夫様が亡くなってから10ヶ月・・・
横浜赤レンガ倉庫
こちら湘南あたたかな春の陽射が眩しい1日だったかしら?
昨日は東日本大震災から3年の月日が経つ・・・
夫様が亡くなって共に家族を亡くした被災者の方々の気持ちに少しでも近づくことができたのだろうか・・・
これからも決して忘れてはならない東日本大震災・・・
いつかまた被災地へ訪れることに願いをこめて・・・
被災者の皆様に幸せな笑顔が訪れることに祈りをこめて・・・
昨日は在宅就業の研修でもあり、どうしても横浜赤レンガ倉庫に行きたくなり・・・
たった15分ほどの撮影でしか楽しめなかったのだが・・・
駆け足で赤レンガ倉庫を去り、なっなんと方向音痴の私は迷いごになり、大変!
研修に間に合わずタクシーに乗り、遅刻してしまい・・・
研修後、お友達が関内から桜木町と横浜までナビゲーターしてくれた!
ウィンドウショッピングしたりしながら、本屋へ行っては課題のお勉強したり・・・
さすが浜っ子のお友達は完璧のナビで・・・
そして本当に夫様が亡くなって以来かしら?
お久しぶりに居酒屋で乾杯して美味しい夕食を頂いたかしら?
とても楽しいひとときで大笑いしてばかりだったかしら?
こちら湘南あたたかな春の陽射が眩しい1日だったかしら?
昨日は東日本大震災から3年の月日が経つ・・・
夫様が亡くなって共に家族を亡くした被災者の方々の気持ちに少しでも近づくことができたのだろうか・・・
これからも決して忘れてはならない東日本大震災・・・
いつかまた被災地へ訪れることに願いをこめて・・・
被災者の皆様に幸せな笑顔が訪れることに祈りをこめて・・・
昨日は在宅就業の研修でもあり、どうしても横浜赤レンガ倉庫に行きたくなり・・・
たった15分ほどの撮影でしか楽しめなかったのだが・・・
駆け足で赤レンガ倉庫を去り、なっなんと方向音痴の私は迷いごになり、大変!
研修に間に合わずタクシーに乗り、遅刻してしまい・・・
研修後、お友達が関内から桜木町と横浜までナビゲーターしてくれた!
ウィンドウショッピングしたりしながら、本屋へ行っては課題のお勉強したり・・・
さすが浜っ子のお友達は完璧のナビで・・・
そして本当に夫様が亡くなって以来かしら?
お久しぶりに居酒屋で乾杯して美味しい夕食を頂いたかしら?
とても楽しいひとときで大笑いしてばかりだったかしら?
みなとみらいのクリスマスイルミネーション♪
こちら湘南大雨と思ったら、おひさまが出たり入ったりと慌ただしい1日だったかしら?
昨日は在宅就業の為の研修が横浜で行われた・・・
その合間3ヶ月ぶりのカメラ撮影を楽しんだかしら?
皆様にもちょこっと早いクリスマスプレゼントかしら?
こちら湘南大雨と思ったら、おひさまが出たり入ったりと慌ただしい1日だったかしら?
昨日は在宅就業の為の研修が横浜で行われた・・・
その合間3ヶ月ぶりのカメラ撮影を楽しんだかしら?
皆様にもちょこっと早いクリスマスプレゼントかしら?
2013年 春の想い出
今日で夫様が亡くなってから5ヶ月の月日が流れている・・・
私の心はまだ夫様が亡くなった瞬間から時が止まったままでいる・・・
まだこの世に夫様がいないことが信じられないでいる・・・
このブログの完結も書き続けることができず、今は夫様のことを想い出すことができないくらいわざと仕事に関連する勉強をいくつとも掛け持ちしながらと忙しくしている私がいる・・
そうでもしないと悲しみにうたれて崩れていく私が目に浮かぶからである・・・
こんな風にブログを書けたのも夫様がいたから・・・
そして私は夫様に読んで欲しくて見て欲しくてブログを書き続けたことができた・・・
そしてこのブログを通じて出会えて見守ってくださった皆様のおかげだと・・・
そして私達家族をたくさんの方達に見守られながら、夫様との幸せなひとときを過ごせたことに感謝の気持ちでいっぱいの言葉で満たされている・・・
そして夫様のためにたくさんの花束とお便りとお香典とたくさんの方達が訪れて会いに来てくださって、そして夫様のために泣いてくださってお褒めのお言葉もたくさん頂き、そしてたくさんの方達に支えて頂き、本当にありがとうの気持ちの感謝ばかりである・・・
動画をつくることが続けられたのも夫様を支えてくださった皆様のおかげ・・・
そしてこのブログをもとに出版することを勧めてくださっている出版社の方達のおかげでまた今の私の気持ちを素直に描いていこうと試みる・・・
今というひとときを忘れないうち記憶のある限り、時間がある限り夫様との想い出をこのブログに書き残そうと・・・
そして夫様の生きた証しを本に残せたら、きっと夫様は天国から「さすがまちゃこ!やっぱり僕にとってまちゃこは最高の恋人さ!」な~んて笑いながらささやいてくれるかしら?
