鉄卓のブログ「きままに」

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「池辺寺跡」に会う【JR九州熊本駅 鉄卓のフォト・ウォーク2017-1】

2017-01-26 | JR九州ウォーキング
2017年1月21日(土)

今年最初のJR九州ウォーキングは昨年と同じく熊本駅コースに参加。


(今日のマップ)

8時40分頃に新幹線口をスタート。


(熊本駅新幹線口のおてもやん像)

熊本駅の西側、駅に近いところは新幹線が開通して町並みが整備されているけど、万日山に近い方は以前のままの町並みなので古い家も多い。

昨年4月の熊本地震で、ダメージの大きい家屋も少なくない。ボランティアで家の片づけに行ったお宅もある。今頃、どのようにされているであろうか。

そんなことを考えながら、西南戦争で薩軍が陣地を構え、熊本城を大砲で攻撃した花岡山の仏舎利塔を眺め左折、花岡山に隣接する万日山のトンネルを通過。


(花岡山)


(万日山トンネル)


(トンネルを出て金峰山)


(道沿い)


(寒い!)

西廻りバイパスを渡ると、独鈷山の麓にある池上(いけのうえ)小学校に着く。万日山トンネルを出たところ辺りから目につくが、校舎の壁面には赤龍・青龍がとり付けられている。龍はこれから訪れる「味生池(あじうのいけ)」・「池辺寺(じへんじ)」とつながりを持つ。


(池上小学校の龍)

池上小学校から大きな通りに出たところの空き地には、500分の1のスケールで池上町周辺の地形を復元されていて、池辺寺が栄えた平安時代頃の味生池や有明海の範囲、池辺寺や高橋東神社など各施設の位置、山々の形や大きさを地形など古くからの地域の姿が理解することができるようになっている。

小学校の龍や復元地形は校区まちづくり委員会が中心になっているようで、地元の歴史を核にした地域活動が盛り上がっていることを感じる。


(道路沿いに作られた地域の地形)

井芹川の第一池上橋を渡ると、上り道が続く。少し上ったところにあるのが池上日吉神社。池辺寺の住職の墓碑などがあるが地震で倒れていた。

明治維新後、廃仏毀釈の運動が起こり、仏教寺院は廃寺に追い込まれたところも。池辺寺もその一つのようだ。独鈷山にあった山王社(日吉神社)の仏教色を一掃し、この地に場所を移し池上日吉神社となった。しかし、池辺寺に由緒あるものを地元の人たちが残し移したのであろう。


(池上日吉神社)


(池上日吉神社)


(池上日吉神社。倒れた住職の墓碑など)


(池上日吉神社。廃仏毀釈の名残り)

少し急な上りを歩いて行くと、見晴らしがよくなってきて、味生池展望所へ。みかんをいただいた。
写真左の山の上に突き出たものが見えるのが花岡山の仏舎利塔の上の方。右の山がトンネルを通ってきた万日山。万日山の手前に拡がる平地に味生池があったと推定されている。

味生池は713(和銅6)年~718(養老2)年、肥後の国司として在任した道君首名(みちきみのおびとな)が築いた灌漑用の溜池。道君首名は大宝律令の選定に加わり、新羅に使節として派遣されたりもしている。各地で灌漑用の溜池を作っている。

道君首名を調べていたら生年が663年、天智天皇2年とあって元号はなかった。没年は718年、養老2年。元号が制定されたり、しなかったりした時代から、定着するようになるころである。「日本」という国名が使用されるようになったのは700年前後のことで、古事記の完成が712年、日本書紀の完成が720年。1300年も前の時代にタイムスリップする。


(味生池推定地。右は万日山、左は花岡山。仏舎利塔の先が見えている。) 

さらに上っていくと、百塚地区の池辺寺跡に着く。横の池辺寺歴史公園では、地元の人たちが沢山参加されて、お茶、のっぺ汁、しし肉のおふるまいをいただく。焼き芋とだごまめを買う。


(上りの道沿いで)


(上りの道沿いで)


(上りの道沿いで)


(上りの道沿いで)


(上りの道沿いで)


(上りの道沿いで。みかん畑)


(池辺寺歴史公園)


(のっぺ汁)


(いのしし肉)


(だごまめは夕食時に)

知人にあったので、椅子に坐り、しし肉を何度かお代わりしながら談笑。話題は3月の川尻駅瑞鷹の酒蔵祭りになる。 瑞鷹は熊本地震では大きな被害を受けた。地震後の復旧はどこまですすんでいるだろうか。

公園の一角には金子塔の模型がある。金子塔は公園から約500メートル北西、山の斜面に建てられた石碑。和銅年間に建立され、貞元元年に消失し、僧らが泣き悲しんだ、ことなど池辺寺の由緒が記されている。発掘からは焼失した形跡は無いという。貞元元年は976年。塔の建立は建武4(1334)年と記されている。


(金子塔の模型。池辺寺歴史公園)

公園から階段を上ると、山の斜面一帯に石がごろごろしている。ここには復元されているような石塔が10×10、百の塔が斜面に沿って建っていた。

池辺寺の創建は、説話によると、味生池には龍が住み、人びとに害を与えていた。時の国司が観音様に参ると、池の辺に寺を建て日夜大乗経を唱えるように告げられ、710(和銅3)年に伽藍を建立した、とされている。

しかし、この地の発掘からは、9世紀(801年~900年)の初めに建てられ、9世紀の終わりには消滅しているという。建立も消失も伝えられる説とは100年程の違いがある。

