高校生の頃、よく授業をさぼって、
屋上から空を見たり、
隣の、今は亡きホテルニュージャパンの廃墟を眺めたり、
皇居や日枝神社の緑を見遣ったり、
したものだ。
それでなければ、数学の授業中、早弁したり。w
(野球をやっていた僕は、足りないのでお弁当を二つ持ってきていた)
その先生は全く生徒を見なかった。黒板と教科書しか見ていなかったか
ら・・・。今思えば、なんて失礼な生徒なんだろうと思う。出席取ったら
後ろから出ていって図書館に行ったりもしたな・・・。
理系が全くダメだったので、いつもテストは一桁だったなぁ。
そのかわり、国語はできたけれど。各社から出ている教科書を教官室か
らもらってきてはひたすら読んでいた気がする。(野球部を嫌ってた先
生も私は認めてくれていたようだった。)
そうだ、なぜか私の席の横には本棚があったっけ。教室のはじだったか
らよかったけど、真ん中だったらさぞ異様だったろう。
当時の自分はどんなヤツだった・・・?
授業中は、寝るか、弁当食べてるか、読書してるか。
クラスの和に入らず公然と孤立してたかな。
授業が終われば、ひたすら走りこんだり、投げこんだり。
ピッチャーというポジションもよかった。半ば個人種目みたいなものだ
ったし。あの学生特有の無意味に「群れる」心理がいやだったのだ。
でも、野球部は心地よかった。そんな私を認めてくれて自分の居場所が
あったから。
和(輪)の端っこで、馬鹿騒ぎするのを快活に笑って、ときどき毒を吐
く私。
取り止めのないかたちで高校生活を振り返ってしまった・・・。
何故、今、これを書く気になったんだろう。
日比谷高校で過ごしたあの三年間は、私のなかでとても重要な時期だっ
たんだ。