今から7年前の三月に、東北地方で大地震があったのは誰もがご存知だと思います。報道でよく流されていた場面は宮城県と福島県の原発ばかりでしたが、被害は千葉県から北海道の一部の太平洋岸一帯に及んでいます。
僕の出身地は福島県いわき市。当然被害を受けています。親戚宅もガラスが全て割れるなどの被害を受けていました。子供の頃に良く遊んだ海水浴場も全滅でした。
自営業をしているのでボランティア活動はできず、その当時にやっていたブログにアップして、皆さんにその当時の模様を知ってもらう事しかできませんでした。
2011年5月に一度現状を見に行きましたが、あまりの被害にただ泣く事しかできず、写真を撮る事ができませんでした。9月に再度行ってようやく撮る事ができたほどです。
その時にいわき市久ノ浜地区で撮った写真に、「奇跡的に残った神社」としてアップした写真があります。
これはその9月に撮った神社の写真です。周りの民家は全て被害を受け、ほとんどが解体が必要な状態だったのに、ほんの1m程高い位置のこの神社は、周りの柵や鳥居が倒れた程度。もともとこの地区で過去にも津波の被害を受けていたので、波除の願いもかけていた神社です。この神社も今や「奇跡の神社」として、復興の象徴として有名になっています。
今は鳥居も戻され、このような張り紙までされて、地元の人達や訪れる人達を見守ってくれています。
この写真は久ノ浜地区から南側、四ツ倉港との間にある「波立 弁天島」です。「はったち」と読みます。ここの赤い橋も津波で流されていましたが、7年経ってようやく橋が架かっています。でも手前側の瓦礫は当時のまま残され、まだ立ち入る事ができません。
ここの廻りには綺麗な黒い玉砂利があり、海水浴場にもなっていましたが、その砂利もほとんどなくなっていました。
その後北上し、今迄立ち入る事ができなかった帰宅困難地域、浪江・大熊地区も行きました。国道6号沿いなのでちゃんとしているだろうと思っていたのに、かつてのカーディーラーやらパチンコ店やら、多くの建物が地震・津波の被害を受けたままでの状態で放置されています。正直ショックでした。確かに滞在時間が限られていたり建物等の権利の問題があるとは思いますが、あれから7年以上経っているのに・・・。やたら憲法を変えたり、まるで一つの政党が有利になるような事を一方的に決めるような事をするよりも、国が率先して動くべき事だと願います。
原発を左手に見ながら国道6号をいわき市に戻る途中で、素晴らしい景色がありました。
原発から2~3km程の場所で、ひまわりが満開でした。当然この田んぼも放射線被害を受けているので、このひまわり畑なんでしょうね。確かひまわりが、土壌中の放射線の除染に最も効果があると聞いた覚えがあります。でも殺風景な景色を見ていた後のこのひまわり畑。荒んでいた気持ちが和らぎました。
今年のお盆休みは親戚を廻り、更に復興状態を見てきました。街中は復興されていましたが、郊外に出ればまだあちこちで工事中。放射能被害や原発の処分にはあと15年以上はかかるでしょう。
一日も早く、かつての風景が戻る事を願っています。
僕の出身地は福島県いわき市。当然被害を受けています。親戚宅もガラスが全て割れるなどの被害を受けていました。子供の頃に良く遊んだ海水浴場も全滅でした。
自営業をしているのでボランティア活動はできず、その当時にやっていたブログにアップして、皆さんにその当時の模様を知ってもらう事しかできませんでした。
2011年5月に一度現状を見に行きましたが、あまりの被害にただ泣く事しかできず、写真を撮る事ができませんでした。9月に再度行ってようやく撮る事ができたほどです。
その時にいわき市久ノ浜地区で撮った写真に、「奇跡的に残った神社」としてアップした写真があります。
これはその9月に撮った神社の写真です。周りの民家は全て被害を受け、ほとんどが解体が必要な状態だったのに、ほんの1m程高い位置のこの神社は、周りの柵や鳥居が倒れた程度。もともとこの地区で過去にも津波の被害を受けていたので、波除の願いもかけていた神社です。この神社も今や「奇跡の神社」として、復興の象徴として有名になっています。
今は鳥居も戻され、このような張り紙までされて、地元の人達や訪れる人達を見守ってくれています。
この写真は久ノ浜地区から南側、四ツ倉港との間にある「波立 弁天島」です。「はったち」と読みます。ここの赤い橋も津波で流されていましたが、7年経ってようやく橋が架かっています。でも手前側の瓦礫は当時のまま残され、まだ立ち入る事ができません。
ここの廻りには綺麗な黒い玉砂利があり、海水浴場にもなっていましたが、その砂利もほとんどなくなっていました。
その後北上し、今迄立ち入る事ができなかった帰宅困難地域、浪江・大熊地区も行きました。国道6号沿いなのでちゃんとしているだろうと思っていたのに、かつてのカーディーラーやらパチンコ店やら、多くの建物が地震・津波の被害を受けたままでの状態で放置されています。正直ショックでした。確かに滞在時間が限られていたり建物等の権利の問題があるとは思いますが、あれから7年以上経っているのに・・・。やたら憲法を変えたり、まるで一つの政党が有利になるような事を一方的に決めるような事をするよりも、国が率先して動くべき事だと願います。
原発を左手に見ながら国道6号をいわき市に戻る途中で、素晴らしい景色がありました。
原発から2~3km程の場所で、ひまわりが満開でした。当然この田んぼも放射線被害を受けているので、このひまわり畑なんでしょうね。確かひまわりが、土壌中の放射線の除染に最も効果があると聞いた覚えがあります。でも殺風景な景色を見ていた後のこのひまわり畑。荒んでいた気持ちが和らぎました。
今年のお盆休みは親戚を廻り、更に復興状態を見てきました。街中は復興されていましたが、郊外に出ればまだあちこちで工事中。放射能被害や原発の処分にはあと15年以上はかかるでしょう。
一日も早く、かつての風景が戻る事を願っています。