映画と渓流釣り

クリぼっちに想う




「逃げ恥」に一定の距離を置こうと、22日にはワインをしこたま飲み、逃げ恥ロスの憂さを晴らした積もりだったけれど、結局三連休横浜にも帰らず、一人一話からじっくり観直してしまい益々距離を置くのが難しくなった。
何がこんなにもわたくしを駆り立てるのか知りたくて、小賢しくも分析を試みようと思う。

世間では、ムズキュンとか恋ダンスとかガッキー天使とか源ちゃん可愛いとかばかり喧伝されているが、本当の凄さは、結婚の在り方とか夫婦である事の根源的な定義への新たな指針を示している事だと思う。結婚・夫婦=共同経営責任者と言う定義を最終回に提示して、これからどの様に協働生活をしていくべきかを問題提起する事となった。主婦の家事労働を給与の発生する契約として結婚生活を見立てるドラマが、これ程までに受け入れられるとは思いも寄らなかった。

家事労働を仕事(給与の発生する)としてならプラスワンを目指せても、ボランティアなら気の向くままにしかガンバレない。と言う説明は単純だけれど説得力がある。ボランティアでやっている事に四の五の言われてもなぁ~。これまたその通りだ。

結婚は契約であるけれど、契約の中味はそれぞれ不文律。みくりの様に小賢しい論拠をかざして、なりたい自分を探そうとする人は【変わった人】だ。ほとんどの女性は結婚したら旦那の好きな献立を考えて、当たり前の様にパンツを洗う。そうかと言って、男性だけが夫婦の役割分担を疎かにしているわけではない。社会全体が、なんて言っちゃうと無責任な言い方かもしれないけど、年配の夫婦だけでは無く若い人達にも暗黙の分担が出来上がっているのじゃなかろうか。

平匡感じるところの、分担が感謝や思い遣りを失くしているとは、わたくし自らの体験にも分かり易く当てはまる。わたくし共夫婦も長い間共働きで、何と無く家事の分担は出来ている。ほぼ毎日の業務で、奥様は洗濯全般を受け持ち、わたくしは料理全般。掃除は気になった方が、生きて行くのに困らない程度、四角い所を丸く掃く感じ。たまに奥様が食器の後片付けをしてくれた時は有り難いと思うので、日が陰る前に乾いた洗濯物は取り込むようしている。それが、感謝とリスペクトだ。この感覚を持てるまでに四半世紀もかかった。
それまでは、なんでやっていないんだ。とか、自分ばかりが。と、協働生活の反対側ばかりに目が行ってしまう事の繰り返しだった。

これまであったラブストーリーは恋人になる迄若しくは結婚する迄の軌跡を描く事に注力されていた。その過程にも日々の面倒臭い生活のあれこれはあるはずだけど、火曜日が資源ゴミの日であることを認識することはない。「逃げ恥」が描こうとした結婚・夫婦の形とは、ビジネスライクな賃金を介しての契約結婚が恋する(愛する)二人になった時の選択だ。そこにはハグも恋人繋ぎも立ち行かない面倒臭い生活の日常が待っている。そこを乗り越えようとしたところに、このドラマの斬新性と信憑性がある。
だから、10代の若人からわたくし達世代(四捨五入すれば還暦)までに訴求できたのだ。


昨今の邦画で描かれるラブストーリーは圧倒的に若年層(中高生)向けのものばかり。それはそれでいい。だって、大人は映画館に行かないから。観てくれない人達にリスクを負った興行は出来ない。
「逃げ恥」がここまで大人の視聴者を引き付けた事実があるなら、映画館には行かないけどテレビの前に座ってくれる人達に向けて良質のドラマを提供すれば自ずと結果は出るのじゃないか。それじゃ今どんなドラマを大人は観たがっているのだろう。

2015年1月期に放送されたドラマ、古沢良太脚本「デート~恋とはどんなものかしら」と「逃げ恥」の類似性に着目したい。
「デート」の主人公は高学歴のリケジョで内閣府の研究所へ勤める依子と、自らを高等遊民と称し引きこもりのオタク巧が恋をして、自分以外の価値観を知り歩み寄って行くまでを描いている。人物設定は「逃げ恥」の二人よりかなりブッ飛んでいるけれど、高学歴で小賢しさや自尊感情をコントロール出来ないという共通点はとても良く似ている。物語には関係無いけれど、舞台が同じ横浜であることも市民としては嬉しい。

でもそれは単に二つのドラマに登場する風変わりなカップルだけの問題なのだろうか?
わたくしにも26歳の娘と24歳の息子がいるので、恋する適齢期を現代の20代~30代はどの様に過ごしているのかチョッピリ気になるところだ。報道によれば彼氏彼女を持たない割合が多いのだとか、もっと言うならそれを欲していないらしい。24歳の息子を見ていると然もありなん。そこそこの大学を卒業して、就職浪人ギリギリでありながらも就職し毎日真面目に働いているけど、彼女どころか女友達の話も聞いたことない。二つ上に姉がいるから平匡や巧の様な生物的未接触ではないけれど、リスクを冒してまで冒険しない。と言うよりも、彼女という実在のUMA(未確認生命体)を抱え込むより、二次元のアニメキャラにときめいている方が楽しいみたいだ。

生まれた時からビジュアルゲームを与えられてきた世代は、大人になってもバーチャル(幻想)世界と絶縁することはないだろう。リアル(現実)世界の鬱陶しい 面倒を否定したくなる気持ちが分からないではない。わたくし達世代も、田舎の濃い人付き合いの面倒から逃げるため都会に逃避している。

「逃げ恥」最終回で平匡がみくりに語りかけた様に、生きるのは面倒臭いものだ。それを一人で乗り切るか、二人して越えて行こうとするか。「デート」も「逃げ恥」も交わる確率の低い二人が、自尊感情の壁を乗り越えながら生きる面倒臭さに二人して挑戦して行くから我が事の様に応援したくなるのだ。

二人なら面倒な壁にぶつかっても、応相談で乗り切ることが出来るかもしれない。
ドラマ「逃げ恥」から発信されたメッセージはそんな風に感じた。そして、いま一人ぼっちでクリスマスを過ごしている大人達にもそっと届くと良いのに。と切に願う。


ただ、
みくりと平匡は形式としての婚姻をどうするかについて保留とした。
百合は風見にyesと答えはするが、先は分からないけれど、との注釈付きだ。
沼田の恋だって不透明だし、日野の家族にもリストラの火の粉はいつ飛ぶか分からない。
やっさんのお店もひらりちゃんの未来だって未知数だ。

でも、
縛られ小さな痛みがあってもいつの日か解き放たれ、時に泣くことがあっても笑って行けますよう。わたくしも祈る。

今、あなたには、ありがとうと大好きが言える人いますか?

2016 メリークリスマス






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