時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

聖断

2022年09月26日 | 書棚の肥やし

多摩爺の「書棚の肥やし(その4)」
聖断 (半藤一利・PHP文庫)

週末の度に列島各地を襲った台風で、なんとなく冷めてしまった感が否めないが、
すったもんだあったものの・・・ 明日(27日)の午後、
大規模な警備体制が敷かれるなか、海外からの要人を含め、約6,000名規模で、
昭和天皇、吉田茂元総理に続いて、戦後3人目となる・・・ 元総理の国葬が行われる。

さて、戦後のこの国で、国葬に値する実績を残した為政者は、他にいなかったのだろうか?
そんなことを思いながら、昨春に購入したものの、
父や、義父母の葬儀などで、半分読んだだけで書棚の肥やしになっていた、
故・半藤一利さん著作の「聖断(せいだん)」を・・・ この夏から、再び読み始めていた。

「聖断」の裏表紙には・・・ 次のような紹介が記されている。
連合艦隊の壊滅、沖縄の陥落、広島、長崎への原爆投下、ソ連の満州侵攻など、
刻一刻と破局へ突き進んでいった、敗戦末期の日本、
本土決戦が当然のように叫ばれ、一億玉砕論が渦巻くなか、
平和を希求する昭和天皇と心を通い合わせ、二人三脚で戦争を終結へと導いた老宰相がいた。

その名は鈴木貫太郎・・・ 武官(海軍大将)でありながらも、侍従長として昭和天皇に仕え、
79歳という高齢ながら、昭和天皇が自ら「他に人がいない。」と説得した鈴木貫太郎は、
昭和20年4月7日に、その任に就くと、戦争の終結に知恵を絞り、
わずか4ヶ月で、一億玉砕を訴える陸軍の圧力を巧みにかわし、
国民を救い、国土を守った・・・ 
至誠の仁人、敢為の武将、忠節の重臣である。

偶然なのか、それとも巡り合わせなのか・・・ はたまた、なにかしらの因縁なのか、
海軍大将の鈴木貫太郎が首相に就任した、昭和20年4月7日は、
無敵といわれていた戦艦大和が、九州の南方沖で壮絶な戦いの末、海の底に沈んだ日でもあり、
裏表紙に記された、連合艦隊の壊滅、沖縄の陥落、広島、長崎への原爆投下、ソ連の満州侵攻は、
その総てが、鈴木貫太郎首相が在任した・・・ 4ヶ月の間の出来事でもある。

著作権の問題があることから、詳細を記載することはできないが、
次のような、興味深い序章から・・・ 本文は始まる。

(以下、序章から抜粋)
  総理大臣・鈴木貫太郎元海軍大将は、すくっと立つと、原稿はおろかメモ一つなく語り始めた。
  8月9日の第一回の聖断いらいの、総ての出来事をよどみなく報告する。
  そして・・・ 最後にいった。

 「 ここに重ねて、聖断をわずらわし奉るのは、罪軽からざるをお詫び申し上げます。
   しかし、意見はついに一致いたしませんでした。
   重ねて何分のご聖断(天皇陛下の判断)を仰ぎたく存じます。 」

  不気味な静寂がしばし流れた。
  やがて、天皇裕仁が静かに口をひらいた。
  昭和20年8月14日(終戦の前日)、時刻は正午に近かった。
  天皇は言葉を何度ともなく中断し、落ち着きを取り戻してはまた続けた。

 「 反対論の趣旨は良く聞いたが、私の考えは、この前いったことに変わりはない。
   私は、国内の事情と世界の現状を十分考えて、これ以上戦争を継続することは無理と考える。
   (中略) この際、先方の回答(降伏)をそのまま、受諾してもよろしい。 」

  鈴木首相をはじめ、いならんだ23人の男たちは、
  深く頭を垂れ、嗚咽し・・・ 眼鏡を外して目を拭った。
  天皇のとぎれとぎれに訴える語気が、憔悴しきっている男たちの胸をうった。

翌8月15日、玉音放送を受けて鈴木内閣は総辞職し、翌年には公職追放になっており、
当時の状況から察するに・・・ 国葬の検討はなかったようだが、
もし、鈴木貫太郎が、あの場(御前会議)に居なかったら、
もし、鈴木貫太郎が、時の首相でなかったら、
いまごろ、この国はどうなっていただろうか・・・ 想像するだけで身震いしてしまう。

この国の教育は、悲しいかな・・・ 近代史を疎かにしていることもあって、
鈴木貫太郎という首相が、いたことは知っていても、
鈴木貫太郎という首相が、なにをしたのか、それを知る人は少ない。

