高校時代からの友人山口宮司が守り通している氷川神社の祭礼に行ってきました。
宮司には長男長女次女の3人の子供がいます、長男は大学で神道を学んでいるので長女が父親の右腕としてお払いや実務等のお手伝いをしています、今戸神社や愛宕神社も女性神主さんが話題を呼んでいますが、氷川神社の長女も凛とした綺麗な人で馬に乗る姿も絵になります。長男次女も神社関連のお手伝いをするとても素晴らしい家族です。
今年亡くなった氷川神社祭礼が大好きだった「たくちゃん」の写真を仲間が神輿の前に掲げ供養します、私も胸が熱くなり仲間の気持ちが伝わり目頭が熱くなりました(仲が良かった・かずちゃんも担いでいます)・・・・良い仲間がいて良かったね「たくちゃん」。てっちゃん・けんちゃんお疲れ!
昨年は屋台が1件も出て無くて心配していたが今年は14件出ていて一安心・祭と言えば縁日は付き物で子供達の楽しみでも有り裸電球は祭の雰囲気を盛り上げる道具の一つだと思う。
「諌鼓鳥(かんことり)」とは、その諌鼓が打ち鳴らされることがなく、即ち天下泰平であるため、鳥が留まることから出た言葉とされている。このことから天下泰平であって欲しいとの願いをこめて、全国的に祭りの山車に「諌鼓」の上に鳥を配した諌鼓鳥の山車がでる。鳥は鳳凰ではなく、一般的に「にわとり」風の鳥が多い
氷川神社は笛や拡声器はありません、桐若囃子が奏でる横笛・鐘・太鼓で調子を合わせ神輿を担ぐ最高の祭です。
宮司から頂いたお土産・・・感謝!
旧・桐ヶ谷村(現在の西五反田)の鎮守。創建は不詳だが、『新編武蔵風土記』に「元禄年中より社地免除あり」という記述があるところから、それ以前に、大宮の氷川神社の御分霊を迎えたものであろう。明治41年(1908)村内の諏訪神社・八幡神社・廣智神社を合祀した。
境内の湧き水は「氷川の滝」「氷川の懸泉」と呼ばれ、江戸七瀑布の一つに数えられるという。
宮司には長男長女次女の3人の子供がいます、長男は大学で神道を学んでいるので長女が父親の右腕としてお払いや実務等のお手伝いをしています、今戸神社や愛宕神社も女性神主さんが話題を呼んでいますが、氷川神社の長女も凛とした綺麗な人で馬に乗る姿も絵になります。長男次女も神社関連のお手伝いをするとても素晴らしい家族です。
今年亡くなった氷川神社祭礼が大好きだった「たくちゃん」の写真を仲間が神輿の前に掲げ供養します、私も胸が熱くなり仲間の気持ちが伝わり目頭が熱くなりました(仲が良かった・かずちゃんも担いでいます)・・・・良い仲間がいて良かったね「たくちゃん」。てっちゃん・けんちゃんお疲れ!
昨年は屋台が1件も出て無くて心配していたが今年は14件出ていて一安心・祭と言えば縁日は付き物で子供達の楽しみでも有り裸電球は祭の雰囲気を盛り上げる道具の一つだと思う。
「諌鼓鳥(かんことり)」とは、その諌鼓が打ち鳴らされることがなく、即ち天下泰平であるため、鳥が留まることから出た言葉とされている。このことから天下泰平であって欲しいとの願いをこめて、全国的に祭りの山車に「諌鼓」の上に鳥を配した諌鼓鳥の山車がでる。鳥は鳳凰ではなく、一般的に「にわとり」風の鳥が多い
氷川神社は笛や拡声器はありません、桐若囃子が奏でる横笛・鐘・太鼓で調子を合わせ神輿を担ぐ最高の祭です。
宮司から頂いたお土産・・・感謝!
旧・桐ヶ谷村(現在の西五反田)の鎮守。創建は不詳だが、『新編武蔵風土記』に「元禄年中より社地免除あり」という記述があるところから、それ以前に、大宮の氷川神社の御分霊を迎えたものであろう。明治41年(1908)村内の諏訪神社・八幡神社・廣智神社を合祀した。
境内の湧き水は「氷川の滝」「氷川の懸泉」と呼ばれ、江戸七瀑布の一つに数えられるという。
「がんばろう日本!!
