私がインターネットを始めてから25年が過ぎますが、
1998年当時はスピリチュアルと言う言葉ををネット上で見かける事は殆どありませんでした。
テレビ番組でオーラの泉と言う番組が2005年あたりに放送され、
そこでスピリチュアルと言う言葉を知った方も沢山いると思います。
当時のテレビの影響もあってか、今ではSNSをみると
目に見えない世界は皆、スピリチュアルという呼び方で一括りになっている感じがします。
また、悟り・覚醒については宗教とされることが多く、
実際それらを体感として得ている者は「何かが違う」と「もやっ」としつつも、
説明したいと思う自我が昇華されていて「説明しても良いし、しなくても良い」という
中立の視点でただ見てしまい、説明する人が殆どいません。
先日、私の妹より「日々瞑想している」と他の人に言うと、まだまだ一般的には理解されておらず、
怪しい事をしているように思われている。
そのため「ヨーガをしているから、頭の中を整理するために、そこで仕方を教わって瞑想している」と
言い訳のような、説明のようなことをしなければならないという話を聞きました。
それと同時に、悟り覚醒についてブログを書く時も、以前は占いスピリチュアルとしかジャンル分けされておらず、
そこでも「もやっ」とした事を思い出し、この際一度ブログに書いてみようと思いました。
ここ最近、ゾーンに入るとか、整いましたとか、悟り状態に近い表現や、
PNSE(継続的非記号体験)と呼び心理学的な「悟り」を解説する分野が出て来ましたが、
その辺りも一部の方たちによるものであり、まだまだ一般化はされていません。
悟りとは、この宇宙がどのようにして出来、その仕組みがそのように成り立っているのかを、
学問として分離した各々の思考に取り入れられた知識として知るのではなく、
自我に覆われ隠されている、源(エネルギー)と繋がり、そこに含まれる情報を体感として得るので、
同じ宇宙全体を見る(知る)にあたって、方法(視点)が異なります。
悟りを得た人が「意識が反転した」と表現するのは、個々の肉体(自我)から外の世界を見るのではなく、
「意識体を己とし」自身の肉体も含め他と分離しているさまを、客観的に外から見ることをさしているのです。
これらは宗教でもなければ、スピリチュアルと呼ばれるものでもありません。
宗教とは釈迦やキリストなどの、ファンクラブの様なものと雲 黒斎さんが表現しましたが正にそうですし、
昨今スピリチュアルと括られているものは、個々の肉体(自我)から見た世界を表現しているものを指しています。
チャネリングと呼ばれていても、根源からの情報ではなく、思考で作られたものも含まった情報であったり、
霊魂がどうのとこうのと言うのも、みな分離からの視点です。
地球外の星の記憶をたくさん持つ人はそれを語り、地球の記憶の多い人はそれを語ります。
ですが他の星も地球も、どちらも同じ様にただ分離しているだけです。
こうして文字を使い、もやっとしたものの正体を説明しているのも分離状態です。
分離していてもしていなくても、そこに善し悪しが無いのが悟りの世界です。
宇宙人も含め、万人ににとっての「本当の私」は、
宗教もスピリチュアルも、何もかも全てをただ見ている名もなき「それ」一つなのです。
意味付けもなく、言葉もない「それ」そのものをを、
言葉や文字と言う分離の概念にあてはめ、ジャンル分けすることは不可能なのです。
これらを体感として得る(悟る)ために、原初のヨーガや瞑想、内的観察というものが、手段としてあるのです。
悟り状態とはどのようなものか、どのような感覚であるかについてはここでは割愛いたしますが、
悟りを得たいと”心底望む”人は、そのような体験がきっと待っています。
説明できないものを言葉に置き換えてのブログを
いつもお読みくださり、ありがとうございました。
*・゜゚・*.。:*・*・゜゚・*.。:*・*・゜゚・*.。:*・*・゜゚・*.。:*・*
樹慧(じゅえ)
2010年クンダリーニ昇華~意識変化~宇宙意識~梵我一如
8歳より私とは何ぞやを探求し始め今に至る。
セッションのお申込み、詳しいPFはHPからご覧ください。
*・゜゚・*.。:*・*・゜゚・*.。:*・*・゜゚・*.。:*・*・゜゚・*.。:*・*