今日で夫様が亡くなってから5ヶ月の月日が流れている・・・
私の心はまだ夫様が亡くなった瞬間から時が止まったままでいる・・・
まだこの世に夫様がいないことが信じられないでいる・・・
このブログの完結も書き続けることができず、今は夫様のことを想い出すことができないくらいわざと仕事に関連する勉強をいくつとも掛け持ちしながらと忙しくしている私がいる・・
そうでもしないと悲しみにうたれて崩れていく私が目に浮かぶからである・・・
こんな風にブログを書けたのも夫様がいたから・・・
そして私は夫様に読んで欲しくて見て欲しくてブログを書き続けたことができた・・・
そしてこのブログを通じて出会えて見守ってくださった皆様のおかげだと・・・
そして私達家族をたくさんの方達に見守られながら、夫様との幸せなひとときを過ごせたことに感謝の気持ちでいっぱいの言葉で満たされている・・・
そして夫様のためにたくさんの花束とお便りとお香典とたくさんの方達が訪れて会いに来てくださって、そして夫様のために泣いてくださってお褒めのお言葉もたくさん頂き、そしてたくさんの方達に支えて頂き、本当にありがとうの気持ちの感謝ばかりである・・・
動画をつくることが続けられたのも夫様を支えてくださった皆様のおかげ・・・
そしてこのブログをもとに出版することを勧めてくださっている出版社の方達のおかげでまた今の私の気持ちを素直に描いていこうと試みる・・・
今というひとときを忘れないうち記憶のある限り、時間がある限り夫様との想い出をこのブログに書き残そうと・・・
そして夫様の生きた証しを本に残せたら、きっと夫様は天国から「さすがまちゃこ!やっぱり僕にとってまちゃこは最高の恋人さ!」な~んて笑いながらささやいてくれるかしら?
2013年春 5月24日 夫様との最期のお別れ・・・
それから夫様の回復を望んだものの人工呼吸を抜管後の危篤状況にICUにかけつけた子供達とともに個室へ夫様とともに移動しました。
簡易ベットはなく看護師さんが子供達に気遣い、ソフャーや机を出してくださいました。
意識が回復しない夫様は酸素マスクをしながら、普通の人の4倍くらいの呼吸をしていました。
その呼吸が傍から見るととても苦しそうに見えるのですが、実際はちがうそうなので、そのことを救命の医師から伝えられた時はほっとした気持ちでした。
夫様の意識が回復することを願いながら、1日中そばについているのですがなかなか願いは叶わずでした。
夫様の大好きなサザンやディスコなどなどよく若き頃聞いていたCDをかけていました。
同じ世代から若い看護師さんたちはとても喜んでおりました。
個室に移動してから3日目にその日に限り救命の医師や看護師からは肺もとてもよい状態であることを伝えられていました。
しかし、夫様の意識がなかなか回復しないで諦めかけていましたら、突然娘は「マ~リン!パ~リンが目をぱっちり開けたよ!私のことがわかるみたい!」と叫び、うとうとしていた私は夫様と娘をぼんやり眺めていました。
娘は痰が絡んで苦しそうな夫様に「看護師さんに痰とってもらう?」と尋ねると夫様はうなずいていました。
私はかすかな希望を持ち救命の医師にも意識がほんのひととき回復した夫様のことをお伝えすると「もしかしたら良くなるかもしれませんね。その時には今度また今回と同じような状況になりましたら、延命するのか人工呼吸をつけるのか旦那様とお話することができるといいですね。」と答えてくださいました。
少し安心したかように娘と我が家に帰り、明日に備えて携帯をかたてに眠りにつきました。
眠りについたころに夜中に携帯の着信音がなり、次に我が家の電話がなり「マ~リン!電話!」と大声で叫んでいる娘の声がしました。
急いで電話をとると病院から「旦那様が夜中から血圧が低い状態が続いています。」と伝えられました。
えっ!良くなるはずの夫様ではなかったのかと・・・
インターハイを控えていた息子をたたき起こして、3人で病院へ向かいました。
病室にはいるなり夫様は一生懸命酸素マスクとともに呼吸をしておりました。
家族みなそろうと不思議に夫様の数値も良くなり、血圧はなんとか朝方正常にもどりひと安心したときに、子供達は疲れきっていました。
娘はなんとか大学のゼミはお休みできたのですが、息子はインターハイに学期末のテストとダブルにかさなり集中できずにいました。
このままでは子供達も倒れ込んでしまうと考え、夫様はなんとか落ち着いたのでタクシーで家に帰ってもらい、息子は学校へ娘は家で待機してもらうことにしました。
子供達の気遣いもなく夫様とふたりっきりになった私はなんとか意識だけでも回復してもらおう!と夫様に話しかけ続けました。
暖かな手を握ったり摘んだり、足もさすったりといたずらをしたりして笑ったりしたりしたけれども反応なく、テレビを見せたりと夫様の反応を私にしてくれることを心待ちにしていました。
CDから流れる曲を聞いては夫様との新婚時代を思い出しては想いにふけっておりました。