百基の石塔とその配置にどのような意味があるのかも謎で、いくつかの説があるようだが、わかっていない。


(池辺寺跡へ)


(石塔跡)


(石塔の復元)


(このようになっていたと思われる。)

百基の石塔の下段には本堂が建てられていた跡が発掘されている。どのような建物であったかはわかっていないが、建築学の観点から復元したものが展示してある。


(本堂跡)


(本堂の復元)


(本堂跡と石塔跡)


(庭園風の池も発掘された。)

復元された本堂や石塔から、当時の姿を想像すると、これまでどこででも見たことのない世界が広がる。

謎の百基の石塔、不思議な空間。後ろを振り向けば花岡山と万日山が見える。その麓では人々が暮らしている。ここで、百基の石塔に何を祈願したであろうか。


(池辺寺跡)


(遠くの右には万日山、左には花岡山。仏舎利塔の先が見える。)


(池辺寺跡)

下界へ降りよう。

竹林の道を歩く。ぬかるんでいるところもある。水溜りはまだ凍っている。


(竹林を歩く)


(昨日の雨で)


(水溜りの氷)

途中、ワクド石がある。ワクドは蛙のことで、ここは池辺寺領とこれから訪れる聖徳寺(しょうとくじ)領の境界シンボルとなっている。


(ワクド石)


(ワクド石に刻まれている。)

癒しの坂道と名づけられた山道を下りていと、独鈷山(どっこさん)が見えてくる。

空海は、遣唐使として804(延暦23)年から806年(元和元)年、唐に留学する。唐から三つの密教の法器を日本に投げた。三鈷杵は高野山、五鈷杵は京の東寺、独鈷杵は妙観山に落ちた。それから妙観山は独鈷山と呼ばれるようになったと伝えられている。


(癒しの坂道へ)


(癒しの坂道)


(独鈷山)


(歩きやすいように)


(下りきったあたりで)

山道を下ったところに、高橋西神社があり、そこから右に曲がって聖徳寺へ。 ここでも地元の人たちのおもてなしでコーヒーをいただく。
「いのししは食べました?」
「食べたですよ。」
「いのししは初めてでしたか?」
「食べたことありますよ。いのししやしかは。」
「この辺の山ではいのししは見るけど、しかは見らんですね。」
などとお話。
聖徳寺は通称高橋の風天さんと呼ばれている。

風天尊の由来は、いただいた説明書に「開山の良快が観堂の前に落ちかかった雷神を真言秘密の法で封じ込めると、雷神は罪を許されるならば以後この地に落雷しないと誓ったので許したところ昇天としたといい、良快は雷神の姿を写し、木に刻んで守護神として勧請し、依頼今日まで当地には落雷がないという。」と記されている。


(聖徳寺)

聖徳寺を後にして、少しコースを外れる。高橋西神社を左に見て、橋を渡り、信号を右に曲がって、高橋東神社へ行く。小さい社だが橋から直ぐわかる。「天社宮大楠の不思議な力・・・」の文字が見える。大楠に両手を当てたのでいいことを期待しよう。


(高橋西神社)


(高橋東神社)

高橋東神社は、味生池を築いた道君首名を祭ってある。古事記や日本書紀には出てこない人で最初に祭られた人ではないかと思うがどうなんだろう。天満宮に祭られている菅原道真(845年~903年)よりも180年程前の時代の人である。


(高橋東神社)

味生池があった井芹川は、神社が建っている地で熊本城長塀のところを流れている坪井川と合流し、有明海へと注いでいる。


(右の井芹川、左の坪井川が合流し、有明海へ)

コースへ戻り、井芹川沿いを歩いて、第一池上橋に着く。橋の上から上流を眺めると、その先には国の史跡に指定され、装飾古墳で有名な釜尾古墳(かまおこふん)がある。 6世紀(500年代)後半頃の築造と推定され、井芹川の上流にも多くの人々が住んでいたことがうかがえる。


(独鈷山と井芹川)


(井芹川沿いの畑)


(井芹川沿いの田)

その人々は、井芹川から有明海に出て、魚を獲ったり、他の地域と交流したり、壱岐や対馬を経由して朝鮮半島との交流もあったかもしれない。豊かな生活を営んで、古墳も築いた。その井芹川下流に溜池が出来たとき、どのような反応をしただろうか。龍の正体はそのような人たちだったのではなかろうかとも思う。


(井芹川第一池上橋から上流)

ここからは朝方来た時のコースを逆に歩く。橋を渡ったところで係りの人に二王堂の板碑を案内された。地蔵の立像が刻まれているようだがよく見えない。


(二王堂の板碑)

池上小学校横の焼き立て工房Asaiでパイシューを買って歩きながら食べる。ウォーキングコースで地元のお店で買い食いするのは楽しい。その地域に溶け込んだ感じがする。


(池上小学校で)


(焼き立て工房Asai)

万日山トンネルを再び歩いて、熊本駅にゴール。池辺寺歴史公園で買った焼き芋を食べる。それに地下水が水源の熊本市の水道水。ホッとする。公園で買ったもうひとつだごまめは夕食時にまわす。


(万日山トンネル)


(ゴール熊本駅新幹線口)


(熊本市の水道水)

コーヒーサービス券を池辺寺跡でいただいたので、シアトルズベストコーヒーでゆっくりとコーヒー。ウォーカーがいっぱい。ビール抜きで今年最初のJR九州ウォーキングを終える。


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