『天国の階段』のテファの死について、何度も考えます。
自分だったら、どうするかなあって。
最愛の人が、もし角膜を移植できればまた目が見えるようになるんだとします。
もし、生体角膜移植ができるのなら、私はソンジュと同じです。
自分の目を一つ上げます。
今の日本ではできるようです。
しかし、もし、あの時代の韓国のように生体角膜移植はできないとしたら、そのとき、私はどうするだろうか?
自分が死んで、その角膜を使ってくださいって、やるかなぁ?
交通事故は選ばない。失敗する可能性が高いから。
飛び降りは?これも頭から落ちて眼球が飛び出して破損してしまったらいけない。
毒物は?目に毒が回って使えなくなってはいけない。
…
なんてことを色々と考える。
そこでもし、失敗せずに、角膜も傷付けずに確実に死ねる方法があったとして、私はそれをするかなぁ?
こういうことを何度も考えるのです。
でもやっぱり死ぬのは怖い。痛いだろうなあ。
自分にはそれはやっぱりできないなあ、と思うのです。
十年以上前に最初の放映を見て、結婚式のシーンとか他のところはすっかり忘れていたのに、テファの死はしっかりと覚えていた。
それほど強烈に、テファの死が私の心の中に刻まれていたのは、上のようなことを考えて「自分にはできない」という思いがあったからだろうなと思うのです。
さあ。今日はいよいよ最終話。
これで、最後です。