いっすいもしていない私は夫様の手を握りながら眠ってしまったり、椅子を並べて爆睡していたり、その合間手厚い介護をしに、看護師さんたちが来ては席をはずし売店に行き朝食昼食などを買い求めていました。
なんとなく夫様からは離れられず私がいなくなるとそのまま天国へ逝ってしまう予感もしておりました。
そんな私を見かねていた医師や看護師が「このままでは奥さんが倒れてしまうから、一度お風呂に入って横になってからきたほうが・・・今夜また呼び出されるかもしれないから・・・今ちょうど落ち着いているから・・・」と好意で看護師さんが私を気遣ってくださいました。
その看護師さんは夫様にむかって「○○さ~ん!奥さん一度家に帰って着替えてくるから~お風呂に入って美人さんになってくるから、待っててあげてね!」と呼びかけていました。
私もこのままいようかとも考えたのですが、今夜も呼び出されるかもしれないので、準備しとかねば!と考え、夫様が落ち着いてる時に我が家へ向かいました。
我が家に着くと娘が疲れきった顔でしたが、しっかりと家事をこなしてくれていました。
私は倒れるようにベットに横たわりました。
寝巻きのままだったのですが着替える力もなくそのままの状態で倒れ込みました。
横になりながら娘と話していると私の携帯の電話の音が鳴りとるとさきほどの看護師さんでした。
「旦那さんが脈拍が20をきったので・・・」と言われ、これは!今まで50近くだったので、急いで準備し病院へ向かおうとしましたら、ふたたび携帯電話が鳴り、「奥さんごめんなさい・・・旦那さんの呼吸が零に・・・本当は言ってはいけないんだけれども急いで運転すると事故にあうと・・・ゆっくり来てください・・・運転気をつけて来てください・・・」
私は娘とうろたえながら車に飛び乗って病院へ向かいました。
病室へ走り続けた私はまるでドラマかのように呼吸の機械は0の数値とともに折れ線グラフの山ががなくなりまっすぐの直線になっていました。
夫様の目元は安らかにつぶり、酸素マスクがそのまま酸素が流れていました。
夫様に触れると冷たくてその一瞬私は大声で泣き始めました。
「パ~リン!もう一度目を開けて!」と目に触れると開くこともありませんでした。
夫様をゆさぶると機械の折れ線が山となり、「り~ちゃん!ほら!パ~リンまだ生きているよ!」と泣け叫ぶ私がいました。
娘は冷静に首を振りながら真っ赤な泣き虫顔して答えました。
私が冷静さを失い、泣き叫び続けている間娘は大学に連絡して夫様の夢でもあった脊髄小脳変性症の研究のための献体をすすめていました。
息子の高校にも連絡しておりました。
私の取り乱す号泣き叫ぶ声がうるさくて病室から出て電話をしている娘でした。
私は泣き崩れて看護師さんも訪れて泣きたいのを我慢して私に謝っておりました。
病院実習を終えていた娘には亡くなっても泣いてはいけないということは聞いていたので、「泣いたらいけないんでしょう・・・本当にありがとうございます・・・」と泣きながら答えるのが精一杯の私でした。
その看護師さんの後ろ姿はひとり泣いて顔をふいている仕草がわすられません。
夫様から管をみなとってもらい、少し冷静になり娘ともこれなら息子も夫様を冷静に見ることはできるよね!なんて言っていたものの、息子が病室にはいってくるやいなや夫様の顔を見るなり、顔を真っ赤にしてシクシクと泣き始めたのです。
私は30分以上の号泣きから覚めたあとだったので、息子にも言葉をかけれずただただ夫様を撫でておりました。
それから安らかに眠る夫様を娘と息子と看護師さんたちと綺麗にタオルでふいてあげて着替えさせて頂き、献体への準備が葬儀屋さんと慌ただしくはじまりました。
それから夫様の回復を望んだものの人工呼吸を抜管後の危篤状況にICUにかけつけた子供達とともに個室へ夫様とともに移動しました。
簡易ベットはなく看護師さんが子供達に気遣い、ソフャーや机を出してくださいました。
意識が回復しない夫様は酸素マスクをしながら、普通の人の4倍くらいの呼吸をしていました。
その呼吸が傍から見るととても苦しそうに見えるのですが、実際はちがうそうなので、そのことを救命の医師から伝えられた時はほっとした気持ちでした。
夫様の意識が回復することを願いながら、1日中そばについているのですがなかなか願いは叶わずでした。
夫様の大好きなサザンやディスコなどなどよく若き頃聞いていたCDをかけていました。
同じ世代から若い看護師さんたちはとても喜んでおりました。
個室に移動してから3日目にその日に限り救命の医師や看護師からは肺もとてもよい状態であることを伝えられていました。
しかし、夫様の意識がなかなか回復しないで諦めかけていましたら、突然娘は「マ~リン!パ~リンが目をぱっちり開けたよ!私のことがわかるみたい!」と叫び、うとうとしていた私は夫様と娘をぼんやり眺めていました。
娘は痰が絡んで苦しそうな夫様に「看護師さんに痰とってもらう?」と尋ねると夫様はうなずいていました。