東日本大震災復興支援
第55回東京高円寺阿波おどり」
高円寺阿波踊りは、
高円寺商店街の振興と氷川神社の祭礼の奉納の為に始まった。企画は現在の高円寺南商店街振興組合に設立された青年部によって行われ、初は神輿などが企画されていたが青年会の若いメンバーの平凡な祭りを拒絶。他のアイデアが検討された・・・・
阿波踊りで見る・・・・神輿も有りかな?
でも笛と拡声器・残念!
高円寺に着いたのがお昼頃、場所取りに多くの人がいたが・・・?30分前に世話人が茣蓙を用意してくれて其処に座るのがルール私もタイミングよく据わることが出来たラッキー
いよいよカウントダウン、スタート地点から笛・太鼓・鉦が聞こえてきました。観客も拍手で迎えます。
クリックすると拡大
友人の西垣君兄妹も「粋連」先頭で頑張っています。
高校同級生「びっくり連」連長・増田君も大太鼓で盛上げています・・・貫禄あるね!
商店街の振興という現代的な目的を持って始まった高円寺阿波踊りだが、今では本場徳島の阿波踊りにも負けない勢いを持っている。その裏には、長年にわたる努力があったのだ。
いま一つ盛り上がらない高円寺ばか踊りに一時期は祭りの中止も検討されたという。しかし開催から4年後の36年に転機がやってきた。
「祭りを発展させるなら徳島の人に踊りを教えてもらわないと」。青年会のメンバーは東京にある徳島関連の事務所を尋ねて回り、「徳島新聞」の東京支社で記者をする谷田匡さんの協力を得る事に成功。江東区木場にある徳島県出身者による「木場連」に指導をしてもらう事となる。
若者が木場に通い、基礎からの厳しい指導を受け、それから4年後、見られる高円寺の阿波踊りになった
さらなる技術の向上を目指し
真の阿波踊りを求めて単身徳島に向かった。徳島の様子を8ミリで撮影を行い、帰京してすぐに映写会を開いた。本場の阿波踊りを見て、少なからずショックを受けた有志が昭和40年に12人が「阿波踊り留学」と称して徳島に旅立ったのだ。
東日本大震災復興支援
第55回東京高円寺阿波おどり」
高円寺阿波踊りは、
高円寺商店街の振興と氷川神社の祭礼の奉納の為に始まった。企画は現在の高円寺南商店街振興組合に設立された青年部によって行われ、初は神輿などが企画されていたが青年会の若いメンバーの平凡な祭りを拒絶。他のアイデアが検討された・・・・
阿波踊りで見る・・・・神輿も有りかな?
でも笛と拡声器・残念!
高円寺に着いたのがお昼頃、場所取りに多くの人がいたが・・・?30分前に世話人が茣蓙を用意してくれて其処に座るのがルール私もタイミングよく据わることが出来たラッキー
いよいよカウントダウン、スタート地点から笛・太鼓・鉦が聞こえてきました。観客も拍手で迎えます。
クリックすると拡大
友人の西垣君兄妹も「粋連」先頭で頑張っています。
高校同級生「びっくり連」連長・増田君も大太鼓で盛上げています・・・貫禄あるね!
商店街の振興という現代的な目的を持って始まった高円寺阿波踊りだが、今では本場徳島の阿波踊りにも負けない勢いを持っている。その裏には、長年にわたる努力があったのだ。
いま一つ盛り上がらない高円寺ばか踊りに一時期は祭りの中止も検討されたという。しかし開催から4年後の36年に転機がやってきた。
「祭りを発展させるなら徳島の人に踊りを教えてもらわないと」。青年会のメンバーは東京にある徳島関連の事務所を尋ねて回り、「徳島新聞」の東京支社で記者をする谷田匡さんの協力を得る事に成功。江東区木場にある徳島県出身者による「木場連」に指導をしてもらう事となる。
若者が木場に通い、基礎からの厳しい指導を受け、それから4年後、見られる高円寺の阿波踊りになった
さらなる技術の向上を目指し
真の阿波踊りを求めて単身徳島に向かった。徳島の様子を8ミリで撮影を行い、帰京してすぐに映写会を開いた。本場の阿波踊りを見て、少なからずショックを受けた有志が昭和40年に12人が「阿波踊り留学」と称して徳島に旅立ったのだ。
東京・下町の夏の風物詩である隅田川花火大会が一ヶ月遅れの27日夜、台東区と墨田区に跨る会場で開かれ、約20000発の花火が夏の夜空を彩った。
今年もとんかつ「はせがわ」の前に大勢の仲間が集まりました。
河川敷で川幅も狭く、ビルが建ち並ぶため、最高5号までしかあがりません、 第1会場と第2会場あわせて打上数が2万発と都内では最大規模の大会です。 「はせがわ」は第一会場には近いのですがビルに邪魔され間近で迫力のある音と火薬の匂いを嗅ぎながら1.5キロ離れた第二会場の花火を見ながら楽しみました。
「かぎやぁ~」「たまやぁ~」「両国川開き」(現在の隅田川の花火)での 鍵屋と玉屋の競演に、 江戸っ子達がかけ声で屋号を叫んだのが始まり ・・・たけやぁ~
さきちゃん・たまちゃん酒巻家の姉妹も拍手で喜んでいます・・・・!