1998年当時はスピリチュアルと言う言葉ををネット上で見かける事は殆どありませんでした。
テレビ番組でオーラの泉と言う番組が2005年あたりに放送され、
そこでスピリチュアルと言う言葉を知った方も沢山いると思います。
当時のテレビの影響もあってか、今ではSNSをみると
目に見えない世界は皆、スピリチュアルという呼び方で一括りになっている感じがします。
また、悟り・覚醒については宗教とされることが多く、
実際それらを体感として得ている者は「何かが違う」と「もやっ」としつつも、
説明したいと思う自我が昇華されていて「説明しても良いし、しなくても良い」という
中立の視点でただ見てしまい、説明する人が殆どいません。
先日、私の妹より「日々瞑想している」と他の人に言うと、まだまだ一般的には理解されておらず、
怪しい事をしているように思われている。
そのため「ヨーガをしているから、頭の中を整理するために、そこで仕方を教わって瞑想している」と
言い訳のような、説明のようなことをしなければならないという話を聞きました。
それと同時に、悟り覚醒についてブログを書く時も、以前は占いスピリチュアルとしかジャンル分けされておらず、
そこでも「もやっ」とした事を思い出し、この際一度ブログに書いてみようと思いました。
ここ最近、ゾーンに入るとか、整いましたとか、悟り状態に近い表現や、
PNSE(継続的非記号体験)と呼び心理学的な「悟り」を解説する分野が出て来ましたが、
その辺りも一部の方たちによるものであり、まだまだ一般化はされていません。
悟りとは、この宇宙がどのようにして出来、その仕組みがそのように成り立っているのかを、
学問として分離した各々の思考に取り入れられた知識として知るのではなく、
自我に覆われ隠されている、源(エネルギー)と繋がり、そこに含まれる情報を体感として得るので、
同じ宇宙全体を見る(知る)にあたって、方法(視点)が異なります。
悟りを得た人が「意識が反転した」と表現するのは、個々の肉体(自我)から外の世界を見るのではなく、
「意識体を己とし」自身の肉体も含め他と分離しているさまを、客観的に外から見ることをさしているのです。
これらは宗教でもなければ、スピリチュアルと呼ばれるものでもありません。
宗教とは釈迦やキリストなどの、ファンクラブの様なものと雲 黒斎さんが表現しましたが正にそうですし、
昨今スピリチュアルと括られているものは、個々の肉体(自我)から見た世界を表現しているものを指しています。
チャネリングと呼ばれていても、根源からの情報ではなく、思考で作られたものも含まった情報であったり、
霊魂がどうのとこうのと言うのも、みな分離からの視点です。
地球外の星の記憶をたくさん持つ人はそれを語り、地球の記憶の多い人はそれを語ります。
ですが他の星も地球も、どちらも同じ様にただ分離しているだけです。
こうして文字を使い、もやっとしたものの正体を説明しているのも分離状態です。
分離していてもしていなくても、そこに善し悪しが無いのが悟りの世界です。
宇宙人も含め、万人ににとっての「本当の私」は、
宗教もスピリチュアルも、何もかも全てをただ見ている名もなき「それ」一つなのです。
意味付けもなく、言葉もない「それ」そのものをを、
言葉や文字と言う分離の概念にあてはめ、ジャンル分けすることは不可能なのです。
これらを体感として得る(悟る)ために、原初のヨーガや瞑想、内的観察というものが、手段としてあるのです。
悟り状態とはどのようなものか、どのような感覚であるかについてはここでは割愛いたしますが、
悟りを得たいと”心底望む”人は、そのような体験がきっと待っています。
説明できないものを言葉に置き換えてのブログを
いつもお読みくださり、ありがとうございました。
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樹慧(じゅえ)
2010年クンダリーニ昇華~意識変化~宇宙意識~梵我一如
8歳より私とは何ぞやを探求し始め今に至る。
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