見るもの全てを映し出しているのは
私以外に居ないのですが
時折「こんな事までも・・・?」
と思いたくなることもあります。
私も分離感が何かのキッカケで強くなり始めると
見るものを私対相手とし、幻想を作り出してしまいます。
この現実を如何に良く生きるかと言う視点に立った時
やはりそこで思うのは、
物事をあるがままに(中立に)見ることの大切さでした。
「あるがまま」それは時に目に見えないものにも及びます。
できる限りの意味づけをはずし、ニュートラルの状態を保つ事で
人の心、人の気持ち、それらは全て愛であることが見えてきます。
分離して相手に変わって欲しいと感じるときは、自分が変わる良いチャンスです。
自分を変えようとせず、取りあえず選択肢を変えることで、一時その苦しみを回避できたとしても
中心で物事を捉えるようにならなければ、別のシーンでまた同じ苦しみが浮上します。
何もかもを頭で解っていても、なかなか腑に落とせない事も多々あります。
個人差はあると思います、年代によって昇華しなければならない物の量も違いがあるとも思います。
インディゴ世代が苦労すると言われるのは、そのあたりをさしているのかも知れません。
苦しみさえもまた良しと、そんな風に受け入れて行くことで、ニュートラルに向かって行けると思います。
私自身も、更なるものを追い求めて、ただいま浄化真っ最中。
宇宙を愛で満たせるようにと望む人は、共に歩んで行きましょう。
弥栄!
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