2016年9月17日(土)

(今日のマップ)
秋編最初の参加。箱崎駅東口から9時過ぎにスタート。筥崎宮をめざす。

(箱崎駅東口)
筥崎宮は12日から18日まで博多の三大祭り放生会(ほうじょうや)が催されている。放生会は「全ての生命あるものを慈しみ、秋の実りに感謝する」秋のお祭り。

(夏も終わり)

(筥崎宮への道で)

(玉取恵比寿神社)

(筥崎宮への道で)
筥崎宮の参道へ出て、左手本殿へ向かわず右手の海岸へ向かう。
準備万端のところ、準備中のところ、まだ何も手つかずのところとある出店を眺めながら歩いていると、スアロキンさん(JR九州ウォーキングで知り合った歩友のニックネーム)と孫ーズに出会う。今日は4人の世話で大変そう。

(出店)

(出店で)

(出店で)

(出店で)

(出店で)

(出店。筥崎宮周辺は生姜の生産地だった)
また、会うこともあるだろうと挨拶だけで先へ進み、お潮井浜へ出る。
筥崎宮では春(三月)と秋(九月)の二度、社日祭があり、この日はお潮井取り(お潮井汲み)と称して、お潮井浜の真砂を頂いて自宅へ持ち帰り、五穀豊穣・除災招福・家内安全等を祈る。

(お潮井浜)

(お潮井浜から博多湾)

(お潮井浜)

(お潮井浜の鳥居)
引き返し本殿へと向かう。
筥崎宮は筥崎八幡宮とも呼ばれる。京都の石清水八幡宮、大分県宇佐市の宇佐神宮とともに日本三大八幡宮の一つで、第十五代の応神天皇を主祭神として、神功皇后、玉依姫命が祀られている。

(三之鳥居)
一之鳥居は慶長14 年(1609)、藩主黒田長政が建立。鳥居の柱は三段に切れ、笠木島木は1 つの石材で造られ、先端が反り上がり、貫と笠木の長さが同じ異色の鳥居。「筥崎鳥居」と呼ばれている。

(一之鳥居後ろから)
楼門には「敵国降伏」の扁額が掲げられている。これは、筥崎宮の始まりが「平安時代の中頃である延喜21年(921)、醍醐天皇が神勅により「敵国降伏」の宸筆を下賜され、この地に壮麗な御社殿を建立し、延長元年(923)筑前大分宮より遷座したことになっております。」そして、「文永11年(1274)蒙古襲来により炎上した社殿の再興にあたり亀山上皇が納められた事跡は有名で、文禄年間、筑前領主小早川隆景が楼門を造営した時に、亀山上皇の御宸筆を謹写拡大したものが掲げられています。」とホームページで説明してある。

(楼門の扁額)

(本殿の屋根)

(神事が行われていた)

(神事が行われていた)

(神事が行われていた)
楼門の右手には神功皇后が応神天皇を出産した際、胞衣を箱に入れてこの地に納め、印として植えられた「筥松」がある。「筥崎(箱崎)」の名称はこの胞衣を納めた箱に由来する、とされている。

(筥松と楼門)
境内に湧出石というのがあった。「古くは地面から露出した部分で天変地異を占った。
今はこの石を撫でると「運が湧く」という。」石。囲いで過去まれており、ちいさい子は人の助けを借りてようやく手が届く。

(湧出石)

(神殿南側の門)
筥崎宮を出ようと歩きだしたとき、スアロキン&孫ーズの皆さんと再会。一緒に歩くことに。孫ーズの4名はそれぞれ出店で買ったと思われる小さいお菓子がいっぱい入ったビニール袋を持っている。「美味しそうだな。」と一人に声をかけると、一つ二つ取りだして呉れた。他の3人もそれぞれとりだして呉れる。不思議なことにみんな違うお菓子を呉れる。「これ食べた。」と言って他の3人が渡してなさそうなお菓子を呉れる。

(「スアロキン&孫ーズ」の皆さん。手前の人は無関係)

(裏の鳥居)
筥崎宮の裏に出て、お話したり、お菓子を食べたりして歩いたら、直ぐに川が。「川の名前なにかな。」と聞いても、子どもたちは関心なし。欄干にある橋名を見たら「宇美川」とある。「えぇ。」っとビックリ。
日本書紀によると仲哀天皇没後、妃神功皇后は神託によって新羅征討の旅に出る。その時、臨月であったがた石を腰にはさみ新羅に乗り込んだ、事を終え新羅から帰還すると筑紫で皇子を産んだ。後の応神天皇で筥崎宮の主祭神となっている。
その筑紫の地が福岡県粕屋郡宇美町といわれている。土地勘がないのでよくは分からないが「宇美川」はその宇美町から流れてきているのだろうか。これまで応神天皇に関しては「宇美町」と「筥崎宮」を点でしか知らなかった。ちゃんと線で結ばれているんだ。などと感慨にふけながら歩く暇はない。

