2010年 ~2011年冬~春 夫様と過ごした喜びの笑顔(+ 再生リスト)
昨日は夫様の50歳の誕生日であった・・・
せめて半世紀は生きて欲しかった願う私がいる・・・
そして子供たちの合格をともに喜びたかった・・・
娘は夫様が亡くなってから、まるで恋人を失ったかのようでいた・・・
息子は夫様の死を受け入れずにいた・・・
私は夫様が亡くなった直後、自分の悲しみは決して子供たちの前では見せずにひたすら悲しみに耐えながら夫様の誕生日を迎えることができた・・・
私の居場所がないまま時が流れて、溢れ出てくる涙はひとりっきりの時に流れさっていった・・・
時がいつのまにか少しずつ癒やしてくれて、私や子供たちの心には夫様が生き続けている・・・
娘はこのままではいけない!と開き直り、遺伝子医学の研究を志し、行きたい東京の国立大学の大学院入試に向けて勉学に勤しんだ!
難関突破に見事に合格をし、ゼミの先生方々は合格は難しいと思っていたのでそれは驚き喜んでくださった!
娘もそれはそれは喜んで、今は卒業試験に国家試験に向けて頑張っている・・・
息子はこつこつと自分の道を切り開く娘とは180度違って、なかなか志望大学も決まらずなぜかいきあたりばったりで、どうでもいいという感じであった!
しかし、息子なりに志望大学も決まり、たくさんの方たちのおかげで、奨学金の給付生として、全国難関突破で学校代表に選ばれ、その条件として国公立大学の指定校に入学することであった!
それも昨日の夫様の誕生日に息子は見事に国公立大学の指定校でもある志望大学に合格できた!
夫様にとったら、最高に嬉しいお誕生日プレゼントではないだろうか・・・
目を閉じると大喜びしている夫様の姿が目に浮かぶ・・・
今も私も子供たちは夫様に向かって、「おやじ~!パ~リン!ぱ~ちゃん!」と話かけている・・・
昨日はケーキに5本のろうそくに火をつけて一緒にお祝いして・・・
これからも永遠に夫様とともに子供たちと生き続けていく私がいる・・・
昨日は夫様の50歳の誕生日であった・・・
せめて半世紀は生きて欲しかった願う私がいる・・・
そして子供たちの合格をともに喜びたかった・・・
娘は夫様が亡くなってから、まるで恋人を失ったかのようでいた・・・
息子は夫様の死を受け入れずにいた・・・
私は夫様が亡くなった直後、自分の悲しみは決して子供たちの前では見せずにひたすら悲しみに耐えながら夫様の誕生日を迎えることができた・・・
私の居場所がないまま時が流れて、溢れ出てくる涙はひとりっきりの時に流れさっていった・・・
時がいつのまにか少しずつ癒やしてくれて、私や子供たちの心には夫様が生き続けている・・・
娘はこのままではいけない!と開き直り、遺伝子医学の研究を志し、行きたい東京の国立大学の大学院入試に向けて勉学に勤しんだ!
難関突破に見事に合格をし、ゼミの先生方々は合格は難しいと思っていたのでそれは驚き喜んでくださった!
娘もそれはそれは喜んで、今は卒業試験に国家試験に向けて頑張っている・・・
息子はこつこつと自分の道を切り開く娘とは180度違って、なかなか志望大学も決まらずなぜかいきあたりばったりで、どうでもいいという感じであった!
しかし、息子なりに志望大学も決まり、たくさんの方たちのおかげで、奨学金の給付生として、全国難関突破で学校代表に選ばれ、その条件として国公立大学の指定校に入学することであった!
それも昨日の夫様の誕生日に息子は見事に国公立大学の指定校でもある志望大学に合格できた!
夫様にとったら、最高に嬉しいお誕生日プレゼントではないだろうか・・・
目を閉じると大喜びしている夫様の姿が目に浮かぶ・・・
今も私も子供たちは夫様に向かって、「おやじ~!パ~リン!ぱ~ちゃん!」と話かけている・・・
昨日はケーキに5本のろうそくに火をつけて一緒にお祝いして・・・
これからも永遠に夫様とともに子供たちと生き続けていく私がいる・・・