目覚め

2010年12月20日(月)

人間を生きる

2025年01月28日 | 修行・他
それぞれの視点(自我)で人は発言し
それぞれの視点(自我)で私は正しいを言う
それは戦争であっても
日常の争いであっても
何ら変わるものではない

発信(言い分)の根底にある物は
善悪正誤のジャッジのもとに来ている
しかし善悪正誤とは
個々の思考感情などから作り上げる幻想のような物で
時々の都合により変わってゆき
絶対なもの(唯一無二)のものではない

では、絶対なる物がどこにあるのかと言えば
自我の影に隠れていて日頃は実感できないが
眠っている時や瞑想状態にある時に
繋りを感じ体感できる
源となる「それ」である


「それ」とは
生かされているエネルギー(命)そのものであり
質はこの世界でいうところの愛と言うものに酷似している

おおもとである一つの命を
肉体と言う着ぐるみ(入れ物)で分け
個々の私(自我)と感じるものを作り出し
個々の肉体で地球体験をすることが
人間として生きると言う事である

体験は肉体を持ったが故にできるものであり
源から見ればどの肉体がそれを体験してもよいのである

また
事を起こすことができるのは自我であって
瞑想、内観によりその自我が消滅した状態にあれば
何も起こりはせず
ただそれぞれがそうあるだけである


肉体を持つ以上
エネルギーはそれによって分断されているので
100セント自我を消滅させることはできない

出来るとすれば
自身の意志で意識体を残したまま肉体を去り
実感できる意識が地球をただ見て
楽しむことであろう

そのための方法は
瞑想内観を突き詰めて行けば
やがて知ることができるものと
現時点では推測する

人生と言う旅の
行きつく先が
どのような物であるか
大いなる楽しみである

感謝



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