私はかすかな希望を持ち救命の医師にも意識がほんのひととき回復した夫様のことをお伝えすると「もしかしたら良くなるかもしれませんね。その時には今度また今回と同じような状況になりましたら、延命するのか人工呼吸をつけるのか旦那様とお話することができるといいですね。」と答えてくださいました。
少し安心したかように娘と我が家に帰り、明日に備えて携帯をかたてに眠りにつきました。
眠りについたころに夜中に携帯の着信音がなり、次に我が家の電話がなり「マ~リン!電話!」と大声で叫んでいる娘の声がしました。
急いで電話をとると病院から「旦那様が夜中から血圧が低い状態が続いています。」と伝えられました。
えっ!良くなるはずの夫様ではなかったのかと・・・
インターハイを控えていた息子をたたき起こして、3人で病院へ向かいました。
病室にはいるなり夫様は一生懸命酸素マスクとともに呼吸をしておりました。
家族みなそろうと不思議に夫様の数値も良くなり、血圧はなんとか朝方正常にもどりひと安心したときに、子供達は疲れきっていました。
娘はなんとか大学のゼミはお休みできたのですが、息子はインターハイに学期末のテストとダブルにかさなり集中できずにいました。
このままでは子供達も倒れ込んでしまうと考え、夫様はなんとか落ち着いたのでタクシーで家に帰ってもらい、息子は学校へ娘は家で待機してもらうことにしました。
子供達の気遣いもなく夫様とふたりっきりになった私はなんとか意識だけでも回復してもらおう!と夫様に話しかけ続けました。
暖かな手を握ったり摘んだり、足もさすったりといたずらをしたりして笑ったりしたりしたけれども反応なく、テレビを見せたりと夫様の反応を私にしてくれることを心待ちにしていました。
CDから流れる曲を聞いては夫様との新婚時代を思い出しては想いにふけっておりました。
いっすいもしていない私は夫様の手を握りながら眠ってしまったり、椅子を並べて爆睡していたり、その合間手厚い介護をしに、看護師さんたちが来ては席をはずし売店に行き朝食昼食などを買い求めていました。
なんとなく夫様からは離れられず私がいなくなるとそのまま天国へ逝ってしまう予感もしておりました。
そんな私を見かねていた医師や看護師が「このままでは奥さんが倒れてしまうから、一度お風呂に入って横になってからきたほうが・・・今夜また呼び出されるかもしれないから・・・今ちょうど落ち着いているから・・・」と好意で看護師さんが私を気遣ってくださいました。
その看護師さんは夫様にむかって「○○さ~ん!奥さん一度家に帰って着替えてくるから~お風呂に入って美人さんになってくるから、待っててあげてね!」と呼びかけていました。
私もこのままいようかとも考えたのですが、今夜も呼び出されるかもしれないので、準備しとかねば!と考え、夫様が落ち着いてる時に我が家へ向かいました。
我が家に着くと娘が疲れきった顔でしたが、しっかりと家事をこなしてくれていました。
私は倒れるようにベットに横たわりました。
寝巻きのままだったのですが着替える力もなくそのままの状態で倒れ込みました。
横になりながら娘と話していると私の携帯の電話の音が鳴りとるとさきほどの看護師さんでした。
「旦那さんが脈拍が20をきったので・・・」と言われ、これは!今まで50近くだったので、急いで準備し病院へ向かおうとしましたら、ふたたび携帯電話が鳴り、「奥さんごめんなさい・・・旦那さんの呼吸が零に・・・本当は言ってはいけないんだけれども急いで運転すると事故にあうと・・・ゆっくり来てください・・・運転気をつけて来てください・・・」
私は娘とうろたえながら車に飛び乗って病院へ向かいました。
病室へ走り続けた私はまるでドラマかのように呼吸の機械は0の数値とともに折れ線グラフの山ががなくなりまっすぐの直線になっていました。
夫様の目元は安らかにつぶり、酸素マスクがそのまま酸素が流れていました。
夫様に触れると冷たくてその一瞬私は大声で泣き始めました。
「パ~リン!もう一度目を開けて!」と目に触れると開くこともありませんでした。
夫様をゆさぶると機械の折れ線が山となり、「り~ちゃん!ほら!パ~リンまだ生きているよ!」と泣け叫ぶ私がいました。
娘は冷静に首を振りながら真っ赤な泣き虫顔して答えました。
私が冷静さを失い、泣き叫び続けている間娘は大学に連絡して夫様の夢でもあった脊髄小脳変性症の研究のための献体をすすめていました。
息子の高校にも連絡しておりました。
私の取り乱す号泣き叫ぶ声がうるさくて病室から出て電話をしている娘でした。
私は泣き崩れて看護師さんも訪れて泣きたいのを我慢して私に謝っておりました。
病院実習を終えていた娘には亡くなっても泣いてはいけないということは聞いていたので、「泣いたらいけないんでしょう・・・本当にありがとうございます・・・」と泣きながら答えるのが精一杯の私でした。
