多摩爺の「歴史の小径(その7)」
各員一層奮励努力セヨ - Z旗が翻る -(神奈川県横須賀市)
東京湾を渡ってくる潮風に吹かれて・・・ Z旗が翻っていた。
神奈川県と東京都を南北に結ぶ、京浜急行に乗って三浦半島をしばらく南下し、
「横須賀中央駅」で下車して、埠頭方面を目指して歩き、海岸通りを越えると、
在日米軍(海軍)のベースキャンプがあり、
ベースキャンプ沿いをしばらく歩くと、Z旗を掲げた古めかしい軍艦が見えてくる。
遡ること126年前・・・ 九州と朝鮮半島の真ん中辺り(対馬海峡)で、
大国ロシアと相まみえた、歴史に名を残す海戦において、
当時、世界最強と評判だったバルチック艦隊を破った、戦艦「三笠」こそが、
その古めかしい軍艦であった。
1900年にイギリスで建造された、
全長132メートル、幅23メートルの・・・ 明治の戦艦「三笠」は、
40年後に呉海軍工廠で建造された、
全長263メートル、幅39メートルの・・・ 昭和の戦艦「大和」と比べれば、
その大きさは半分ぐらいだが、船内に立って、静かに目を閉じ、空想に耽れば、
日本海の荒波に揺られながら、
聯合艦隊司令長官「東郷平八郎」が、打電を命じた名文を感じ取ることができるだろう。
1905年 5月27日 6時21分
出撃命令が下された聯合艦隊は、大本営に向けて打電する。
「 敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ 聯合艦隊ハ直チニ出動 コレヲ撃滅セントス
本日天気晴朗ナレドモ浪高シ 」
同 13時55分
バルチック艦隊と対峙した、聯合艦隊司令長官・東郷平八郎は、
旗艦「三笠」にZ旗の掲揚を指示し檄を飛ばす。
「 皇国ノ興廃 コノ一戦ニ在リ 各員一層奮励努力セヨ 」
Z旗がもたらす意味とは・・・ 「もう、後がない。(背水の陣)」であり、
開戦を指し、全軍の士気を鼓舞する役割があった。
一世紀以上の時空を超えた、神奈川県横須賀市の三笠公園
かつての栄光を、いまに伝える戦艦「三笠」は、記念の資料館としてその雄姿を残し、
当時の聯合艦隊司令長官「東郷平八郎」の銅像が傍らで見守るなか、
青嵐を受けて翻るZ旗が掲げられていた。
戦艦「三笠」と言って・・・ 直ぐに思い浮かべるのは、
歴史作家、故・司馬遼太郎氏が、10年の歳月をかけて書き上げた長編小説「坂の上の雲」だろう。
この国が近代化に向けて歩み始めた、明治という時代、
その時代を生きぬいた若者たちのエネルギーと苦悩を、
伊予(愛媛)出身の「秋山真之」という、一人の軍人(海軍中佐)をとおして描かれている。
10年ぐらい前だったと思うが、NHKのスペシャルドラマとして、
3年に渡って暮れに放映された「坂の上の雲」のプロローグから、
心に留めておきたい部分を抜粋して記しておきたい。
まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている。
小さなといえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。
産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年の読書階級であった旧士族しかなかった。
明治維新によって、日本人ははじめて近代的な「国家」というものをもった。
だれもが「国民」になった。
不馴れながら「国民」になった日本人たちは、
日本史上の最初の体験者としてその新鮮さに昂揚した。
この痛々しいばかりの昂揚がわからなければ、この段階の歴史はわからない。
社会のどういう階層の、どういう家の子でも、
ある一定の資格を取る為に必要な記憶力と根気さえあれば、
博士にも、官吏にも、軍人にも教師にもなりえた。
この時代のあかるさは、こういう楽天主義から来ている。
彼らは、明治という時代人の体質で、前をのみ見つめながらあるく。
のぼってゆく坂の上の青い天に、もし一朶の白い雲がかがやいているとすれば、
それのみを見つめて・・・ 坂をのぼってゆくであろう。
いかなる理由があれ、戦争を賛美するつもりは・・・ 全くもってない。
日露戦争の背景にあったものは、朝鮮半島と大陸(満州)を巡る覇権争いだったことを思えば、
今日(こんにち)のような世界においては、けっして褒められることではない思うが、
もし、日本海の海戦でバルチック艦隊に負けていたら、
この国はロシア領になっていた可能性も・・・ 否定することできない。
近代化が進んだ西欧列強が、力ずくで従わせようと、
アジア諸国に圧力をかけていた、なんでもありの時代にあって、
明治維新から約30年、ちょん髷を切ってから約30年、鎖国を解いたばかりのアジアの小国が、
大国に戦いを挑むなんて、無謀としか言い様がないが、
この戦いに勝ったことで・・・ 後に大失敗を招くのだから、
歴史に学ぶところはあっても、歴史を遡れば遡るほど、いったいなにが正解だったのか、
それを検証することは極めて困難になってしまう。
だから・・・ 「戦争だけは、絶対にやってはいけないんだ。」と、皆が気安く口にするが、
日清や、日露のいずれかで敗れていたら、
先の大戦でアメリカやイギリスと戦うことはなかっただろうが、
一方で、この国は・・・ 社会主義の国家になっていて、
言論や行動を含め、教育や信教、思想など、多くの自由を失っていたかもしれない。
コロナ禍において、自由と我が儘をはき違えて、
文句だけしか言わなくなってしまった今日(こんにち)
10年経って、コロナ禍を振り返ってみたとき・・・ この国は、どのように総括するのだろうか?