東北大震災・福島原発事故の復旧復興を心から願う事も含め行われて良かったと思う。
隅田川花火大会は歴史的記録から両国の花火最古となっている。記録によれば江戸時代、享保17年(1732)の大飢餓で多くの餓死者が出、更に疫病が流行し国勢に多大な被害と影響を与えた。幕府(8代将軍吉宗)は、翌18年(1733)5月28日(旧暦)犠牲となった人々の慰霊と悪病退散を祈り、隅田川で水神祭を行った。この時に、両国橋周辺の料理屋が公許(許可)により花火を上げたことが由来とされている。
歴史ある隅田川の花火は全国に知れ渡っているが、「隅田川花火大会」の名称は昭和53年からと意外と新しい名称です。その前の名称は「両国の川開き」で昭和36年まで使用され翌年(昭和37年)交通事情の悪化に伴い開催されなくなった。昭和53年「隅田川花火大会」と名して、ビルで囲まれた隅田川で復活した。また、打上場所も上流へ移動し、打上会場も2ヶ所となって多くの方々に観ていただける配慮が施されている
今年もとんかつ「はせがわ」の前に大勢の仲間が集まりました。
河川敷で川幅も狭く、ビルが建ち並ぶため、最高5号までしかあがりません、 第1会場と第2会場あわせて打上数が2万発と都内では最大規模の大会です。 「はせがわ」は第一会場には近いのですがビルに邪魔され間近で迫力のある音と火薬の匂いを嗅ぎながら1.5キロ離れた第二会場の花火を見ながら楽しみました。
「かぎやぁ~」「たまやぁ~」「両国川開き」(現在の隅田川の花火)での 鍵屋と玉屋の競演に、 江戸っ子達がかけ声で屋号を叫んだのが始まり ・・・たけやぁ~
さきちゃん・たまちゃん酒巻家の姉妹も拍手で喜んでいます・・・・!
東北大震災・福島原発事故の復旧復興を心から願う事も含め行われて良かったと思う。
隅田川花火大会は歴史的記録から両国の花火最古となっている。記録によれば江戸時代、享保17年(1732)の大飢餓で多くの餓死者が出、更に疫病が流行し国勢に多大な被害と影響を与えた。幕府(8代将軍吉宗)は、翌18年(1733)5月28日(旧暦)犠牲となった人々の慰霊と悪病退散を祈り、隅田川で水神祭を行った。この時に、両国橋周辺の料理屋が公許(許可)により花火を上げたことが由来とされている。
歴史ある隅田川の花火は全国に知れ渡っているが、「隅田川花火大会」の名称は昭和53年からと意外と新しい名称です。その前の名称は「両国の川開き」で昭和36年まで使用され翌年(昭和37年)交通事情の悪化に伴い開催されなくなった。昭和53年「隅田川花火大会」と名して、ビルで囲まれた隅田川で復活した。また、打上場所も上流へ移動し、打上会場も2ヶ所となって多くの方々に観ていただける配慮が施されている
さいたま市誕生10周年記念事業・大宮夏祭り
心はひとつ ともに明日へ・・・・東日本復興祈念
メインとなる2日は御輿揃い渡御、山車揃い巡行の他に、民踊や高円寺などからの招待連を含む阿波踊り、和太鼓の演奏なども行われます。
また、沿道に立ち並ぶ露店(2日のみ)がお祭りの雰囲気をいっそう盛り上げます。
■日時
平成23年8月1日(月)・2日(火)
※雨天決行(天候不良の場合、一部実施内容について変更・中止になる場合があります。)
1日:17時~21時(交通規制同時刻)
2日:17時~22時(交通規制同時刻)
■会場
大宮駅東口周辺(大宮区)
さいたま市の大宮駅東口でメインとなる8月2日(火)17:00~22:00は、御輿揃い渡御、山車揃い巡行(5基の山車が巡行)、12連800人が参加する民踊輪踊り、高円寺「菊水連」ほか地元大宮「氷川連」「宮美連」など全9連が参加する阿波踊り、和太鼓演奏(中仙道沿い高島屋前)や大宮若鳶会のはしご乗りなどを実施。8月2日(火)18:30~のお囃子競演(駅前中央通り)は必見。
中仙道まつり
いつの頃からか神輿を担ぐ時、調子を取るのに「おいさ」「ピピ」「わっしょい」「ピピ」・・・「ピピ」の笛・ハンドマイクは要らないだろう?うるさくてしょうがない
御霊の入った御神輿を担ぎ豊作や無病息災・健康などを願い担ぐことが、パレードに変わりつつある・・・・・?