その看護師さんの後ろ姿はひとり泣いて顔をふいている仕草がわすられません。
夫様から管をみなとってもらい、少し冷静になり娘ともこれなら息子も夫様を冷静に見ることはできるよね!なんて言っていたものの、息子が病室にはいってくるやいなや夫様の顔を見るなり、顔を真っ赤にしてシクシクと泣き始めたのです。
私は30分以上の号泣きから覚めたあとだったので、息子にも言葉をかけれずただただ夫様を撫でておりました。
それから安らかに眠る夫様を娘と息子と看護師さんたちと綺麗にタオルでふいてあげて着替えさせて頂き、献体への準備が葬儀屋さんと慌ただしくはじまりました。
2012年春 海と桜と夫様との笑顔
去る5月15日夫様の急変に慌てながら、急いで夫様と飛び乗った救急車に私は夫様を我が家に連れて帰るつもりで、救急隊の方に車椅子も乗せてもらいました。
それからは何時間もの間検査検査で、感染はしているのですが、何が原因がわからずそのうち合併症がおきてしまい・・・
まさかと思い、夫様の吐く声が聞こえて祈るように手を合わせながら待合室にいました。
「すぐに来てください!」と言われ、夫様のところへかけつけると、救命の医師が「血圧も下がりこのままでは死んでしまうので、人工呼吸をつけて救命処置させて頂きます。」と言われ、ただただ驚いてうろたえる私でした。
「夫とは延命は希望しないと人工呼吸はつけないと約束しているですが・・・」と救命の医師に伝えると、「お年寄りの方ならこのままで何もしないのですが、旦那様はまだお若いので回復するかもしれないので・・・」と言われました。
「人工呼吸はとれるのですか?」と聞くと「 回復すればとれますが、やってみないとその先のことはわからないので、かけてみたいと・・・」と救命の医師は答えてくださいました。
私ひとりでは判断できず救命の医師に任せるしかないと思い、また良くなることを祈りながら人工呼吸をつけて落ち着いた夫様を見て希望をたくしました。
その後原因がわかり、糞便性イレウスによる大腸菌が血液にまわり、肺血症ショックと脱水症と誤嚥性肺炎の合併症がおきてしまい危ない状態であることを告げられました。
夫様がICUに入り、すぐに子供達の学校に連絡して娘と息子はかけつけてくれました。
しかし、ICUに入って集中治療に入った夫様の姿を見て、私は一瞬言葉を失ってしまいました。
まるでたくさんの管に囲まれながらまるで植物状態かのようにも思えました。
夫様の意識はもどらないまま、私と子供達の声にも反応せずただただ延命との戦いがはじまりました。
次の日に病院へ行くと夫様は自ら人工呼吸の管を噛み手で抜こうとしていました。
そのため拘束もやむ終えず、数値さえよければ人工呼吸の抜管ができると救命の医師から告げられました。
しかし、毎日夫様に会いにいくたび人工呼吸の抜管できる希望を持ちながら、行くと数値がクリアできず人工呼吸が抜管できず意識があったりなかったりの繰り返しでした。
人工呼吸をようやく抜管できる前日、しっかりとした意識が回復していて笑顔の夫様に私は真っ先に「本当にこれでよかったの?人工呼吸つけてよかったの?」と尋ねると、笑顔で顔を下にしてうなずいてくれました。
娘のささやきにも笑いかけてくれていました。
なぜか夫様は娘がいると意識が回復してくれました。
確か私の父が脳腫瘍の手術するときも母の名前を呼ばす私の名前を呼んでいたそうです。
救命の医師と看護師にも夫様にむかって「はやく口から食べれるようになれるといいですね~それまでが楽しみですね~」なんて笑いかけていました。
私はその時に小さな希望の光が差し込んだようにも思えました。
確実に夫様は回復できると信じていました。
今までも何度もの死に目にあってここまで生きぬいてきたから、夫様ならまたもとのように元気になってくれると信じて次の日の人工呼吸の抜管を楽しみに待つことにしました。
人工呼吸の抜管の当日の朝、病院から電話が入り先生からお話があるとのことで、急いで病院へ向かいました。
何か胸騒ぎがして、ICUに入ると夫様の口からようやく人工呼吸ははずれたもの意識がもうろうとしていて、指先足先胸中に血色が帯びていました。
救命の医師と看護師からは、人工呼吸をはずすときも夫様の意識ははっきりとしていたそうです。
ICUでの6日間集中治療もすべて終わり、回復もできて肺も良くなり人工呼吸を抜管できたものの、抜管後またもや危ない状況に、まるで夫様は力つきたような姿でした。
救命の医師からも夫様が元気なうちにお子様達にも会わせてあげたほうがよいとのことで、再び子供達に夫様の危篤状態を連絡いたしました。
その日にはなぜか娘の大学のゼミの黒板に使っているマグネットが落ちて壊れてしまったり、息子のテニスラケットが折れたりと不吉な出来事が起こっておりました・・・
去る5月15日夫様の急変に慌てながら、急いで夫様と飛び乗った救急車に私は夫様を我が家に連れて帰るつもりで、救急隊の方に車椅子も乗せてもらいました。
