多摩爺の「時のつれづれ(葉月の20)」
38年前の甲子園と豪雨災害
開会式を前にして、甲子園に集い整列した球児に向かって、
山崎育三郎さん(歌手・俳優)が・・・ 大会歌の「栄冠は君に輝く」を独唱するセレモニーから、
2年ぶりの夏の甲子園「第103回全国高等学校野球選手権大会」が始まった。
そして大会2日目、劇的なサヨナラ逆転ホームランがでるんだから・・・
やっぱり、高校野球はドラマチックだ。
優勝候補の横浜(神奈川)を相手に2点リードした9回裏、
広島新庄(広島)はリリーフエースをマウンドに送ると、
粘る横浜打線に連打を浴び、ノーアウト13塁の大ピンチを背負ったが、
三振とセカンドフライでツーアウトにこぎつける。
野球はツーアウトから、下駄を履くまで分らないとはいうが、迎えた打者は初球を鋭く振り抜くと、
打球は甲高い金属音とともに、レフトスタンドで大きく弾んだ。
横浜サイドからしたら、打ちも打ったりの逆転サヨナラホームランで歓喜の涙だが、
広島新庄サイドからしたら、あと一つのアウトが・・・ あまりに遠すぎた悔し涙ではなかろうか。
それが勝負事といえば、それまでだが・・・ いつ見ても、球児の涙は切なすぎる。
山口県出身で、広島市内にも住んでいたことがある私からしたら、結果はいささか残念だったが、
似たような光景を、38年前の第65回大会でも見たことを思い出した。
帝京(東東京)と宇部商業(山口)が対戦した2回戦、
9回表を終わって5対4で帝京がリードしていた。
あとアウト三つまで追い込まれていたが、先頭打者が内野安打で1塁に走者が出ると、
迎えたバッターは、5回にホームランを打っていたものの、
7回の同点のチャンスにスクイズを失敗している、
パンチ力はあるが、小技が上手いとはいえない6番打者だった。
それでも1点差でノーアウトだから、てっきり送りバンドだと思っていたが、
打者は意に反して打ち気満々だった。
2球目か3球目だったと思う・・・ 鋭く振り抜かれた打球がレフトポールを直撃した。
逆転サヨナラホームランで快勝した宇部商業は、その直後から「ミラクル宇部商」と呼ばれ、
勢いそのままベスト8まで勝ち上がっていった。
なぜ、こんなことまで覚えているのかというと、
この大会には、後にプロ入りして大活躍する選手が、あまりにたくさんいて、
高校野球ファンとしては、忘れることができない大会の一つだったからだと思う。
この大会の優勝は、当時1年生だった桑田・清原のKKコンビが投打に大活躍したPL学園で、
準優勝は、スカイブルーのユニフォームに、「Y」の一文字が胸に踊る横浜商業(神奈川)
そのPL学園が、準決勝で下したのが、
夏春夏の3連覇に挑んだ、好投手水野を擁した「やまびこ打線」の池田(徳島)
そしてPL学園を準々決勝で崖っぷちまで追い詰めたのが、
好投手の津野と中山を擁する高知商業(高知)だった。
この年の秋に行われた、プロ野球ドラフト会議に、1年生のKKコンビはいなかったものの、
高校生が大豊作で・・・ 多くの選手が各球団で上位指名されていた。
甲子園の出場組では巨人1位が池田(徳島)の水野、阪急1位が中京(愛知)の野中、
近鉄1位が創価(西東京)の小野、
さらに西武2位に吉田(山梨)の田辺、ヤクルト2位に市尼崎(兵庫)の池山、
近鉄2位に箕島(和歌山)の吉井、巨人2位に佐世保工業(長崎)の香田、
広島3位に中京(愛知)の紀藤、阪神3位に興南(沖縄)の仲田が名を連ねていた。
甲子園に出てないチームからは、西武1位に前橋工業(群馬)の渡辺、
南海1位に倉吉北(鳥取)の加藤、中日1位に享栄(愛知)の藤王、
さらには・・・阪急5位には旭川工業(北北海道)の星野もいた。
ワクワクしながら、23時過ぎからの「熱闘、甲子園」を毎晩遅くまで見ていたことを思い出す。
オリンピックが終わって、次は甲子園だと思っていたが・・・ 戻り梅雨のせいで順延が続いている。
