多摩爺の「時のつれづれ(葉月の19)」
キャンセル待ちのトラウマ (日航機事故から36年)
空港でよく耳にする、キャンセル待ち(空席待ちかな?)のアナウンス
利用したことがないので、実際のところは、どのような手順で行われるのか、その詳細を知らないが、
私には、キャンセル待ちによって・・・ 航空機事故の大惨事を免れた、古い友人がいる。
昭和60年8月12日、お盆の休暇が始まったこの日、
羽田空港を18時00分に発ち、
18時56分には大阪・伊丹空港に到着する予定だった日本航空機が、
整備不良によって群馬県の山中に墜落し、
乗客乗員524名のうち520名(生存者4名)が亡くなるという大惨事があった。
あの日から・・・ もう36年も経った。
友人は、私より1年早く本社に来て仕事をしてたので、
席次も私より一つ上だったが、
西日本の香川県高松市出身で、同い年ということもあって妙に気が合い、
残業のない日などは、よく麻雀卓を囲んだ遊び仲間でもあった。
その日、友人は午前中だけ仕事をして、
午後からは先に帰省している奥さんと子供たちが待つ高松に向かうと言い残し、
昼メシを食う間も惜しんで帰って行った。
明確に覚えていたのは、高松便(飛行機)が取れなかったので、取りあえずキャンセル待ちに並ぶが、
18時発の伊丹行きのチケットを持ってるので、キャンセルが出なかったら、
今夜は神戸の友人宅に泊まって、明日朝のフェリーで高松に向かうと言っていたこと。
そうしたら・・・ その夜に、あの事故である。
帰宅して晩メシを食ってるとき、
18時発の伊丹行き日航機が、消息を絶ったとのニュース速報が流れた。
「あっ!」と一声発したが、あとは言葉が続かなかったことを思い出す。
その日の午前中、友人が言った「18時発、伊丹行き」のキーワードが頭のなかに残っていた。
だれかに連絡を取ろうにも、そのことを知ってる者も少ないし、
ましてや、ケータイやポケベルがあるわけじゃないし、
メールなんてものは・・・ まだ存在すらしていない時代だ。
そんな状態で悶々としながらニュースを見て、翌朝仕事に向かうと、
職場の仲間と上司が、あちこちに電話をかけまくって、友人の消息を確認していた。
なんの手がかりもなく、仕事も手に付かないまま・・・ 重苦しい空気と、時間だけが過ぎて行く。
10時ちょっと前だっただろうか、突然かかってきた電話は、
もうダメだと・・・ ほとんど諦めかけていた友人本人からだった。
「すまん、すまん。」
「心配かけて申し訳ない。」
「キャンセル待ちが取れて、高松に帰ったんで・・・ 俺は無事だ。」と、
笑いながら喋るではないか。
やれやれである。
ホントにやれやれだったが、
お盆休み明けに、故郷の土産を持って出社してきた友人は・・・ 心なしか元気がない。
「自分は運が良くて、事故を回避できたが、
自分のキャンセル分で、伊丹行きに乗った人がいたと思うと、
軽はずみにも、運が良かったと、一瞬でも喜び、はしゃいでしまったことが恥ずかしい。」
友人は・・・ そう言うと、
さらに「あの時、空港で聞いたキャンセル待ちのアナウンスが、耳から離れなくなった。」と続けた。
あの夏から4年が経ち・・・ 昭和から平成になった年の春
人事異動で離ればなれになり、その後は会うこともなく、年賀状だけの付き合いになってしまったが、
友人の脳裏にインプットされた、あまりにも辛すぎるトラウマは、いまどうなっているのだろうか?
毎年この日が来ると、きっと思い出しているのではなかろうか?
そして、そう語った友人の言葉は、私にも少なからず影響したのだろう。
その後、出張で札幌や福岡に行った際、仕事が早く片付き、早く帰れるようになっても、
なにか起こることが怖くて・・・ 早い便に空席があったとしても、
変更する踏ん切りが付かなくなってしまった。
我が国最大の犠牲者をだした、日航ジャンボ機墜落事故から36年
新型コロナウイルスの感染拡大が治まらないどころか、益々拡大するなか、
為政者は、県境を越える移動の自粛を求めてはいるが、
もはやブレーキが効かなくなってしまったようだ。
私にだって、父と義母の初盆という不要不急の用があり・・・ ちょっとした葛藤はあったが、
母や親族などの了解を得て、10月ぐらいまで帰省をずらそうと決めた。
移動される方々は、さまざまな事情を抱えてのことだと察するが、
貰い事故を含めて、事故だけには遭わないように、くれぐれも細心の注意を払ってほしいと願う。
人生って、自分でなんとかなるようで、誰かに身を委ねる時もたまにあって、いろいろ考えさせられます。
普通に考えたら、自動車よりも、新幹線よりも安全なんですけどね。
足下が浮いてるってだけで、やっぱり恐怖です。
就職して2年目夏のボーナスが満額で出た昭和60年7月、平日休暇を利用してようやく坂付試験場で十数回かかって限定解除試験にも合格、でかねてより狙っていたカワサキ車の逆輸入1100ccのオートバイに狙いを定めて雑誌広告をチェック、そこで見つけたのが神戸でシルバーの85万円車両、本来狙っていたのはライムグリーン車両でしたが千葉県在庫車は95万円と10万円もの差異が、当時の10万円は手取り額と変わらないものでしたので我慢してシルバーモデルに決めかけ、8月の旧盆休暇に計画を合せ、8月12日夜に神戸へ入り、13日に事前に新規車検を取得したオートバイで名阪東名と船橋まで自走する事で連絡をとったのです、
そこで千葉の販売店側に見積もりキャンセルの連絡を入れましたなら、そこまで本気で検討しているのなら5万円値引きしてくれると提案があり、神戸までの運賃と神戸からの高速道路料金とガソリン代、を計算、最後の決めては好みのライムグリーン車、という経緯で結果的に地元千葉で購入したという事になります。
もうお気づきかと思いますが、そうなのです、
船橋ららぽーとの旅行会社でスカイメイト予約した東京神戸への移動手段が8月12日羽田伊丹便、1か月前に予約し3日後位にキャンセルしたので直前キャンセルでは無いのですが、あの後勤務先の社員食堂でカレーを食べている時に驚いて身震いしたのを覚えています。
旅行代理店の予約紙に書かれた8月12日羽田伊丹便日本航空123便18:00発の文字と赤いスタンプで押されたキャンセルの文字、お守り代わりです。
古い記事を見つけて読んでいただき、ありがとうございました。
いまはリタイアしていて、飛行機に乗る機会も殆どなくなりましたが、
息子が飛行機を利用して、出張や旅行に出かけると聞くと、ちょっと複雑な思いがあります。
軽々にウンが良かったとか、悪かったとは云えませんが、
忘れられない事故であり、なにかあると思い出すトラウマになってしまいました。