「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

「一九二八年三月十五日」第9章

2010-04-05 16:26:25 | 小林多喜二「一九二八年三月十五日」を読む

 龍吉が演武場から隔離される二、三日前の事だった。それより四、五日前に、取調べの結果隔離されて監房一号に行っていた労働者で、彼が組合で知り合っていた木下というのがいた。夜の十時頃、それが巡査と一緒に演武場に入ってきた。そして二人で、彼がそこに残して行った持物をまとめにかかった。龍吉が眼を覚した。
 「オ。」龍吉が低く声をかけた。
 木下は龍吉の方を見ると、頭をかすかに振ったようだった。――「札幌廻しだ。」木下が低くそういった。
 龍吉は「う?」といったきり、いきなり何かに心臓をグッと一握りにされた、と思った。札幌廻り、というのは十中八、九もう観念しなければならない事を意味していたからだった。
 演武場を出るときは、髪を長くのばしていたのを知っていた龍吉は、彼が地膚の青いのが分るほど短く刈っていたのに気付いた。「頭は?」
 木下はフト暗い顔をした。
 「あんまりグングンやられるんで刈ってしまった。」
 持物がまとまってしまうと、巡査が木下をうながした。出しなに、木下はしかし、何かためらったように巡査にいっている。すると、巡査は龍吉の所へきて、面倒臭そうな調子で、「木下が、煙草があったら君から貰ってくれないかっていってるんだが。」といった。
 そうだ! 気付いた。――組合でも、木下は煙草だけは皆から一本、二本と集めて、いつでも甘そうにのんでいた。札幌へ護送される木下のために、せめて煙草だけでも贈ることが出来ることを龍吉は喜んだ。それが何よりだった。彼は、まるで、あわてた人のように、自分の持物のところへ走って、急いでバットの箱を取り出した。所が、何んという事だ、一箇しかない、しかも、それが軽いじゃないか! 意地の悪い時には、悪いものだ。三本! たった三本しか入っていなかった。彼は飛んでもない悪いことをした子供のように、
 「君、三本しか無いんだ。」済まなさを心一杯に感じながらいった。
 「いい、いい! 本当に沢山! 有難う、有難う!」木下は子供が頂戴々々をするときのように両手を半ば重ねて出した。
 「一本で沢山だ!」
 側に立っていた巡査がいきなり二本取りあげてしまった。瞬間二人は、二人ともものもいえず、ぼんやりした。
 「のませてやる事すら、過ぎた事なんだぜ!」
 何が「ぜ」だ! 龍吉は身体が底からブルブルふるわさってくる興奮を感じた。しかし、
 「お願いです。僅か三本です。それに木下君は特に煙草……。」
 みんないわせなかった。「誰が、僅か三本だッていうんだ。」
 木下は石のような固い表情をして、黙っていた。たった一本のバットをのせたきりになっている彼の掌が分らない程にふるえていた。――二人が出て行ってしまってから、龍吉は木下の気持を考え、半分自分でも泣きながら、巡査の返してよこしたバットを粉々にむしってしまった。
 「えッ糞、えッ糞、糞ッ! 糞ッ! 糞ッ! 糞ッ!!」
 三日になり、四日になり、十日になる、しかしこれは、そんな風に単純に算えてしまう事が出来ない長さ――無限の長さに思われた。渡や工藤や鈴本などは、それでもそういう場所の「退屈」に少しは慣れていた。しかしまた、たとえ同じように慣れていないとしても、龍吉や佐多にくらべて、太い、荒い神経を持っていたので、よりそれには堪え得た。とくに佐多は惨めに参ってしまっていた。
 佐多の入っていたところは渡のところから、そう離れてはいなかった。夜になり、佐多は身体の置きところもなく、詰もなく、イライラするのにも中毒して、半分「バカ」になったように放心していると、幾つにも扉をさえぎられた向うから、低く、
 夜でも 昼でーエも
 牢屋は暗い。
 いつでも 鬼めが
 窓からのぞく。
 歌うのが聞えてきた。渡が歌うのだった。立番の巡査もそう渡には干渉しなくなっているらしかった。
 のぞことままよ、
 自由はとらわれ、
 鎖はとけず。