それからは何時間もの間検査検査で、感染はしているのですが、何が原因がわからずそのうち合併症がおきてしまい・・・
まさかと思い、夫様の吐く声が聞こえて祈るように手を合わせながら待合室にいました。
「すぐに来てください!」と言われ、夫様のところへかけつけると、救命の医師が「血圧も下がりこのままでは死んでしまうので、人工呼吸をつけて救命処置させて頂きます。」と言われ、ただただ驚いてうろたえる私でした。
「夫とは延命は希望しないと人工呼吸はつけないと約束しているですが・・・」と救命の医師に伝えると、「お年寄りの方ならこのままで何もしないのですが、旦那様はまだお若いので回復するかもしれないので・・・」と言われました。
「人工呼吸はとれるのですか?」と聞くと「 回復すればとれますが、やってみないとその先のことはわからないので、かけてみたいと・・・」と救命の医師は答えてくださいました。
私ひとりでは判断できず救命の医師に任せるしかないと思い、また良くなることを祈りながら人工呼吸をつけて落ち着いた夫様を見て希望をたくしました。
その後原因がわかり、糞便性イレウスによる大腸菌が血液にまわり、肺血症ショックと脱水症と誤嚥性肺炎の合併症がおきてしまい危ない状態であることを告げられました。
夫様がICUに入り、すぐに子供達の学校に連絡して娘と息子はかけつけてくれました。
しかし、ICUに入って集中治療に入った夫様の姿を見て、私は一瞬言葉を失ってしまいました。
まるでたくさんの管に囲まれながらまるで植物状態かのようにも思えました。
夫様の意識はもどらないまま、私と子供達の声にも反応せずただただ延命との戦いがはじまりました。
次の日に病院へ行くと夫様は自ら人工呼吸の管を噛み手で抜こうとしていました。
そのため拘束もやむ終えず、数値さえよければ人工呼吸の抜管ができると救命の医師から告げられました。
しかし、毎日夫様に会いにいくたび人工呼吸の抜管できる希望を持ちながら、行くと数値がクリアできず人工呼吸が抜管できず意識があったりなかったりの繰り返しでした。
人工呼吸をようやく抜管できる前日、しっかりとした意識が回復していて笑顔の夫様に私は真っ先に「本当にこれでよかったの?人工呼吸つけてよかったの?」と尋ねると、笑顔で顔を下にしてうなずいてくれました。
娘のささやきにも笑いかけてくれていました。
なぜか夫様は娘がいると意識が回復してくれました。
確か私の父が脳腫瘍の手術するときも母の名前を呼ばす私の名前を呼んでいたそうです。
救命の医師と看護師にも夫様にむかって「はやく口から食べれるようになれるといいですね~それまでが楽しみですね~」なんて笑いかけていました。
私はその時に小さな希望の光が差し込んだようにも思えました。
確実に夫様は回復できると信じていました。
今までも何度もの死に目にあってここまで生きぬいてきたから、夫様ならまたもとのように元気になってくれると信じて次の日の人工呼吸の抜管を楽しみに待つことにしました。
人工呼吸の抜管の当日の朝、病院から電話が入り先生からお話があるとのことで、急いで病院へ向かいました。
何か胸騒ぎがして、ICUに入ると夫様の口からようやく人工呼吸ははずれたもの意識がもうろうとしていて、指先足先胸中に血色が帯びていました。
救命の医師と看護師からは、人工呼吸をはずすときも夫様の意識ははっきりとしていたそうです。
ICUでの6日間集中治療もすべて終わり、回復もできて肺も良くなり人工呼吸を抜管できたものの、抜管後またもや危ない状況に、まるで夫様は力つきたような姿でした。
救命の医師からも夫様が元気なうちにお子様達にも会わせてあげたほうがよいとのことで、再び子供達に夫様の危篤状態を連絡いたしました。
その日にはなぜか娘の大学のゼミの黒板に使っているマグネットが落ちて壊れてしまったり、息子のテニスラケットが折れたりと不吉な出来事が起こっておりました・・・
2012年冬 大好きな夫様へ・・・
去る5月24日、夫様は肺炎のため、急逝いたしました。享年49歳でございました。
去る5月14日はいつもと変わらずとても元気な夫様で、夕方に我が家のお風呂での入浴を訪問看護師と訪問リハビリ師に気持ちよく入れて頂きました。
夕飯もしっかり美味しそうに食べていて、気持ちよさそうに寝ついた夫様でした。
その日の夕飯は美味しいパンとお手製の野菜スープで、なぜか乾物を入れたいつもとちがった一味のある野菜スープでした。
野菜嫌いの息子は珍しくこれは美味しい!となっなんとお鍋に残っている野菜スープを全部食べてしまったのです。
いつも夫様の腕枕で寝る私ですが、寝相の悪い私は夫様の腕から転げることはいつものごとくでした。
必ず低血圧の私は夫様にたたき起こされるのが日課なのですが、なかなか起きれないので結婚当時はいつも起こしてもらっていました。
去る5月15日の早朝に私の隣で寝ている夫様が動く気配を感じ、目を覚ますと夫様は気を失っているようでした。