心はひとつ ともに明日へ・・・・東日本復興祈念
メインとなる2日は御輿揃い渡御、山車揃い巡行の他に、民踊や高円寺などからの招待連を含む阿波踊り、和太鼓の演奏なども行われます。
また、沿道に立ち並ぶ露店(2日のみ)がお祭りの雰囲気をいっそう盛り上げます。
■日時
平成23年8月1日(月)・2日(火)
※雨天決行(天候不良の場合、一部実施内容について変更・中止になる場合があります。)
1日:17時~21時(交通規制同時刻)
2日:17時~22時(交通規制同時刻)
■会場
大宮駅東口周辺(大宮区)
さいたま市の大宮駅東口でメインとなる8月2日(火)17:00~22:00は、御輿揃い渡御、山車揃い巡行(5基の山車が巡行)、12連800人が参加する民踊輪踊り、高円寺「菊水連」ほか地元大宮「氷川連」「宮美連」など全9連が参加する阿波踊り、和太鼓演奏(中仙道沿い高島屋前)や大宮若鳶会のはしご乗りなどを実施。8月2日(火)18:30~のお囃子競演(駅前中央通り)は必見。
中仙道まつり
いつの頃からか神輿を担ぐ時、調子を取るのに「おいさ」「ピピ」「わっしょい」「ピピ」・・・「ピピ」の笛・ハンドマイクは要らないだろう?うるさくてしょうがない
御霊の入った御神輿を担ぎ豊作や無病息災・健康などを願い担ぐことが、パレードに変わりつつある・・・・・?
高崎線で上野に向う途中・・・大宮を出て新都心近くで大宮氷川神社の鳥居が見えます、いつもは無い幟が立っていた「平日なのに祭でもやっているのかな?」気になり新都心で降りてみた。
中仙道に大鳥居があり、2Kmの参道が北へ延びている
参道に入ると遠くに山車みたいな物が見えてきた、段々と近づいて来ると大勢の子供たちが揃いの半纏をきて山車を曳いているではありませんか
氷川神社の例大祭の山車・神輿の勢揃いは、神社境内の広場に5台の山車と神輿・子供屋台が集まり、神職によるお祓いのあと、囃子の競演が行われる。
私は帰りの道中に出くわしたみたいです。山車は、かなり古いもので、木製のブレーキを人力で操作している。山車の舞台で演じられる囃子の所作は、八俣大蛇など3人で演じられている華やいだ楽しいものでした。
人形山車は5台、町神輿が10基以上、子供屋台が10基以上集まり、山車では囃子が演奏され、踊り手が所作を披露する。所作は、ひょっとこ・おかめや狐だけでなく、3人もの踊り手が演じている。
驚いた事に子供屋台では縦笛(リコーダ)で祭り囃子を演奏していた。
大宮氷川神社例大祭
賑やかで活気がある祭りの後で静寂がやってくる、参道のベンチで据わっていると遠くからお囃子の音色が聞こえてくる、この時間も私にとっては心地が良い・・・・!