(橋にあった川の名前)
孫ーズの4名と話しながらも花や飛行機の写真を撮りながら歩く。福岡空港も近いのでひっきりなしに飛行機が飛んでくる。撮った写真を見て「綺麗、上手。」と4人して褒める。そして「カメラマン、花があるよ。」「飛行機が来たよ、カメラマン。」と、いつの間にかカメラマンになってしまった。

(道沿いで)

(道沿いで)

(空港へ降りて行く飛行機)

(道沿いで)

(道沿いで)
ハクハクが近づいてくると、「辛い明太子食べる。」と孫ーズの一人から聞かれたので「食べるよ。」と答える。孫ーズは私よりもJR九州ウォーキングのベテラン。コースもハクハクも知っている。私はハクハクの事は何も知らない。「辛子明太子が食べられるんだ。」と初めて知る。

(ハクハクの手前で)

(ハクハクの手前で)

(ハクハクの手前で)
ハクハクに到着。「博多の食と文化の博物館ハクハク」は辛子明太子のふくやが経営するミュジアムだ。ふくやは辛子明太子を創業したお店だが、特許を取らずに技術を広く開放し、今や福岡の代表的食であるとともにお土産品になった。ハクハクでは辛子明太子のミュジアム、工場見学、辛子明太子作りの体験、お土産品の購入などが出来る。試食コーナーもあって。様々な味を体験できる。孫ーズたちが話してたのはこのコーナーのことだった。

(「かわりみ千兵衛」もお出迎え)

(試食コーナー)

(2階は工場見学)
ハクハク初めての私が中をウロウロしている間に、孫ーズたちは先に出て行ったみたい。後から追いかけるといっても写真撮りながらなので追いつくことは無い。11時30分頃箱崎駅にゴール。

(ハクハク横の公園)

(福北ゆたか線)

(空港へ下りて行く飛行機)

(道沿いで)

(道沿いで)

(ゴール箱崎駅東口)
博多駅に戻ってビールとお寿司の昼食。駅前のお風呂に入り、汗を流し、久しぶりのJR九州ウォーキングを終る。

(今日のマップ)
秋編最初の参加。箱崎駅東口から9時過ぎにスタート。筥崎宮をめざす。

(箱崎駅東口)
筥崎宮は12日から18日まで博多の三大祭り放生会(ほうじょうや)が催されている。放生会は「全ての生命あるものを慈しみ、秋の実りに感謝する」秋のお祭り。

(夏も終わり)

(筥崎宮への道で)

(玉取恵比寿神社)

(筥崎宮への道で)
筥崎宮の参道へ出て、左手本殿へ向かわず右手の海岸へ向かう。
準備万端のところ、準備中のところ、まだ何も手つかずのところとある出店を眺めながら歩いていると、スアロキンさん(JR九州ウォーキングで知り合った歩友のニックネーム)と孫ーズに出会う。今日は4人の世話で大変そう。

(出店)

(出店で)

(出店で)

(出店で)

(出店で)

(出店。筥崎宮周辺は生姜の生産地だった)
また、会うこともあるだろうと挨拶だけで先へ進み、お潮井浜へ出る。
筥崎宮では春(三月)と秋(九月)の二度、社日祭があり、この日はお潮井取り(お潮井汲み)と称して、お潮井浜の真砂を頂いて自宅へ持ち帰り、五穀豊穣・除災招福・家内安全等を祈る。

(お潮井浜)

(お潮井浜から博多湾)

(お潮井浜)

(お潮井浜の鳥居)
引き返し本殿へと向かう。
筥崎宮は筥崎八幡宮とも呼ばれる。京都の石清水八幡宮、大分県宇佐市の宇佐神宮とともに日本三大八幡宮の一つで、第十五代の応神天皇を主祭神として、神功皇后、玉依姫命が祀られている。

(三之鳥居)
一之鳥居は慶長14 年(1609)、藩主黒田長政が建立。鳥居の柱は三段に切れ、笠木島木は1 つの石材で造られ、先端が反り上がり、貫と笠木の長さが同じ異色の鳥居。「筥崎鳥居」と呼ばれている。