一瞬私は焦り、カテーテルを確認したのですが、きちんと尿は出ていたのですが血尿に近い色でした。
これはいつもと違う様子なので、急いで夫様を車椅子に乗せて様子を見ていましたら、夫様が2回ほどうつむいたまま私に微笑んでくれたのです。
意識があると思い、呼びかけながらお薬を水で飲ませようとしましたら、飲まないのでこれは!と思い急いで病院へ連絡し、救急車を呼びました。
その時の夫様はとても気持ちよさそうに眠っているかのように呼吸をしておりました。
きっとその時に夫様が微笑んでくれたのは私への最期のお別れの挨拶かのように今も感じております・・・
去る5月24日、夫様は肺炎のため、急逝いたしました。享年49歳でございました。
去る5月14日はいつもと変わらずとても元気な夫様で、夕方に我が家のお風呂での入浴を訪問看護師と訪問リハビリ師に気持ちよく入れて頂きました。
夕飯もしっかり美味しそうに食べていて、気持ちよさそうに寝ついた夫様でした。
その日の夕飯は美味しいパンとお手製の野菜スープで、なぜか乾物を入れたいつもとちがった一味のある野菜スープでした。
野菜嫌いの息子は珍しくこれは美味しい!となっなんとお鍋に残っている野菜スープを全部食べてしまったのです。
いつも夫様の腕枕で寝る私ですが、寝相の悪い私は夫様の腕から転げることはいつものごとくでした。
必ず低血圧の私は夫様にたたき起こされるのが日課なのですが、なかなか起きれないので結婚当時はいつも起こしてもらっていました。
去る5月15日の早朝に私の隣で寝ている夫様が動く気配を感じ、目を覚ますと夫様は気を失っているようでした。
一瞬私は焦り、カテーテルを確認したのですが、きちんと尿は出ていたのですが血尿に近い色でした。
これはいつもと違う様子なので、急いで夫様を車椅子に乗せて様子を見ていましたら、夫様が2回ほどうつむいたまま私に微笑んでくれたのです。
意識があると思い、呼びかけながらお薬を水で飲ませようとしましたら、飲まないのでこれは!と思い急いで病院へ連絡し、救急車を呼びました。
その時の夫様はとても気持ちよさそうに眠っているかのように呼吸をしておりました。
きっとその時に夫様が微笑んでくれたのは私への最期のお別れの挨拶かのように今も感じております・・・
花は咲く 花は咲くプロジェクト cover:伸[nobu]
こちら湘南昨日に続き春ほころびも先取り初夏のような季節かしら?
明日で東日本大震災から2年の月日が流れていく・・・
3月11日が近づくにつれてたくさんの報道が流れている・・・
そのひとつひとつを心に刻み込めながら、忘れてはいけないという想いでいっぱいである・・・
もし我が家がその立場におかれたら今のように平穏に家族とともに過ごせることはできなかったであろう・・・
私にできることはほんのひとりにぎりしかないが、募金買い物では東北産のものをそして被災地へ訪れることぐらいである・・・
復興もまだまだであることの驚きには報道を通じてしかわからない・・・
もっともっとたくさんの声を上げて日本がひとつになり、復興に全力できずきあげていかねばならないのではないか!と強く感じてしまう・・・
日本中み~んながひとつの気持ちになり花が咲きますように・・・という想いを込めて・・・
我が家のふきのとうのように春の訪れがきますように・・・
そして我が家のお花たちが笑顔いっぱいに咲き始めるそんな想いを込めて・・・
被災地の皆様の幸せと笑顔を祈るばかりである・・・
こちら湘南昨日に続き春ほころびも先取り初夏のような季節かしら?
明日で東日本大震災から2年の月日が流れていく・・・
3月11日が近づくにつれてたくさんの報道が流れている・・・
そのひとつひとつを心に刻み込めながら、忘れてはいけないという想いでいっぱいである・・・
もし我が家がその立場におかれたら今のように平穏に家族とともに過ごせることはできなかったであろう・・・
私にできることはほんのひとりにぎりしかないが、募金買い物では東北産のものをそして被災地へ訪れることぐらいである・・・
復興もまだまだであることの驚きには報道を通じてしかわからない・・・
もっともっとたくさんの声を上げて日本がひとつになり、復興に全力できずきあげていかねばならないのではないか!と強く感じてしまう・・・
日本中み~んながひとつの気持ちになり花が咲きますように・・・という想いを込めて・・・
我が家のふきのとうのように春の訪れがきますように・・・
そして我が家のお花たちが笑顔いっぱいに咲き始めるそんな想いを込めて・・・
被災地の皆様の幸せと笑顔を祈るばかりである・・・
こちら湘南曇り空から時々おひさまが覗いてお天気模様かしら?
さて昨日は午後からの私と夫様の通院日でもあった!
さすがに運転怖さ中止しようかと思っていたのだが・・・
午前中にマッサージの方が見えて道路状況などの様子を伺ったところ・・・
いちかばちがでいってみよう!ということになり、急いで雪かきもせずに病院へ向かった!
