定期的なヘアメンテナンス(白髪染め)のために
一駅だけ電車に乗りますが
それでも自宅から10分ほどで着きます
早いもので
かれこれ5年目になろうとしています
担当してくれる若い女性が言うには
私がこちらに入店して すぐのお客様です
とのことですから..
双方にとって 印象に残る出逢いだったようです
基本 担当者フリーなstyleのお店なのですが..
いつの頃からか
毎回、彼女が担当してくれるようになりました
すると 気は心 で
長年の好みが育まれ
短い時間の中でも
痒いところに手が届くような
相手の心遣いが伝わって来るようになり
歳月が人との関係を育むものだなぁ
と つくづく思うこの頃..
この間に彼女はお母さんになり
産休&育休を取ったのちに
昨年の5月から復帰したところです
3週間に一度という周期で
作業の間の短い会話ですけれど..
その人となりを感じて
子どもを保育園に預けて働くママの大変さには
過去の自分と重ね合わせて共感するものがあって
年齢差など無関係に
わかる わかる と話に同調することで
その日の就労時間の少しの癒しになればいいなぁ
と 心からの応援の気持ち
私も
当時 どれだけ周囲の人々に支えられていたことか..
何よりも
心を察して静かに寄り添ってくれる人の存在は
未熟な母親にとって
どれだけありがたいことだったか..
あの時 あの人に出逢っていなかったら
あの時 あの人のさりげない言葉のお陰で
と 感謝することが多々ありました
私にとっていちばん目から鱗だった助言は
その日一日の終わりに
(その日に為すべきことが)
だいたいにおいてできた
というくらいにやれればいいんだよ
どちらかと言うと
(育った環境下での習性もあって)
為すべきことを為すことを自分に強いて
できないことに苛立ちを抱く
そういう 妙な頑張り屋だったのです
けれども
そんな私を見抜いたかのような
大体において=凡そ
という概念に気づかせてくれたのは、
子育ての先輩である方々の経験談でした
凡そ=概ね=だいたい
という ザックリとした大様さは
力みのない心のゆとりに通じる
という学びは
私のその後の子育ての指針となりました
例えれば
お料理のレシピのように
何でも可視化=分量化することは
ある意味の一律の結果(味)にはなるけれど
少しでも誤差が生じると
少しでも誤差が生じると
それはあたかも失敗であるかのような..
(お料理なら まずくても食べられる)
いつの時代も
何を基準としているのか?
というような
周囲の価値観からの強迫観念に陥いらされる
そういう
自分を縛っている自分からの解放
その瞬間から見えてくるものこそが
その人に適した味わい(価値観)になって行くのだ
ということを
若い世代の方にも気づいて欲しい..
あら
白髪染めの話だったのに..(笑)
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