鉄卓のブログ「きままに」

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2019年も正月2日は益城町三社参りウォーク

2019-01-02 | 熊本の話題
2019年1月2日(水)

正月2日、熊本地震で最も被害の大きかった益城町の三社参りウォークも3回目。

熊本市と益城町の境に小楠公園(熊本市東区沼山津4丁目)があります。
りりしく「横井小楠像」が建っています。



熊本市から益城町への県道熊本高森線は、熊本市内は4車線だが、益城町内に入ると2車線になっています。
熊本県は、熊本地震後の創造的復興の一つとして益城町内の4車線化を計画、今年から工事に入る予定です。



高速道路の下は4車線化に対応できるようになっているので、構想そのものはかなり前からあるのではないでしょうか。



そんなことを考えながら県道を歩いていると、「惣領木神神社」に着きます。
昨年の正月にはお洒落な神殿に再建されていました。



しばらく歩いて、「安永神社」へ。県道から2分程入ります。
鳥居が修復されていて安心しました。昨年までは、このままで大丈夫かなと心配でした。



昨年の写真です。



神殿も修復されています。「安永神社」は大きな木々に囲まれていて、気持ちがいいです。



県道に戻って歩く。4車線化に向けて、県の買収が済んだ土地もチラホラあります。



益城町木山交差点。熊本県と益城町が、ここから益城町役場を中心に再開発の計画をしています。

昨年の1月2日時点では、益城町の都市計画審議会で区画整理事業計画が否決されていましたが、その後、県と町の説明が繰り返され、承認されました。。

昨年のブログには次のようなことを書いていました。
『賛否相半ばのようで、対立が先鋭化しなで冷静な判断が出来るようになればと思います。
そのためには計画する側のそれこそ本当の丁寧な説明がいるのではないでしょうか。』

4車線化と中心部の再開発で益城町は大きく変貌すると思います。若者が定住したくなる町になればと思います。



交差点から右折し「木山神宮」へ。



新たな鳥居に掲げられるのはいつになるでしょうか。



崩壊した神殿の解体作業は終わっていました。



昨年の写真です。



参拝します。



解体の作業手順が貼ってありました。。



作業中の写真も添えられています。上の方に何かが。



説明がありました。



これです。



木山神宮のすぐそばを秋津川が流れています。
横井小楠旧居四時軒・横井小楠記念館(熊本市東区沼山津1丁目)の横を秋津川が流れていますが、その上流になります。



熊本地震後、益城町総合体育館がで最大の避難所となりました。昨年はまだ解体中でしたが、解体も終わり、新たな体育館の建設が始まっています。



昨年の写真です。



完成イメージ図です。



木山城址公園も復旧工事が始まっていました。



県道熊本高森線へ出て、2km程東へ歩きます。風が強いと寒いです。



「津森神宮」に着きます。

津森神社の楼門。明治14年建立、平成18年に大修理を行ったと説明してあります。
神仏習合の形式で、大きさは熊本県一とも説明に書いてあります。



津森神宮。



津森神宮には「日本一の大銀杏」があります。



日本一と称する根拠の説明もあります。



2km程戻ります。西へ向かって歩きます。
益城町総合体育館から県道熊本高森線へ出たところの橋の下ですが、復旧工事が始まっていて、階段を上れません。



昨年の写真です。まだ、工事が始まる前でここの階段を上りました。



戻って、橋の端を歩きます。橋の上から先ほどの工事現場。この橋のあたりまでが4車線化の予定のようです。



橋から直ぐに木山上町バス停に着きます。信号のある交差点は、「木山神宮」へと右折した益城町木山交差点です。

今日も曇り空で寒かったです。
益城町三社参りウォークを終え、過去2回と同じく、このバス停からバスで帰ります。



2016年4月の熊本地震後、2018年11月末現在、県内で21,678名の人たちがいまだ応急仮設住宅等(建設型仮設住宅・借上型仮設住宅・公営住宅等)に住まわれています。(2017年11月末は42,988名)

仮設住宅退去後の支援も課題としてあげられています。

完全復興まで、まだまだ遠いです。


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