小林三吾 「兄 多喜二を語る」より (御影暢雄)
2009-10-03 20:07:04
「兄は毎朝、築港駅から手宮線に乗って、色内駅で降り、銀行の支店に通っていました。朝、列車はトンネルを出るとすぐ駅に入ってくるのですが、トンネルに入るあたりで汽笛が鳴る、すると急いでネクタイを持って裏口から線路伝いにホームに駆け込むのです。出しなに、”おれが餅をついてから出勤するなんて、銀行の連中は知るまいな”と言いながら、飛んで行きました。
列車は家の前を通って行くので、家族が間に合ったかなと窓から見ていると、兄はデッキのところでネクタイを結び、笑いながら手を振っていったものでした」(朝日新聞 1977年4月掲載インタビュー:シネフロント別冊36号「時代を撃て・多喜二」より)
2009-10-03 20:07:04
「兄は毎朝、築港駅から手宮線に乗って、色内駅で降り、銀行の支店に通っていました。朝、列車はトンネルを出るとすぐ駅に入ってくるのですが、トンネルに入るあたりで汽笛が鳴る、すると急いでネクタイを持って裏口から線路伝いにホームに駆け込むのです。出しなに、”おれが餅をついてから出勤するなんて、銀行の連中は知るまいな”と言いながら、飛んで行きました。
列車は家の前を通って行くので、家族が間に合ったかなと窓から見ていると、兄はデッキのところでネクタイを結び、笑いながら手を振っていったものでした」(朝日新聞 1977年4月掲載インタビュー:シネフロント別冊36号「時代を撃て・多喜二」より)
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