歴史に学べば・・・ 結局のところ、何事においても「結果オーライ」という解しかなく、
自由と我が儘の境界線は、・・・ 間違いなく、曖昧なままで先送りされているだろう。
人生なんて・・・ 計画どおりに行くことは極々まれであり、
行き当たりばったりが常ではなかろうか?
その時々に、非常識だといわれても構わないから、悔いを残さない判断ができたか否かが肝要であり、
それが全てだと思うから、私の人生は・・・ いつも背水の陣であり、
結果が芳しくなくても、次は頑張ろう、次こそは頑張ろうと割り切ることにしている。
さて、緊急事態宣言が発令されてなお、
変異種によって蔓延拡大が治まらない新型コロナウイルスの猛威
いまどき「皇国ノ興廃」などといった、狂気じみた言葉を使うことはあり得ないが、
今日(5月24日)から、東京と大阪で自衛隊の医官を中心に、
この国の命運を賭けて、大規模会場で行われる
ゲームチェンジャー(ワクチン接種)への期待は大きい。
司令長官でもある防衛大臣は、きっと心の中で「各員一層奮励努力セヨ」と叫び、
祈るような面持ちで・・・ 見守っているのではなかろうか?
閑話休題
蛇足になるが・・・ 55歳で後進に道を譲ったサラリーマン時代、
その最後の勤務地となったのが横須賀だった。
僅か2年の勤務だったから、それほど感慨深いわけでもないが、
横須賀の町には、なんとなく縁というものを感じている。
そうそう、私の家系には、もう一人だけ、横須賀に縁がある人物が居る。
たしか・・・ 明治30年代の生まれだったと記憶しているが、
島根県の商家に生まれた母方の祖父は、20代の後半で退役し、実家に戻って家業を継ぐまでは、
帝国海軍に奉職する軍人だったと・・・ 聞いたことがある。
他界してから既に30年以上の月日が流れ、祖父からその話を聞いた時には、
既に傘寿を過ぎており、どこまでが本当のことで、どこからが思い込みなのか、
実のところは分からないが、
祖父がいうには・・・ 横須賀港に停泊していたときに、関東大震災を経験したと言っていた。
その日は非番だったので、都内に実家がある同僚宅に転がり込んでいて、
昼メシの魚を七輪で焼いてるときに、突然大きな揺れが襲ってきたと語っていたことを思い出す。
それが、本当かどうかは分からないが、泳ぎだけは・・・ 驚くほどに達者だった。
小学生の頃、夏休みに帰省すると・・・ 日本海に面した海水浴場から、歩いて数分の宿に泊まり、
海水浴に連れて行ってもらったことは、しっかりと記憶にとどめてある。
初夏の青嵐を受けて、戦艦「三笠」のマストに翻るZ旗、この旗の下に全軍の士気は鼓舞された。
[戦艦 三笠]
建造所 バローインファーネス造船所(イギリス)
排水量 15,140トン 全長 131.7メートル
最大幅 23.2メートル 吃水 8.3メートル
機関 15,000馬力 最大速力 18ノット 航続距離 7000海里/10ノット
乗員 860名
兵装 主砲 40口径30.5センチ連装砲2基4門
副砲 40口径15.2センチ単装砲14門
対水雷艇砲 40口径7.6センチ単装砲20門 47ミリ単装砲16基
魚雷発射管 45センチ発射管4門
戦艦「三笠」を背に立つ聯合艦隊司令長官「東郷平八郎」
その傍らには歴史的な檄文が・・・ 碑として刻まれている。
司馬遼太郎さんの愛読者だった父は、とりわけこの本が好きでした。
二年越しの大河ドラマになると聞いて、「これを見終わるまでは死ねないなあ」と言ってましたが、あれから10余年、もうすぐ94歳(笑)
私も三笠は3年前くらいに見学したことがあります。
記事を読みながら、父を連れてってあげたいなぁと思いました。
司馬遼太郎さんのファンは、みなさん「坂の上の雲」が大好きだと思います。
歴史の主役のようで、実は脇役にフォーカスしていて、
その人の存在を、後世に伝えてくれた功績は、とっても大きいと思います。
私は、人気のある「竜馬がゆく」よりも、長岡藩の河井継之助を描いた「峠」や、
漢方から蘭学へ、この国の医学の方向を大きく変えた松本良順を描いた「胡蝶の夢」も好きです。
また、歴史の敗者にフォーカスした葉室麟の歴史小説もお勧めです。
連日の感染者報道に加えたオリンピックの是非も含め、皆が言いたい放題の状況です。
一方で、多摩さんが仰る通り、これは言論・表現の自由の裏返しでもあるのですよネ。
諸々ございますが、総論は良しということですね!
コロナ施策は右往左往の様子がありますが、一方で菅さん始め国のトップが、比較的「聴く耳」を持っていらっしゃるがゆえの状況とも考えています。
対応が遅いだの、我慢できないなど、いろいろありますが、
まずは為政者の声に耳を傾け、自らの行動が家族や他人(職場や近隣など)に優しい振る舞いなのか、それが肝要であって、
それを為政者が言えば、オウム返しで反発し炎上を目論む勢力がいます。
私は、その役割を担うのがメディアやコメンテーターだと思っています。
みんなが好き勝手言ってますが、能動的にとれる対策は、特効薬がない現状では、自制とワクチン以外の他にはないと思っています。
年を取ると、理屈っぽくて申し訳ございません。