そしたらなっなんと車に上にのっていた雪が信号待ちの時に急に目の前に次から次へ落ちてきた!
ワイパーも動かずこれはまずい!と停止ウインカーを出し、急いで前を雪かきをし始めた!
なんともお恥ずかしいこと・・・追い越していく車が驚いているのだ!
あ~だから行くのやめようっていったのに~と夫様にブチブチと愚痴り始めた!
しかし、無事病院にも到着して私のリウマチの注射投与もすみ、次は夫様の通院リハビリへの病院へ!
無事こちらも到着したもののやはり外来の患者さんはほとんどお休みのようでした!
帰りも夕陽も沈み路面が凍るのが怖いので、はやく帰ろうよ~と夫様に言うと・・・
お昼ぬきだったのでお腹が空いたとのことで・・・
リクエストにお答えしていつものお店へ!
もう5時近かったので、訪れる方達も少なく・・・
お店に入る前かもめの集団を見つけて!
大忙しでの1枚だけカメラで!パチリ!
お店では最後のお客様!
魚華のお店からの湘南の夜景わかるかしら?
もちろん注文は海鮮鍋!さてお鍋を開けてみると!
さて昨日は午後からの私と夫様の通院日でもあった!
さすがに運転怖さ中止しようかと思っていたのだが・・・
午前中にマッサージの方が見えて道路状況などの様子を伺ったところ・・・
いちかばちがでいってみよう!ということになり、急いで雪かきもせずに病院へ向かった!
そしたらなっなんと車に上にのっていた雪が信号待ちの時に急に目の前に次から次へ落ちてきた!
ワイパーも動かずこれはまずい!と停止ウインカーを出し、急いで前を雪かきをし始めた!
なんともお恥ずかしいこと・・・追い越していく車が驚いているのだ!
あ~だから行くのやめようっていったのに~と夫様にブチブチと愚痴り始めた!
しかし、無事病院にも到着して私のリウマチの注射投与もすみ、次は夫様の通院リハビリへの病院へ!
無事こちらも到着したもののやはり外来の患者さんはほとんどお休みのようでした!
帰りも夕陽も沈み路面が凍るのが怖いので、はやく帰ろうよ~と夫様に言うと・・・
お昼ぬきだったのでお腹が空いたとのことで・・・
リクエストにお答えしていつものお店へ!
もう5時近かったので、訪れる方達も少なく・・・
お店に入る前かもめの集団を見つけて!
大忙しでの1枚だけカメラで!パチリ!
お店では最後のお客様!
魚華のお店からの湘南の夜景わかるかしら?
もちろん注文は海鮮鍋!さてお鍋を開けてみると!
こちら湘南とても暖かなお天気日和で風がちょっぴり冷たい1日だったかしら?
元旦は大忙しのおせちとお雑煮でのお祝いで記念撮影もまったなしでこれだけのみ!
2日目からは突然の喉風邪に追われた娘・・・
私も追うように風邪をひき、元旦明けから関節リウマチに襲われ、夜明けに痛みに耐え切れず夫様に「救急車呼んで~!」と叫び続けていた!
体もだるくあちこちと突然の痛みに襲われ、年明けでの診察で痛み止めを頂き、更に注射も投与しようやく落ち着いてきたかしら?
というわけで元旦以来の初撮りに挑戦!
カメラを持つが手ブレが多く、せっかくのカワセミとの出会いも撮りはずしで無念!
我が家のみかんを美味しそうに食べるメジロも撮りにがしで残念!
大好きなハーブと愛犬もんちゃんの笑顔がとても輝いていたかしら?
冬の椿がバラのようで愛犬もんちゃんのお鼻のてっぺんと一緒に真っ赤っか!
横浜育ちのシクラメンが嬉しそうに咲き並び哀愁が漂う愛犬もんちゃんかしら?
健康であることの大切さと初撮りの喜びを噛み締めて今年も素敵な写真が撮れます様に・・・
元旦は大忙しのおせちとお雑煮でのお祝いで記念撮影もまったなしでこれだけのみ!
2日目からは突然の喉風邪に追われた娘・・・
私も追うように風邪をひき、元旦明けから関節リウマチに襲われ、夜明けに痛みに耐え切れず夫様に「救急車呼んで~!」と叫び続けていた!
体もだるくあちこちと突然の痛みに襲われ、年明けでの診察で痛み止めを頂き、更に注射も投与しようやく落ち着いてきたかしら?
というわけで元旦以来の初撮りに挑戦!
カメラを持つが手ブレが多く、せっかくのカワセミとの出会いも撮りはずしで無念!
我が家のみかんを美味しそうに食べるメジロも撮りにがしで残念!
大好きなハーブと愛犬もんちゃんの笑顔がとても輝いていたかしら?
冬の椿がバラのようで愛犬もんちゃんのお鼻のてっぺんと一緒に真っ赤っか!
横浜育ちのシクラメンが嬉しそうに咲き並び哀愁が漂う愛犬もんちゃんかしら?
健康であることの大切さと初撮りの喜びを噛み締めて今年も素敵な写真が撮れます様に・・・