明日2日夕方からJR大宮駅前の「中山道まつり」で行われる。仕事の後に行ってみるか。
中仙道に大鳥居があり、2Kmの参道が北へ延びている
参道に入ると遠くに山車みたいな物が見えてきた、段々と近づいて来ると大勢の子供たちが揃いの半纏をきて山車を曳いているではありませんか
氷川神社の例大祭の山車・神輿の勢揃いは、神社境内の広場に5台の山車と神輿・子供屋台が集まり、神職によるお祓いのあと、囃子の競演が行われる。
私は帰りの道中に出くわしたみたいです。山車は、かなり古いもので、木製のブレーキを人力で操作している。山車の舞台で演じられる囃子の所作は、八俣大蛇など3人で演じられている華やいだ楽しいものでした。
人形山車は5台、町神輿が10基以上、子供屋台が10基以上集まり、山車では囃子が演奏され、踊り手が所作を披露する。所作は、ひょっとこ・おかめや狐だけでなく、3人もの踊り手が演じている。
驚いた事に子供屋台では縦笛(リコーダ)で祭り囃子を演奏していた。
大宮氷川神社例大祭
賑やかで活気がある祭りの後で静寂がやってくる、参道のベンチで据わっていると遠くからお囃子の音色が聞こえてくる、この時間も私にとっては心地が良い・・・・!
明日2日夕方からJR大宮駅前の「中山道まつり」で行われる。仕事の後に行ってみるか。
仕事の帰り新橋で一杯飲もうと歩いていると太鼓の音が聞こえてきた、駅前まで行くとテントが多数ありビールやつまみなど販売大勢の人が道路に座り宴会をしていた。東北の震災での復興を応援する事も兼ねてのイベントでした。
由来はほん小一時間の”こいち”から考えられたネーミングだそうです「新橋でちょいと遊んでいって下さい」と地元の人の粋な計らいが感じられる楽しい祭です。
縁日や色々な屋台などもあり、今年初めての盆踊り{唄や踊りや太鼓の響}に酒も回り酔いしびれました。
{日本に生まれて良かった}。
土地柄サラリーマンも多く定番のネクタイを鉢巻にして踊りの輪に入った若者・ビールを口に銜え可愛い女性に写真を向ける後輩の谷戸・窪・・・良いね。
ゆかた美人コンクールが行なわれていました、モデルみたいな綺麗な人ばかりでしたが、庶民的で盆踊りの輪の中にいる女性の方々に色気を感じるのは私だけでしょうか・・・・
17日から開催されている風鈴市も大型の台風が近づいていて境内のお客もまばら風鈴の数も少なく思えた。
今年が前厄になるので、先ずは厄除弘法大師御本尊にお参りをしてから風鈴市の散策です。
毎年7月に開催されます全国最大規模の「川崎大師風鈴市」は年々盛況を呈し、本年で第16回を迎え川崎大師の夏の風物詩として、関東近郊はもとより全国の皆様に親しまれております。
本年も北は北海道から南は沖縄まで、全国47都道府県より、 900種類、 30,000個の風鈴を一堂に集め、第16回「川崎大師風鈴市」を賑やかに開催いされた。
川崎大師オリジナル「厄除だるま風鈴」
風鈴市会場に「風鈴納め所」が設置されております。古くなった風鈴に対し、感謝の気持ちを込め年配の方が納めていました。
今年が前厄になるので、先ずは厄除弘法大師御本尊にお参りをしてから風鈴市の散策です。
毎年7月に開催されます全国最大規模の「川崎大師風鈴市」は年々盛況を呈し、本年で第16回を迎え川崎大師の夏の風物詩として、関東近郊はもとより全国の皆様に親しまれております。
本年も北は北海道から南は沖縄まで、全国47都道府県より、 900種類、 30,000個の風鈴を一堂に集め、第16回「川崎大師風鈴市」を賑やかに開催いされた。
川崎大師オリジナル「厄除だるま風鈴」
風鈴市会場に「風鈴納め所」が設置されております。古くなった風鈴に対し、感謝の気持ちを込め年配の方が納めていました。
『上尾夏まつり』。8町内の御輿が勢揃いし、勇壮で華麗な連合渡御が行なわれる
中山道と上尾駅周辺の通りが歩行者天国になり、8町内{最初は上町、宮本町、仲町、愛宕町の4町内でしたがのちに西口の柏座、谷津 東口の本町、二ツ宮加わり現在では八町内の連合が行なわれる。東口には400ぐらいの夜店が出ます。
『平方のどろいんきょ』は奇祭といわれ、白木のいんきょ神輿に水をかけ、大地に縦横に転がして、人も神輿も泥んこになって、豊年満作を祈り、悪疫退散を願ったお祭りです。
