多摩爺の「歴史の小径(その8)」
人は石垣、人は城 - 勝利の要諦 -(山梨県甲府市)
信長が・・・ 最も恐れた男
家康に・・・ 脱糞の屈辱を与えた男
その男の名は、信玄
甲斐の虎と呼ばれ、甲斐源氏の嫡流にあたる、甲斐武田家19代当主
源晴信(みなもとのはるのぶ)こと・・・ 武田信玄だった。
風林火山と染め抜かれた軍旗を翻し、無敵の騎馬軍団を操ったものの、
その誓願は叶うことなく、
上洛の志半ばで、不運にも天寿を迎えることとなった。
時は流れ・・・ 徳川が目をつけた、武田の聖典(甲陽軍艦)が、
300年近く続いた太平の世に、深く脈打っていたとは、
まさか、まさかだっただろう。
その核心にあったのは「人は石垣、人は城、情けは味方、仇は敵」との思い
文底に秘められた、勝利の要諦は・・・ 人心の掌握
ただ、ただ、それに尽きた。
コロナ禍に苛(さい)まれて・・・ 1年と半年
緊急事態宣言が解除される度に、忽(たちま)ち顕在化するリバウンド
関係者を総動員したワクチン接種が、猛スピードで進むなか、
いまがまさに、過渡期だと捉えれば、
辛く苦しい日々は、しばらく続き・・・ ほっとする間すら許されない。
ふと気づけば、見惚れていた黄昏が、不満という名の魔物に唆(そそのか)され、
夜な夜な酒の匂いを漂わせながら、迷いと我が儘の隙間に忍び込み、
分断という、心の闇に・・・ 引きずり込もうとしている。
喝だ! 大喝だ!
こんな、はずじゃない。
こなことで、良いわけがない。
こんなときだからこそ、
人は石垣、人は城、情けは味方、仇は敵
人心を一つに纏め・・・ ベクトルの方向を合わせねばならない。
人と人を繋ぎ、心と心を結ぶ、絆という絶対的な掟がある。
あの頃も、そして・・・ いまも
何年経とうと、何十年経とうと、何百年経とうと
それは不滅であって・・・ 普遍である。
ガンバレ! ニッポン
頑張ろう! 東京
今日から明日へ、明日から明後日へ
もうひと踏ん張り、さらに・・・ もうひと踏ん張り
粘りぬき、耐えきろうじゃないか。
JR甲府駅前に建っている(いや、座ってる。)甲斐の虎こと・・・ 武田信玄公の像
武田信玄の銅像を見たのは三年前の4月12日、信玄公の命日でした。
何も知らずに武田神社にお参りに行ったら凄く賑わっていて、御神輿があって武者姿の人が沢山いて、その日が命日だと知りました。
甲府駅前の信玄公の銅像とも一緒に写真を撮影して、同じ日ではないですが、菩提寺の恵林寺に行ったり、三条夫人の円光院に行ったりもしました。
懐かしく思い出しました。
戦国武将って、けっこう良い言葉を残してるし、良い仕事をしてるんですね。
そんな武将が作った歴史の町を、物思いにふけながら散策するのが私は好きです。
甲府界隈には、そんな場所がけっこうあるようです。
コロナ禍が治まれば、東京の近郊ですから、また出かけてみたい場所の一つでもあります。
僕も戦国武将は好きです。
郷里の直江兼続・上杉謙信に始まり、立花宗茂や本田忠勝、そして信玄も。
信玄は、信玄堤にあるように、治水事業を通じて民に貢献した武将でもありますよネ。
その武田家に、最後まで仕えた真田氏。
信玄の死から勝頼が滅ぶまで、傍らで仕えた昌幸・信之・信繁のその後の生き方に多大な影響を与えた武将でもあると思っています。
世の中の澱みを、かき混ぜ押し返す。
そんな一端にあやかりたいものデス。
真田氏は私も大好きです。
機会を作って是非とも信州の上田に訪れたいと思っています。
戦国武将が、いまだに話題としてあるのは、戦だけでなく、やはり庶民にどれだけ貢献したかであって、
それがあってこその伝説だと思います。
コロナ禍ではありますが、なにがあっても前進、前進、また前進の旗を振ってくれる
地域の為政者に注目が集まるのも、そういうことだと思います。
コロナなんかに、負けられませんね、