裏表紙に記された一節を引用すれば、
平和を希求する昭和天皇と心を通い合わせ、二人三脚で戦争を終結へと導いた老宰相の功績は、
吉田茂元総理の功績(戦後復興)を大きく超えていると・・・ 私は評価する。

なぜなら、戦争が終わってなければ、復興はもっと遅れていただろうし、
もしも、陸軍が訴える・・・ 主戦論、一億玉砕論に突入していたら、
復興はもっと遅れるどころの騒ぎではなかった。

急激な進路変更は、国内に四分五裂を招き、修羅場に陥れることは必至であり、
そんな八方塞がりのなか、難局を切り抜けて終戦に導いたのである。
その一点だけで、私の評価は・・・ 吉田茂元総理よりも、鈴木貫太郎元総理の方が高い。

数年の時を経て、歴史が鈴木貫太郎を評価したとしても、
残念ながら・・・ 軍人を評価する価値観が、戦後この国からなくなったことから、
改めて国葬をしようといった、発想には至らないし、そういった機運が高まることもないだろう。

今回、国葬を行う予定の、元総理の功績について、検証すべきとの声がある。
尤もな声だと思いもするが・・・ 数ヶ月も経って、その検証結果が出てきてから、
「さぁ、国葬をやろう。」といった機運が、果たしてあるだろうか?

そう捉えれば・・・ 大喪の礼のような、国として必須の行事を除けば、
天皇陛下を除く人物を対象とした国葬は、時の政府がタイミング良く判断するか否かしかなく、
そのタイミングを逸してしまうと、
後になって、いくら声をあげても・・・ ただのマヌケになってしまうだろう。

時間をかけて功績を検証することを、けっして否定するわけではない。
とはいえこの国は、鈴木貫太郎の功績を評価することなく、昭和史に埋もれさせた国であり、
現職総理に向けて、遣唐使を捩(もじ)って、
検討使などと揶揄する人たちが、国会議員をやっている国でもある。

野党やメディアから上がった、功績を検証せよとの声は、間違いなく正論ではあるが、
一方でそれは、国葬のタイミングを逸することにも繋がり、
功績を称える機運を、雲散霧消させてしまい、反対のための反対になるのではなかろうか?

鈴木貫太郎にとって、事態が急変したのは、首相就任して間もなく、
敵国アメリカの大統領・ルーズベルトが、脳溢血で亡くなったことが大きい。

注力すべきは、ルーズベルトの死に際し、鈴木貫太郎が弔意を示したことである。
陸軍が厳しい視線を向けるなか、敵味方の立場を越えて、平然と人の死を哀惜するところに、
人間・鈴木貫太郎としての真骨頂があり、
この国の野党幹部と比較するのもなんだが、驚くほどに・・・ 器の違いが見えてくる。

さて、明日はどんな国葬になるのだろうか?
雨が降ったら良いかも・・・ なんて、思ったりもしている。
警備に当たられる方々には申し訳ないが、少しぐらい場外の喧噪を治めることになるだろう。
静かに送ることができれば、それで良いと思うが・・・ 如何なものだろうか?

閑話休題
前もって触れることを怠ってしまったが、本件はあくまでも個人的な思いであって、
コメントをいただいても、勝手ながら議論するつもりはないので、
申し訳ないが、ご理解をいただきたい。


帯封に記されているとおり、戦争を知らない世代に、100年先まで伝えたい昭和史が記されている。


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2 コメント

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おはようございます。 (アリス)
2022-09-26 07:27:12
日本の文化・伝統、習慣の中に曖昧という美辞麗句を
より具体的な基準で法制化してこなかった原因。

政治家及び国民の無関心なツケが回ってきている
気がします。そこで、後出しジャンケン?

国葬、統一教会、憲法改正など、非常に不可解?
改めないといけない気風と反省はありますが
それをより具体的に解決し法制化しない?
その点でこの岸田内閣は能力不足です。

いつになると、実行するのか?問題の先送り?
これを速やかに整理と解決を切望します。
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Unknown (多摩爺)
2022-09-26 09:52:34
アリスさん、おはようございます。

難しい問題ですね。
さまざまな出来事が重なり社会が乱れると、人は得てして結論を早く求め、
その思考はメディアが垂れ流す情報に誘因にされ、差配されて、大きく揺れてしまいます。
そんなときだからこそ、凡庸かもしれませんが、岸田さんのような、中庸的な思考があっても良いのかなと思っています。

岸田さんはコロナ対策と、国葬を除けば、大きな仕事をしてないのは事実なんでしょうが、
8月にNPTで訴えた、核への提言はとっても価値あるもので・・・ 私の琴線に触れました。
あまいかもしれませんが、来年予定されている広島サミットまで、見守っても良いのかなと思っています。
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