 一番後の「鎖はとけず。」の一連に、渡らしい底のある力を入れて歌っているのが分った。そこだけを何度も、必ず繰り返して歌った。彼には渡の気持が直接に胸にくる気がした。
 佐多には、それがいつでも待たれる楽しみだった。きまって夕暮だった。佐多はいつもなら、そんな歌は彼がよく軽蔑していう言葉で「民衆芸術」と片付けてしまったものだった。それがガラリと変ってしまった。しかしまた歌でなくても、外を歩く人の単純なカラカラという音、雪道のギュンギュンとなる音、そういうものにも、よく聞いてみて複雑な階調のあるのを初めて知ったり、どこからか分らないボソボソした話声に不思議な音楽的なデリケートなニュウアンスを感じたりした。天井に雪が降る微かにサラサラする音に一時間も――二時間も聞き入った。すると、それに色々な幻想が入り交り、彼の心を退屈から救ってくれた。彼は、何も要らなかった。「音」が欲しかった。彼の心が少しでもまだ「生物」である証拠として、動くことがあるとすれば、それは「音」に対してだけだった。一緒にいる不良少年の女をひっかける話や、浮浪者の惨めな生活などは、いつもならキット佐多の興味をひいた。が、それは二、三日すると、もう嫌になってしまっていた。
 小樽の一つの名物として、「広告屋」がいた。それは市内商店の依頼を受けると、道化の恰好をして、辻々に立ち、滑稽な調子で、その広告の口上をいう。それに太鼓や笛が加わる。――それが一度留置場の外の近所でやった。拍子木が凍えた空気にヒビでも入るように、透徴した響を伝えると、道化た調子の口上が聞えた。
 スワッ!! それは文字通り「スワッ!!」だった。留置場の中の全部は「城取り」でもするように、小さい、四角な高いところにつけてある窓に向って殺到した。遅れたものは、前のものの背に反動をつけて飛び乗った。そして、その後へも同じように外のものが。――「音」には佐多ばかりではなかったのだ!
 彼は夜、何遍も母の夢を見た。とくに母が面会に来た日の夜、ウツラウツラ寝ると母の夢を見、また眠ると母の夢を見……それが朝まで何回も続いた。
 「お前、やせたねえ。顔色がよくないよ。」
 面会に来た母が彼の顔を見ると、見ただけで息をつまらしてそういった。
 「お前が早く出て来てくれるようにッて、仏様に毎日お願いしてるよ。」母が皺くちゃの汚れたハンカチを出して、顔を覆った。母の「仏様」というのは死んだ父の事だった。綺麗好きな母が、こんなにハンカチを汚していることが彼の胸を突いた。母はしかし、いつものようにワケも分らない事をクドクドいって、すすり上げた。彼は外方を向いていた。その合間に、彼の着物の襟の折れているのを、手をのべて直してくれた。彼はぎこちなく首を曲げて、じっとしていた。母の匂いを直接(じか)に顔に感じた。
 留置場に帰って、母の差入れてくれたものを解いてみた。色々なものの中に交って、紫色した小さい角瓶の眼薬が出てきた。佐多が家にいたとき、いつでも眠る前に眼薬を差す習慣があった。
 「やっぱりお母アさ。面会はお母アか?」隣りで、着物を解くのを見ていた不良少年が、それを見てロを入れた。「俺にだって、お母アはいるんだよ。」
 佐多はそれから四、五日して警察を出された。
 彼は、自分でも自分が分らない気持で外へ出た。――だが、確かに、それは外だった。明るい雪に「輝いている」外にちがいなかった。彼は外へ出た瞬間目まいを感じた。とにかく「外」だ!○○の家がある。××屋がある。×××橋がある。どれも皆見覚えがある。空、そして電信柱、犬! 犬までが本当にいる。子供、人、「自由に」歩いている人達、何より自由に!
 ああ、とうとうこの世の中に帰ってきた!
 彼はそこを通っている人に、男でも、女でも、子供にでも何か話しかけ、笑いかけ、走り廻りたい衝動を感じた。それはそして少しの誇張さえもされていない気持だった。彼は自分の胸をワクワクと揺すって、底から出てくる喜びをどうする事も出来なかった。「とうとう、とうとう出て来た!」――彼は思わず泣きだした。泣きだすと、後から、後からと心臓の鼓動のように、ドキを打って涙があふれてきた。彼は、道を歩いている人が立ち止って彼の方を不審に見ているのもかまわずに、声を出して、しゃくり上げた。彼は何も考えなかった。自分以外の誰のことも、何も! そんな余裕がなかった。
 「とうとう出た! とうとう!!」

