多摩爺の「歴史の小径(その5)」
ならぬことはならぬものです。 - 什の掟という指針 - (福島県会津若松市)
会津盆地の、遅くて短い春は・・・ あっという間に過ぎて行く。
つい昨日までは、満開だったはずの桜が、皐月の風に吹かれてハラハラと舞っていた。
2011年3月、東日本大震災から約2週間が経ち、春の兆しが感じられるようになったころ、
城下町・会津のシンボル「鶴ヶ城(会津若松城)」は、
幕末の当時を思い起こさせる・・・ 赤瓦に葺きかえられていた。
満開の桜の合間から覗き見る鶴ヶ城は・・・ 極上の極みだが、
赤瓦に舞う桜の花びらもまた・・・ 格段の趣がある。
散る桜は、その潔さを称えて、武士の生きざまに例えられることが多い。
遡ること約150年、戊辰戦争最大の激戦地となった会津
そんな会津の城下では、藩士を育成する指針として、
「什の掟(じゅうのおきて)」という・・・ 約束事があった。
「什の掟(じゅうのおきて)」
年長者の言うことに背いてはなりませぬ。
年長者には御辞儀をしなければなりませぬ。
虚言をいうことはなりませぬ。
卑怯な振舞いをしてはなりませぬ。
弱い者をいぢめてはなりませぬ。
戸外で物を食べてはなりませぬ。
戸外で夫人と言葉を交えてはなりませぬ。
ならぬことは・・・ ならぬものです。
東日本大震災から、区切りの10年目を迎えた・・・ 2021年の晩春
大陸から断りなく侵入し、世界の各地で変異を繰り返し、
罪のない多くの人々の命と生活を奪ってきた。
新型コロナウイルスというバケモノの猛威に不安が高まり、
息苦しくて堪らない日々は・・・ 既に1年以上も続いている。
銃撃や砲撃の音は聞こえないが、見えないウイルスとの戦いは、紛れもない有事だというのに、
多くの人々の命と生活が、いまだかつてない危機に晒されているというのに、
他人事としか受け止めることができない人々が・・・ 巷に溢れている。
我が儘が・・・ 自由の代名詞になってしまった。
さらに、理不尽と不条理の狭間で居場所を見つけ、社会のなかで共存するようになってきた。
先の大戦を経て、先人たちが多くの犠牲を払って、やっとのことで手に入れることができた、
自由という尊い思想の捉え方が・・・ いま、新たな病巣になりつつある。
可笑しなことが、可笑しいと、気が付かなくなってしまった昨今
その病巣に立ち向かう、切っ掛けがあるとすれば、それこそ「什の掟」ではなかろうか。
戊辰の屈辱から一世紀半・・・ いま再び「什の掟」に、スポットライトを向けてみたい。
そこには、国家のあるべき品格として、
背筋がピンと伸びる警鐘があり、人が取るべきの行動規範として、基本的な戒めが説かれている。
理屈や理由など、なに一つとして必要ではない。
大事なことは「ならぬことはならぬ。」という言葉に、真正面から真面目に向き合うこと、
ただ、それだけでしかない。
「什の掟」が受け継がれてきた背景や、その意味を頭ごなしの強制だと捉えることなく、
この国に暮らす者が、つい先日まで頑なに守り続けてきた、
狭義に捉えれば、「他人に迷惑をかけない。」という行動規範の入り口として、
広義に捉えれば、「こんな国ではなかったという国家の品格」として、
再考する必要があると思うがどうだろう。
私がつまらぬ能書きを垂れるより、藤原正彦さんの著書「国家の品格」に、
詳しい解説があるので参考にされる良いと思う。
長州出身の私が、会津の指針を引き合いに出すことは・・・ 僭越なことだと思うが、
城下町には、城下町ならではの落ち着きがあり、その落ち着いた雰囲気にいつしか包みこまれ、
ふと我に戻ったときには、身も心も魅了されてしまう、不思議なパワーがある。
ゆっくりとやってきて、駆け足で去ってゆく東北の春
数多の試練を乗り越えて、「什の掟」が日常の生活に浸透した、会津盆地の城下町は、
150年の時空を超えてなお・・・ 凛とした趣を忘れていない町だった。
葉桜が薫る・・・ 会津のシンボル「会津若松城(鶴ヶ城)」
曇天でなければ、青空を背景にピンク色の桜の合間から、
小豆色の赤瓦が鮮やかだったんだが・・・ ちょっと残念
会津の奥座敷「東山温泉」に泊まった翌日、五色沼方面に車を走らせていると、
前夜に降った雪が山頂を白く染め、田起こしを待つ田んぼの畔に満開の桜が咲く光景に遭遇
自然のままで、飾り気のない原風景が、あまりに美しくて・・・ 思わず車を止めてパチリと1枚
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