「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

「蟹工船」ブームはまだやまない――。

2009-05-24 10:51:59 | 多喜二関係映画・演劇・書籍・DVD情報
「蟹工船」ブームはいつからはじまったのか、そしてなぜメディアがこぞってとりあげたのか――。そしていま「蟹工船」はどこを航行しているのか。


(1)いつから――。
新潮文庫『蟹工船・党生活者』は、毎年5000部程度売れていた。
この商品が顕著に動きはじめたのは、いつなのか。


ここにひとつの情報がある。

2009年1月27日、読売新聞社は、東京・丸の内の東京會舘で「第13回読売出版広告賞」の贈賞式を開催した。(同賞は、出版界の発展と出版広告の活性化を主眼に創設された賞。13回目を迎えた今年は、2008年1月1日から12月31日までに、読売新聞に掲載された全ての出版広告5640点を対象とした。)

栄えある大賞に輝き賞金100万円を手にしたのは、なんと新潮社「蟹工船」の広告(5/29長官 全五段)だった。

授賞した新潮社の佐藤隆信代表取締役社長は
「蟹工船は去年の1月初めから話題になって、3月頃に7000部を重版した。」と喜びを語ったという。

ここでの指摘――「2008年1月初め」である。これは、書籍流通の実数を反映してのことで、この商品の動きを察知して増刷に入ったのが「3月」。

「2008年1月初め」は、まさに蟹工船エッセーコンテスト作品集である『私たちはいかに「蟹工船」を読んだか』(遊行社)を刊行した、その時だった。
そして、「3月」は、このエッセー集が各地で多喜二祭などての好評・重版が続いていたころだった。

こういう符号が今日ではニッパンなどの流通情報で裏打ちされた。







(2)なぜ、「蟹工船」とは、思想的に対極にあると思われる「読売新聞」が5/2夕刊トップでとりあげたか。


贈賞式冒頭、大月取締役読売新聞広告局長は
「13回目を迎えます読売出版広告賞が創設された1996年も、バブル崩壊後にくすぶってきた金融危機が日本を襲う夜明け前といった状況だった。『100年に1度の津波』がウォール街を震源地に世界を揺さぶり続けている状況下でも、出版界にはミリオンセラーが続出するなど明るい話題があった。今後もこの賞が出版業界の発展と広告業界の活性化に少しでも寄与できれば」とあいさつした。 


ここには、「バブル崩壊」「金融危機」という資本側の危機意識の反映だとの告白がある。この狼煙は、「新潮」系、「産経」系を含め、危機意識の共通認識があったといえる。


それは、「一九二八年三月十五日」前夜でもあった。

5/2付「読売新聞」を見て私は身体が震憾するほどの衝撃を受けた。
ここは進むも地獄、退くも地獄である未来が見えた。

5/2付「読売新聞」の右肩が「蟹工船」であると同時に、左肩は「メーデー」だった。

そうした社会的嵐のなかを、「蟹工船」日本丸は航行してきたのだった。


この動きは世界に打電された。東アジア、ヨーロッパなどの各紙が取材した。
また、このニュースを知った各国の出版・編集者は、それぞれの国での新しい翻訳に挑戦した。

この成果を集約したのが、2009年5月17日、代官山・ヒルサイドで開催された「世界は「蟹工船」をどう読んでいるか」の翻訳者シンポジウムだった。

このシンポ自体は、観客動員ではかならずしも収益をあげるものではなかったので、十分な告知ができなかったが、その意義は大きなものがある。

(3)いま「蟹工船」はどこを航行しているのか。
「蟹工船」ブームの不思議は、だれが仕掛けたものなのかということだった。なにしろ80年前の作品、もはや読まれなくなっているものの代表とされていた「蟹工船」が、幽霊船のようによみがえったことにだれもが合点がいかなかったことだろう。
というのは、なにしろその仕掛け人と当然見えされやすい共産党や民主文学運動は後追いはするものの、そのかじ取りをしてもいないし、しようとする意志もなく、共産党は党員拡大のきっかけとなった――という扱い。『民主文学』誌にあっては、プロレタリア文学特集を企画し原稿を募集したものの、特集を組むほどの原稿が集まらず、企画がながれる始末――。「蟹工船」ブームのなかにあって、雑誌の発行部数の維持がせいいっぱい。そもそも、文芸誌、国文学誌とその発行元自体が休刊、倒産の憂き目にあるのだから、『民主文学』誌の経営が困難であることは理解しやすい。

ならば、誰が――。その不思議を解くカギは、「白樺文学館多喜二ライブラリー」にあった。その活動詳細は多喜二ライブラリーのホームページをみていただければご理解いただけることと思う。
不思議は続き、「多喜二ライブラリー」は昨年11月で業務を終了し、母体の「白樺文学館」は、我孫子市に寄贈された(寄贈自体はもう数年前からきまっていた)。

そして現在「蟹工船」は――。
結論的にいえば、バトンはすでにそれぞれの手に渡された―ということだろう。

それは、今回の俳優座「蟹工船」公演の成功、SABU監督の新作「蟹工船」、ノーマ・フィールド著『小林多喜二―21世紀にどう読むか』(岩波新書)、荻野富士夫『小林多喜二の時代から見えてくるもの』(新日本出版社)、浜林正夫著『「蟹工船」の社会史』(学習の友社)、その他多喜二の生涯をドキュメンタリーで描く『時代を撃て・多喜二』(共同企画ヴォーロ)、『いのちの記憶』(ソニーミュージック)のDVDなど、多喜二のメッセージは、いま確実に受け止められている。

