多摩爺の「時のつれづれ(葉月の30)」
あの夏の日(被爆)から77年(広島原爆の日)
昨日(8月6日)、広島は77年目となる原爆の日(平和を祈念する日)を迎えた。
北陸や東北で線状降水帯が発生し、甚大な自然災害が起こった直後だっただけに、
この国に暮らす者の一人として、大事な大事なこの日に、
心穏やかに迎えることができなかったのは・・・ 本当に残念で堪らなかった。
77年前に生まれた人々は、今年は喜寿という喜ばしい節目の年を迎えるが、
広島の8月6日、長崎の8月9日・・・ そして戦争が終わった8月15日だけは、
この国のどこを探しても、そんな浮ついた空気感を見つけることはないだろう。
メディアの情報によれば、今年の3月末で被爆者手帳を持つ方々は118,935名いて、
前年の3月末と比較すると8,820名減っているとのことらしく、
この1年の間に死亡が確認されて、原爆死没者名簿に記された方々は4,979名で、
死没者の総数は、333,903名になったとも報じていた。
ちょっと辻褄が合わないのは、
被爆者手帳を持つ方々の減少数と、死没者名簿に記された方々の増加数に、
約3,000名の乖離があることだろう。
カウントのタイミングに、数ヶ月ズレがあったり、長崎の被爆者が関係してるのかもしれないが、
一つだけ、気になることがあるとすれば、
悲しいかな・・・ その乖離は、原爆死没者名簿に記されてない可能性があり、
一日も早く、その乖離を精査してほしいと願うのは・・・ 私だけではないだろう。
平和式典のあいさつは、広島市長からはじまり、
広島市の子ども代表、総理大臣、広島県知事、国連事務総長へと続いた。
練りに練られたメッセージは、いずれも素晴らしく、尤もであり、頷くものであったが、
全文を通しては、内容の素晴らしさもさることながら、
抑揚をつけることなく、淡々と語りかけた・・・ 広島県知事のメッセージは、
心の奥底まで深く響き、震えるほどに強く共鳴するものがあった。
また、記憶に残るワンフレーズにフォーカスすれば、広島市長のメッセージは、
ロシアの文豪トルストイの「他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない。」との言葉を引用し、
「他者を威嚇して自分中心の考えを貫くことは許されない。」と、力強く訴求していて、
まさに・・・ その言葉が発せられる瞬間を、待っていたような気がしないでもなかった。
それはもちろん、核兵器の使用をチラつかせた、ロシアのウクライナ侵略を批判してのものだが、
一方では、先週からアジア諸国を外遊していたアメリカの下院議長が、
台湾を訪問したことに、自分中心の考え方で勝手に腹を立て、
台湾を包囲して軍事演習を企てている中国を・・・ 暗に批判しているものと、私は受けとめた。
我が国の主権が及ぶ排他的経済水域に、ミサイルが撃ち込まれているにも拘わらず、
この国のメディアと野党は、元総理の銃撃事件と関わりがあった宗教団体の方が気になるらしく、
目の前にある危機(中国の蛮行)よりも、遙かにウェイトが大きいのだから、
平和ボケも甚だしいと言わざる得ない。
そういった視点で捉えれば、平和憲法がどうだとか、防衛費の増額がどうだとか、
語るに足らず・・・ 議論する資格すら、放棄してしまったのかと心配になるんだから、
老婆心ではあるが「おいおい、しっかりしろよ。」と、
尻を叩きたいような、気持ちにもなってくる。
別に関わりのあった宗教団体と政治家との関わりを、追求するなというのではない。
平和を祈念する日に際し、いま目の前にある国家の危機は、いったいなんなのか、
来年度予算の概算要求が行われようとする夏に、
大変申し訳ないが・・・ プライオリティ(優先順位)を間違えてないだろうか?
77年の時空を超え、諸外国の蛮行を見逃さずに発した・・・ 広島市長のメッセージを、
メディアと野党は、いったいどういった感覚で聞き、読み取ったのだろうか?
プライオリティは、本当に間違っていないのか・・・ いま一度、自問自答してみてほしい。
与党のスキャンダルと、チョンボは、話題性があって面白いし、支持率にも影響があり、
野党や、左派系のメディアとして、格好の攻めどころなのは分らんでもない。
とはいえ・・・ そもそも政治家が、スキャンダルとチョンボを、
優先順位が高い本題として扱うのであれば、この国の政治は地に落ちたと言わざる得ない。
霊感商法は確かに大問題だが、安倍政権のときに消費者契約法が改正され、
気づいたときから1年、契約してから5年以内なら、取消権が行使できるようになっている。
今回問題視されている寄付が、それに該当しないのであれば、議論を深め法律を改正すれば良い。
祝電やメッセージを送ったり、講演したりすることが問題なら、
過去はどうしようも出来ないのだから、これからどうするのか宣言すれば良い。
反社会的な人物や、組織と付き合い、支援を受けていたのなら大問題だと思うが、
宗教法人の支援が問題なのであれば、労働組合や各種団体や結社も併せて議論が必要になるだろう。
別にその宗教法人の肩を持つつもりなど・・・ サラサラないし、個人的にも頭にきてるが、
議論が必要なら議論し、法律が必要なら法律を作れば良い。
それをせずに「いったい、なにやってんだ。」とまで言うつもりはないが、
もの凄く悪いことをした人物のように、議員を追いかけ回すのは・・・ 違うんじゃなかろうか?
なにも課題がない、全くの平時なら話しは別だが・・・ 重要案件が、目白押しなんだから、
そういった話題は、三流週刊誌に任せておいたら、如何なものだろうか?
政治家もメディアも、もう少し冷静になって、
平和について・・・ 理想論ではなく、現実的な議論を深めてほしいと願ってやまない。
追伸
それにつけても、いま一番の大問題は・・・ 広島の心意気「カープ」の成績である。
後半戦になって、一つも勝っとらんのじゃから、どねえもこねえもなっとらん。
8月6日の夜、マツダスタジアムのピースナイターぐらいは、楽勝で勝つと思ってたら、
3点負けていた9回裏に、4点取って逆転サヨナラだから・・・ 心臓に悪いにもほどがある。
年寄りの血圧を、イヤッちゅうほど上げて、早う死ねとでも云うのだろうか?
私は成績には寛大で、優しい爺さんだが・・・ 「こら、しっかりせぇ!」と言わせてもらいたい。
とはいえ・・・ ファンの念力が後押しして、
タイガースの野手が、ミスしてくれたから勝ったが、
もう少し、ピリッとせんと話にならんし・・・ 先が思いやられる。
最後に、エラーしたタイガースの選手に、カープファンが念力を送ってしまったことは、
大変申し訳ないことをしたと、深く反省しているが、
昨夜は特別な夜だから、そこんとこも含めて、堪(こら)えてもらえるとありがたい。
かつて広島を訪れた時に、原爆ドームの目の前に市民球場があるのを見て驚いたことを思い出しました。正にカープは復興の象徴だったんでしょうね。
特別な日の劇的な勝利、感慨深いことと思います。
いやぁぁ・・・ ホントに勝って良かった。
市民球場には私も思い出があって、原爆ドームり真ん前にあったのはみなさん知ってますが、
昭和50年代の始めまでは、市民球場の北で広島城の西にあたる、本川(太田川の本流)沿いには、
言葉は適切ではありませんが、原爆スラムというバラック立ての小屋がたくさんありました。
当時を知る者の一人としては、あの界隈にはいろんな思い出があり、感慨深いものがあります。