目覚め

2010年12月20日(月)

中立

2018年07月11日 | 修行・他
私達は身体をもって自他を分け、個としてここに存在しています。
個には「私」と感じる自我があります。

自我は日常をありありと体験したくて、起こった事柄を見ては思考しては沢山の意味を付けます。
良し悪しに始まり、上や下、高いや低いなどとジャッジして、沢山の意味を付けて行きます。

実際に起こった事は、ただそれが起こっているだけで、そこに意味はありません。
意味を付ける事無く、事象だけを見ていると、紙に書いた絵の中に居るようで、
気持ちや感情が揺れる事はありません。

ですが、思考して意味づけをし物事を見ると、大きく気持ちが揺さぶられ、
臨場感あふれる世界が体験できて、自我が大いに満足するのです。

一方、自我ではない本当のわたし真我とは、
全体を意味づけすることなく、中立にただ観ている意識です。


朝方目が覚める直前や、エネルギーワークなどを受けている時などに、
身体が眠っているのにもかかわらず寝ているのが分かっていたと言う体験をされた方もいるかと思います。
 
この分かっている何者かが、本当のわたしであり意識そのものなのです。
身体が寝ている時でさえ、意識は中立にただ観ているだけで、見た物に意味を付ける事はありません。


思考して日常に意味を付け、起こる事に張り付いて右往左往している時は、本当のわたし(意識)に気づくことはありません。
思考(自我)に対し、ただ観る事は無思考(無我)である事なので、この2つの相反する状態を同時に作りだす事は出来ないからです。

睡眠中は思考が止まっているために、本当のわたしに気づいたりするのです。
分離している私を、本当のわたしに近づけて行く、もしくは統合させるには、
今までしていた意味づけを一切やめてしまえばいいのですが、
長い間意味づけが習慣となり、意味付けの元である観念概念が、身体全体に沁みついていて
急に意味づけをやめる事はできません。

中立な視点を覆い隠す、それらの観念概念を、内観や瞑想により昇華してゆくことで、
やがて本当のわたしそのもので生きられるようになるのです。


人の生き方は人の数だけあり、自我を使い分離し創り出した幻想の中を生きるも、
意味づけせずにその場その場で見て感じた物のみを楽しんで生きるも、
どちらを選ぶも自由であり良し悪しはありません。
ただ、どのように在りたいかだけなのです。 


中立とはどのような事ですか?と言う質問にお答えして、自我と真我について書いてみました。
生きとし生けるものの幸せをお祈りします。 


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