祭りは、神酒所である民家の庭に水を撒き、その上でさらに水を掛けながら、白木造りの「いんきょ神輿」を泥だらけにして転がす。まず、いんきょ神輿のお山だしから始まり、神酒所での神輿を転がすどろいんきょ、川岸からの流し踊り、川岸からの山車の引廻し、輪踊りなどがあり、見物客にも酒や・おにぎり等振舞われる有り難いお祭です。
最後に神輿のお山納めで終了する。
平方のどろいんきょは県指定無形民俗文化財になりました。
上宿祭礼実行委員会では、事業費の一部を東日本大震災で被災された方々へ義援金として送るそうです
見物人は半そで半ズボンでは蚊に刺されたり炎天下では陽を遮る物がないので薄での長ズボン長袖・日傘・帽子などは必需品だと思います。{虫除けスプレー&ドリンク}
中山道と上尾駅周辺の通りが歩行者天国になり、8町内{最初は上町、宮本町、仲町、愛宕町の4町内でしたがのちに西口の柏座、谷津 東口の本町、二ツ宮加わり現在では八町内の連合が行なわれる。東口には400ぐらいの夜店が出ます。
『平方のどろいんきょ』は奇祭といわれ、白木のいんきょ神輿に水をかけ、大地に縦横に転がして、人も神輿も泥んこになって、豊年満作を祈り、悪疫退散を願ったお祭りです。
祭りは、神酒所である民家の庭に水を撒き、その上でさらに水を掛けながら、白木造りの「いんきょ神輿」を泥だらけにして転がす。まず、いんきょ神輿のお山だしから始まり、神酒所での神輿を転がすどろいんきょ、川岸からの流し踊り、川岸からの山車の引廻し、輪踊りなどがあり、見物客にも酒や・おにぎり等振舞われる有り難いお祭です。
最後に神輿のお山納めで終了する。
平方のどろいんきょは県指定無形民俗文化財になりました。
上宿祭礼実行委員会では、事業費の一部を東日本大震災で被災された方々へ義援金として送るそうです
見物人は半そで半ズボンでは蚊に刺されたり炎天下では陽を遮る物がないので薄での長ズボン長袖・日傘・帽子などは必需品だと思います。{虫除けスプレー&ドリンク}
上尾夏まつりは2011年7月16日(土)~7月18日(日)、上尾宿の鎮守・氷川鍬神社(ひかわくわじんじゃ)の例大祭・氷川鍬神社の例大祭として上町・宮本町・仲町・愛宕の4町内による祇園祭が起源・毎年7月15日に行なわれたものがルーツとされた
『上尾夏まつり』。8町内の御輿が勢揃いし、勇壮で華麗な連合渡御が行なわれる。7月16日(土)には各町内で神輿の渡御が・・・・・・
上尾仲町の揃いの半纏は子供達の団結心を確実なものにする良いリーダーがいて羨まく思う
谷津の子供達も頑張っています・・・・・!
17日(日曜日)は平方『どろいんきょ』
7月17日(日)正午~午後6時30分
会場: 八枝神社
住所: 埼玉県上尾市平方487 TEL: 048-775-5917
(上尾市観光協会) 公共交通: JR上尾駅からバス15分、バス停:平方神社前→徒歩5分
見物人は半そで半ズボンでは蚊に刺されたり炎天下では陽を遮る物がないので薄での長ズボン長袖・日傘・帽子などは必需品だと思います。{虫除けスプレー&ドリンク}
7月18日(日)には中山道と上尾駅周辺の通りが歩行者天国になり、8町内{最初は上町、宮本町、仲町、愛宕町の4町内でしたがのちに西口の柏座、谷津 東口の本町、二ツ宮加わり現在では八町内の連合が行なわれる}
『上尾夏まつり』。8町内の御輿が勢揃いし、勇壮で華麗な連合渡御が行なわれる。7月16日(土)には各町内で神輿の渡御が・・・・・・
上尾仲町の揃いの半纏は子供達の団結心を確実なものにする良いリーダーがいて羨まく思う
谷津の子供達も頑張っています・・・・・!
17日(日曜日)は平方『どろいんきょ』
7月17日(日)正午~午後6時30分
会場: 八枝神社
住所: 埼玉県上尾市平方487 TEL: 048-775-5917
(上尾市観光協会) 公共交通: JR上尾駅からバス15分、バス停:平方神社前→徒歩5分
見物人は半そで半ズボンでは蚊に刺されたり炎天下では陽を遮る物がないので薄での長ズボン長袖・日傘・帽子などは必需品だと思います。{虫除けスプレー&ドリンク}
7月18日(日)には中山道と上尾駅周辺の通りが歩行者天国になり、8町内{最初は上町、宮本町、仲町、愛宕町の4町内でしたがのちに西口の柏座、谷津 東口の本町、二ツ宮加わり現在では八町内の連合が行なわれる}