今回の俳優座「蟹工船」公演の成功も、出演者すべての、多喜二への共感によって支えられている「統一感」にあるとも感じた。



まだ、「蟹工船」の航海は続いている。そして、続けなくてはならない。
その先にあるのは、「地獄」であるかもしれないけれど。



「もう一度立ち上がれ」の物語は、リフレーンして冒頭に戻る。

「さあ、地獄に行くんだで!!」

最初は放り込まれた「地獄」――。
今度は戦うために向かう――「地獄」。


                            




以下は、今年1月からの新聞記事一覧。

記者が選ぶ今週はコレ!・シアター:俳優座の安川修一演出「蟹工船」(438文字)(毎日新聞) - 2009年5月

[けいざい百景]「蟹工船」の時代といま 編集委員・安部順一(1020文字)(読売新聞) - 2009年5月

舞台版「蟹工船」 今も搾取の構造同じ 安川修一演出「労働者も監督も犠牲者」(1026文字)(読売新聞) - 2009年5月

スギヨ:映画「蟹工船」の撮影で使用、カニカマを缶詰に--七尾 /石川(485文字)(毎日新聞) - 2009年5月

メディア効果で 共産党員増加中 「蟹工船」ブームに乗り(687文字)(産経新聞) - 2009年5月

カニかま缶「苦労の味」 映画「蟹工船」で使用 今月下旬、全国発売=石川(909文字)(読売新聞) - 2009年5月

メーデー:労働者団結呼びかけ 和歌山で「蟹工船」鑑賞会 /和歌山(327文字)(毎日新聞) - 2009年4月

【ウイークエンド シネマ】バーン・アフター・リーディング/蟹工船(724文字)(産経新聞) - 2009年4月

「蟹工船」を上映 大阪・シネ・ヌーヴォで、20日から=奈良(233文字)(読売新聞) - 2009年4月

映画「蟹工船」撮影現場を見た アナログと近未来の融合(849文字)(産経新聞) - 2009年3月

’09記者リポート:「蟹工船」富山でも 再ブーム、来月5日上映 /富山(1491文字)(毎日新聞) - 2009年3月

厳冬景気「蟹工船」思う 大阪多喜二祭に350人、労働状況に耳傾け=大阪(524文字)(読売新聞) - 2009年3月

【チャイム】「蟹工船」に「カネニ」のカニが特別出演(298文字)(産経新聞) - 2009年2月

[旬感・瞬間]映画「蟹工船」 過去と未来、重なる空間(528文字)(読売新聞) - 2009年1月

ビームス:中国人研修生“蟹工船” 愛媛のアパレル工場、人気ブランドの「影」(1213文字)(毎日新聞) - 2009年1月

ビームス:人気ブランドの影…中国人研修生、蟹工船 違法低賃金で愛媛の縫製工場処分(1024文字)(毎日新聞) - 2009年1月

「蟹工船」映画撮影終了 オール足利ロケ、約1か月 市民も参加=栃木(490文字)(読売新聞) - 2009年1月

【チャイム】カニ風味かまぼこ、大人のカニカマが映画「蟹工船」で銀幕デビュー(212文字)(産経新聞) - 2009年1月

カニカマ:映画「蟹工船」撮影に 七尾の「スギヨ」抜てき、70キロ提供 /石川(577文字)(毎日新聞) - 2009年1月

Crossroads:「蟹工船」 大胆な解釈で進む映画製作(1075文字)(毎日新聞) - 2009年1月



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2 コメント

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池上線 (御影暢雄)
2009-05-26 15:47:09
 昨日、午前のNHKラジオで「池上線」がリバイバル・ヒット中の西島三重子氏のインタビューがありました。長い間、地味に歌い継がれてきた曲なのですが、最近再度注目されつつあるそうです。

(歌詞の一部)
   いくつ駅を過ぎたのか 
   忘れてあなたに聞いたのに
   じっと私を見つめながら 
   ごめんねなんて言ったね

  作詞 佐藤順英
  作曲 西島三重子
 *YOU TUBEで歌と画像が楽しめます。

 西島三重子氏が子供たちのために「おひさまの種蒔き運動」をすすめておられるとのこと。詳しくは同氏のホームページをご覧ください。
 池上線五反田駅は、1928年6月17日開業なので、多喜二や「党生活者」の登場人物のモデルになった人たちは、西五反田「藤倉ゴム工業」へ行くのに池上線に乗ることがあったのでしょうか。
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朝日新聞27日夕刊 ニッポン人脈記~大逆事件残照⑦”白樺の里 多喜二への手紙” (御影暢雄)
2009-05-27 18:02:12
 朝日新聞”ニッポン人脈記”では大逆事件に関するレポートを最近連載してきましたが、27日では白樺部文学館が紹介され、白樺派の志賀直哉・武者小路実篤・柳宗悦の反戦主義を取り上げ、とりえわけ志賀と多喜二の交流について詳しく書いています。文学館が志賀から多喜二にあてた、「蟹工船」を褒める手紙を手に入れた経緯も紹介されています。佐野力氏は「100年に一度の大恐慌でしょう。時代が多喜二を呼び寄せたんですね」と語る。

 同記事の締めくくりより、
”明治から大正、同じ空気を吸った大逆囚も白樺派も、そして現代を生きる人々も求められるものはおなじである。それは人言の自由、人間の生存。”
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