北の文人 立ち話
芥川龍之介がやって来た
2011年09月09日
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■道内に興奮巻き起こす
昭和の初め、ひとりの大文豪が北海道に興奮を巻き起こしました。その人の名は芥川龍之介。
1927(昭和2)年5月16日、文芸講演のために芥川と人気作家の里見(とん)が来道。これは改造社の宣伝企画で、東北地方と函館・札幌・旭川・小樽の道内4都市をまわるものでした。
文壇のスーパースターが来るとあって、道内中の作家や作家の卵はもちろん文学ファンは大興奮!函館では千人が詰めかけ、どこも大盛況。小樽では伊藤整や小林多喜二も講演を聞き、多喜二は発起人となり歓迎会を催すほどで「交渉のため3日も棒に振ったが文壇の両大家を眼のあたりに見ることを得たのは、うれしかった」と日記に残しました。伊藤整も講演の様子を詳しく記すなど北の文人たちに強い印象を残しました。
一方、芥川の方はというと、旅行中に「クルシイクルシイヘトヘトダ」という電報を改造社に打つほど疲労困憊(こんぱい)。「日夜、汽車と講演の強行軍」(里見)で、各地で歓迎会を断るのにも難儀したのだとか。しかし芥川を一番苦しめたのは実はホッキ貝。旅行が終わるや「冴え返る身にしみじみとほつき貝」という歌を作ったくらい「やり切れなかった」そうです。
この旅行の2カ月後に芥川は服毒自殺。「一時代の終焉(しゅうえん)」といわれる大事件でしたが、北海道の人々には特に衝撃的だったでしょう。
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芥川龍之介(1892~1927)。東京生まれ。東大在学中に書いた「鼻」が夏目漱石に絶賛され文壇へ。「羅生門」「地獄変」「河童」など多くの名作を残した大正文壇の代表作家。27年の来道をつづった随筆「東北、北海道、新潟」がある。
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