大相撲の水入りなら、手に汗握り熱も入るんだが、
甲子園が水浸しじゃ・・・ これもまた、致し方ないのだろう。
とはいえ、戻り梅雨と言えば聞こえは良いが、九州から中国地方を中心に線状降水帯がかかり、
列島の各地で河川が氾濫するなど・・・ 大変な事態になっている。
そう言えば・・・ 第65回大会が行われた昭和58年も、7月に島根県西部に豪雨が降っていた。
なぜ覚えているのかというと、母方の実家がこの豪雨で水没して全壊したので、
こちらもまた、忘れることができない・・・ 悲しい記憶の一つとして、
何年経っても、頭のなかから消すことができないでいる。
昭和58年7月20日から23日にかけて降り続いた大雨は、4日間で500㎜を超え、
三隅川、高津川、益田川などを氾濫させ・・・ 浜田市、三隅町、益田市の市街地を飲み込み、
基幹道路は土砂崩れと冠水に加えて、橋が流出するなど、ずたずた分断されてしまい、
通行できるまでに17日を要し、ライフラインを含めて・・・ 復旧は困難を極めた。
記録に寄れば、島根県の被害は、死者・行方不明者は107名、負傷者159名、
全壊939戸、流出125戸、半壊1,977戸、床上浸水6,953戸、
床下浸水7,043戸だから・・・ もはや激甚災害である。
こんな状況で、よく祖父母が生きていてくれたと思うと、それだけはいまだに謎である。
あとになって、亡き祖父母から聞いた話では、
近くの神社に避難してから、念仏を唱えていたというから、
神も仏も、いざというときには・・・ 力を合わせて協力してくれるようだ。
コロナ禍で、政府の批判しか興味がなく、頑なにワンチームを拒む野党とメディアに、
人生の先輩たちの経験談を・・・ 聞かせてやりたいものである。
横道にそれてしまったが、いま九州や中国地方に降っている大雨は、
来週の半ばまで降り続く続くそうだ。
益田市にある親戚宅は高台にあるので、水没の心配ないが、
周辺が水没すると、取り残されて身動きできなくなる可能性が高く・・・ 気が気ではではない。
卒寿を大きく超えた伯父と伯母は、私より三つ上の従兄が傍についてるので、
既に安全な場所に避難してると思うが、
なにせ超高齢者だけに、38年前の再現とならないよう、祈るしかすべはなくなってしまった。
さて、どうなるんだろうか?
その結末を、冷静に直視できるのだろうか?
こればっかりは・・・ 申し訳ないが、自信がないかもしれない。
一方で・・・ 新型コロナウイルスの感染拡大が治まらず、
災害に匹敵するとのコメントを発する自治体もでてきた。
メディアでは、いまだに人流が止まらないのは、オリンピックのせいだという
現実を直視せず・・・ 過去だけに拘るコメンテーターや、識者、解説者が数多いる。
申し訳ないが・・・ 町に出歩く人々に向けて「不要不急の外出を控えよう。」と、
なぜ呼びかけないのだろうか?
大事なことは批判や非難ではなく、人心をワンチームにすることだ。
また、メディアお抱えの医療従事者は、相も変わらず強いメッセージと、強い対策を求め続けている。
申し訳ないが・・・ あなた方の組織(コロナ対応の病院と町医者)の風通しが悪くて、
1年半経っているというのに、連携できてないことを、
あなた方はいったいどう捉えているのだろうか?
自分で自分のクビを締め・・・ 尚且つ、天に向かって唾を吐いているんだから、
この病巣も危険すぎるといわざる得ない。
K.Kコンビの頃の甲子園の思い出は懐かしいです。確かにあの頃はスター選手が多かったような気がします。
東京の北多摩も、雨が降り続いていますが、近隣に高い山もなければ、盛り土もなく、
玉川上水はありますが、川はないので安心してますが、
降水が過ぎると排水が追いつくのか、マンションの電気系統等の設備は大丈夫なのか、そんな心配もあります。