 ――佐多が出たという事が一人から一人へ、各監房にいる者に伝わって行った。
 渡は別にどういう感じもそれに対しては起さなかった。何も好きこのんで監房にたたき込まれている必要はないのだから、よかったとは思った。彼は佐多をあまり知らなかった。同じ運動にいても、会社員――インテリゲンチャというものからくるものと、やっぱり膚が合わなかった。別にイヤではなかった。無関心でいた、といってよかった。
 しかし工藤は、龍吉などと同じように、こういうインテリゲンチャがどしどし運動の中に入ってきて、自分達の持てない色々の方面の知識で、ともすれば経験の少ない向う見ずな一本調子になり易い自分達の運動に、厚さと深さを加えなければならない、と思っていた。勿論佐多などには、それらしい多くの欠点はあるにしても、裏にいてもらって、その都度――彼でなければならない役に、役立って貰えればよかった。とくに工藤は、この方面にはまだまだ自分達が沢山の事をしなければならないもののある事を考えていた。

 * * *

 取調べは官憲の気狂いじみた方法で、ここには書き切れない(それだけで一冊の本をなすかも知れない)色々な残虐な挿話を作って、ドシドシ進んで行った。そして「事実」の確定したものは、札幌の裁判所へ順繰りに送られて、予審へ廻された。
 護送される前に、それぞれの取調べに当った司法主任や特高は自腹(?)を切って、皆に丼や寿司などを取り寄せて御馳走した。自分も一緒に食いながら、急に、接木をしたような親しみを皆に見せた。
 「とにかくさ、」――話のついでに(ついでに!?)軽くはさんだ。「とにかく、ここで取調べられた時にいった通りの事をいえばいいのさ。詰が違ったりすると、結局君等の不真面目な態度が問題になって、不利だからなあ……。」
 そして世間話をしながら、また何気ない調子で、その同じ事を繰り返した。
 「こんなに奢(おご)っていいのか。」意味をちアんと知っている渡や工藤や鈴本はひやかした。「分った。分った。何もいわない。その通りさ。」笑談半分に何度もうなずいて見せた。
 初めての斉藤や石田は、変な顔をして御馳走をうけた。変だなあ、そうは思うが、それが特高や主任の「手」であることは分らなかった。彼等は、自分達の手で作りあげた取調書が予審でガラリと覆えるようなことがあると、「首」が危くなったり、「覚え」が目出度なくなり、昇進や出世に大きく関係したからだった。その事情をすっかりつかんでいる渡などは、逆に利用して、札幌へ行く途中、附添の特高にねだって、停車場で弁当や饅頭(まんじゅう)を買ってもらった。
 「可哀相に、あまりせびるなよ。」特高の方で、そんな風にいい出すようになった。
 四月二十日までには小樽警察に抑留されていた全部が札幌へ護送されて行ってしまった。急に署内がガランとした。壁の落書だけが、人のいない室に目立った。皆を入れて置いた壁には申し合わせたように、次の文句がほとんどちがいなく、入念に刻みこまれていた。
 三月十五日を忘れるな!
 共産党 万歳!

 三月十五日を銘記せよ。
 日本共産党万歳!

 一九二八・三・一五!
 田中反動内閣を殺せ!

 共産党 万歳
 労働農民党 万歳
 万国の労働者 団結せよ
 三月十五日を覚えてろ。

 三月十五日を忘れるな
 労働者と農民の政府を作れ。

 日本共産党 万歳!
 (一九二八・八・一七)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