を見ると方法論がどのようなものであっても、素晴らしい色彩表現を実現できる可能性があることがわかります。
私は最終的には、作家の感性がものを言うと思います。どんなに規則性に縛られた作品であっても、最終的には作品としてそれで良しとする作家の判断を経なくてはなりません。その作家の感性や判断が鈍ければ、いずれのやり方であっても鈍い作品にしかならないのだろうと思います。
私は基本的にはマティスのような作家でありたい、と望むところですが、そうであっても新たなる感性の広がりを求めて、自分の方法論に新しい要素を絶えず注入しなければなりません。私のような感覚も知性も鈍い凡人であれば、なおさらそのような努力が欠かせないのです。
そこで、色彩についてこれから私が取り組もうと思っている課題について、最後に書いておきます。
せっかくゲーテの『色彩論』について学んできたので、色彩の研究を活かすようなことを試みましょう。前にも書きましたが、ゲーテにとっての色の三原色は現在の光学的な裏付けのある三原色とは違っています。ゲーテの考え方では「青と黄は暗明の基本色であり、すべての色はこれより生まれる」(『色彩の科学』金子隆芳より)ということだそうです。このゲーテの考え方は、科学的に根拠がないとしても、例えば絵画制作上の観点からすれば、ユニークで面白いと思います。画家は常に赤、青、黄を意識していたのでは、表現できる世界が限定されてしまいます。そんなことを思っていたら、私の尊敬する画家、中西夏之さんが次のようなことを書いていました。
これは東京芸大美術館で2003年に開催された『退官記念 二箇所 ─ 絵画場から絵画衝動へ ─ 中西夏之』という展覧会のパンフレット「NOTE vol.1」の11から13ページの抜粋です。
<11ページ>
《三原色正三角形パレットの色彩図》
赤
volet orange
青 黄
green
当然の如く、ここであつかう色とは、あるものの属性として、そのものに付着しているのではなく、無限遠点からの反響である。我々はたしかにオレンヂの色材を持ち、あつかっているが、そのオレンヂは極限としてのオレンヂの模範であり、その模型をあつかうと云うことは、オレンヂを響かせることである。
注;極限としてのオレンヂ、観念としてのオレンヂ、即ち、無限遠点地に、それが存すると想像することからの観念。
響かせる→色映えを作る。
orange(オレンヂ)は、赤と黄の間に
violet(紫)は、赤と青の間に
green(緑)は、青と黄の間に
と云うように
そして、又、orangeは赤と黄を混合して、プラスして
violetは赤と青を混合して、プラスして と
greenは青と黄を
習慣的になった技術が示すようにではなく、☆(次のページ☆に続く)
<12ページ>
《混合色と云われるものが、原色となるような正三角形パレット》
☆赤、及び黄(色)こそがオレンヂからマイナスされたもの。
或は、オレンヂを分離(器にかけて)して生んだものと考える。
故に、よく云われる三原色こそが、派生的なものとなり、orange、violet、green
三原色となるようなパレットを考える。
A「紫・オレンヂ・緑を三原色としたNのパレットの例」
紫
Red Blue(であるか、いなか)
(であるか、いなか)
オレンヂ 緑
Yellow
(であるか、いなか)
<13ページ>
B「切り詰められた、Nの三原色の例」
紫を中心に現在も制作が続けられている。Nの場合
紫
黒 白
(『退官記念 二箇所 ─ 絵画場から絵画衝動へ ─ 中西夏之』パンフレット「NOTE vol.1」)
※メモ書きを書き写したものですので、不正確です。
できるだけ広いディスプレイで見ていただいて、位置関係(特に色名の三角関係)に注意して見てください。
さて、素晴らしい芸術家のメモ書き、言葉を私ごときが解釈するべきではないかもしれませんが、それを承知の上で読んでいただけると幸いです。
まず、このメモ書きのユニークなところは、三原色をベースに考えない、と言っているところです。考えてみると、私たちは絵を描くようになってまもなく、三原色を意識するように教育され、私自身もそのような授業を行なっています。私の知っている美術の先生の中には、三原色と白と黒の絵の具しか生徒に使わせず、それ以外の色はすべて混色して作りなさい!という授業をやっている人もいます。そもそも絵の具の色は、顔料(自然界の鉱物)からできているものですから、そこまで科学的な混色にこだわらなくても・・・、と私などは思ってしまうのですが、それでも三原色から色相環へと話を広げて、補色関係にまで言及する、というのが一つのパターンです。
ですから、中西夏之さんの次のメモ書きはとても面白いのです。
赤、及び黄(色)こそがオレンヂからマイナスされたもの。或は、オレンヂを分離(器にかけて)して生んだものと考える。故に、よく云われる三原色こそが、派生的なものとなり、orange、violet、green(が)三原色となるようなパレットを考える。
私たちの思考には、どうしても三原色をベースとする考え方があって、絵画制作で迷うたびに、それが頭に浮かびます。
しかし、それらの三原色が派生的なものであって、orange、violet、green、が三原色となるようなパレットで制作するとどうなるのか・・・。という考え方は、とてもユニークで興味深いものです。と言っても、私は中西さんのように几帳面ではないので、パレット上の色の並べ方もぐちゃぐちゃです。そこで、パレット上でorange、violet、greenを基本として並べるのではなくて、それらの色を基調とした作品を、それぞれ描いてみたいと思います。私の場合は、青、白が絵の基調となることが多いので、特に紫を基調とした絵となると、これまでに描いた覚えがありません。もちろん、中西さんの紫の作品のように魅力的な絵にはならないでしょうが、それはそれで良いでしょう。とりあえず、試しにやってみます。
ちょっと、理論薄弱かもしれませんが、やってみるうちに何かわかることもあるでしょう。私にとって肝心なことは二つあって、一つは自分の感覚を超えた外部の理論や方法を取り入れて、自分の裁量を広げて新たな自分と出会うことです。そしてもう一つは、最後のところでそういう自分を確認することです。自分が確認できないことをそのままにして、他人に判断を仰ぐのは表現者としてやや無責任だと思います。自分の作品に対して半信半疑であるとか、これでいいのかどうかわからない、ということはよくあると思いますが、そういうドキドキした気持ちを自分で確認することが大事なのです。その緊張感もなく、ただ投げ出されただけの作品を見ると、観客の方もその曖昧さがわかってしまいます。私も若い頃は、展覧会のたびにつまらない問いかけをしていました。
今、画廊を廻っていて、そういう緊張感のある作品を自然体で作っている若い人に出会うことがあって、とてもうれしくなります。技術の巧拙は、あまり関係ありません。そんなことは、たぶん数十年もやっていれば上達します。それよりも、ギリギリのところで自分と向き合う勇気を持って表現できていることに価値があるのです。そういう作品を見ると、私自身がとても勉強になります。
以上で、とりあえず「主観的な色彩」に関する今回の考察を終わります。
まだまだ探究の途上なので、今後、特に中西さんの絵の紫や緑について、気づいたことがあれば、またご報告します。