(一之鳥居後ろから)
楼門には「敵国降伏」の扁額が掲げられている。これは、筥崎宮の始まりが「平安時代の中頃である延喜21年(921)、醍醐天皇が神勅により「敵国降伏」の宸筆を下賜され、この地に壮麗な御社殿を建立し、延長元年(923)筑前大分宮より遷座したことになっております。」そして、「文永11年(1274)蒙古襲来により炎上した社殿の再興にあたり亀山上皇が納められた事跡は有名で、文禄年間、筑前領主小早川隆景が楼門を造営した時に、亀山上皇の御宸筆を謹写拡大したものが掲げられています。」とホームページで説明してある。

(楼門の扁額)

(本殿の屋根)

(神事が行われていた)

(神事が行われていた)

(神事が行われていた)
楼門の右手には神功皇后が応神天皇を出産した際、胞衣を箱に入れてこの地に納め、印として植えられた「筥松」がある。「筥崎(箱崎)」の名称はこの胞衣を納めた箱に由来する、とされている。

(筥松と楼門)
境内に湧出石というのがあった。「古くは地面から露出した部分で天変地異を占った。
今はこの石を撫でると「運が湧く」という。」石。囲いで過去まれており、ちいさい子は人の助けを借りてようやく手が届く。

(湧出石)

(神殿南側の門)
筥崎宮を出ようと歩きだしたとき、スアロキン&孫ーズの皆さんと再会。一緒に歩くことに。孫ーズの4名はそれぞれ出店で買ったと思われる小さいお菓子がいっぱい入ったビニール袋を持っている。「美味しそうだな。」と一人に声をかけると、一つ二つ取りだして呉れた。他の3人もそれぞれとりだして呉れる。不思議なことにみんな違うお菓子を呉れる。「これ食べた。」と言って他の3人が渡してなさそうなお菓子を呉れる。

(「スアロキン&孫ーズ」の皆さん。手前の人は無関係)

(裏の鳥居)
筥崎宮の裏に出て、お話したり、お菓子を食べたりして歩いたら、直ぐに川が。「川の名前なにかな。」と聞いても、子どもたちは関心なし。欄干にある橋名を見たら「宇美川」とある。「えぇ。」っとビックリ。
日本書紀によると仲哀天皇没後、妃神功皇后は神託によって新羅征討の旅に出る。その時、臨月であったがた石を腰にはさみ新羅に乗り込んだ、事を終え新羅から帰還すると筑紫で皇子を産んだ。後の応神天皇で筥崎宮の主祭神となっている。
その筑紫の地が福岡県粕屋郡宇美町といわれている。土地勘がないのでよくは分からないが「宇美川」はその宇美町から流れてきているのだろうか。これまで応神天皇に関しては「宇美町」と「筥崎宮」を点でしか知らなかった。ちゃんと線で結ばれているんだ。などと感慨にふけながら歩く暇はない。

(橋にあった川の名前)
孫ーズの4名と話しながらも花や飛行機の写真を撮りながら歩く。福岡空港も近いのでひっきりなしに飛行機が飛んでくる。撮った写真を見て「綺麗、上手。」と4人して褒める。そして「カメラマン、花があるよ。」「飛行機が来たよ、カメラマン。」と、いつの間にかカメラマンになってしまった。

(道沿いで)

(道沿いで)

(空港へ降りて行く飛行機)

(道沿いで)

(道沿いで)
ハクハクが近づいてくると、「辛い明太子食べる。」と孫ーズの一人から聞かれたので「食べるよ。」と答える。孫ーズは私よりもJR九州ウォーキングのベテラン。コースもハクハクも知っている。私はハクハクの事は何も知らない。「辛子明太子が食べられるんだ。」と初めて知る。

(ハクハクの手前で)

(ハクハクの手前で)

(ハクハクの手前で)
ハクハクに到着。「博多の食と文化の博物館ハクハク」は辛子明太子のふくやが経営するミュジアムだ。ふくやは辛子明太子を創業したお店だが、特許を取らずに技術を広く開放し、今や福岡の代表的食であるとともにお土産品になった。ハクハクでは辛子明太子のミュジアム、工場見学、辛子明太子作りの体験、お土産品の購入などが出来る。試食コーナーもあって。様々な味を体験できる。孫ーズたちが話してたのはこのコーナーのことだった。

(「かわりみ千兵衛」もお出迎え)

(試食コーナー)

(2階は工場見学)
ハクハク初めての私が中をウロウロしている間に、孫ーズたちは先に出て行ったみたい。後から追いかけるといっても写真撮りながらなので追いつくことは無い。11時30分頃箱崎駅にゴール。

(ハクハク横の公園)

(福北ゆたか線)

(空港へ下りて行く飛行機)

(道沿いで)

(道沿いで)

(ゴール箱崎駅東口)
博多駅に戻ってビールとお寿司の昼食。駅前のお風呂に入り、汗を流し、久しぶりのJR九州ウォーキングを終る。
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