多摩爺の「書棚の肥やし(その5)」
わたしの金子みすゞ (ちばてつや・ちくま文庫)
ぶ厚い長編ばかり読んでると疲れるので、たまには詩集でも読んでみようかな・・・ なんて思い、
よく行くターミナル駅の本屋さんで、郷土の詩人・中原中也の詩集を探していたら、
「あしたのジョー」で有名な、漫画家のちばてつやさんが挿絵を描かれた、
郷土を代表する、もう一人の詩人・金子みすゞの詩集があり、思わず手に取っていた。
本書の構成は、金子みすゞさんが残された・・・ 渾身の21編に、
ちばてつやさんが1編1編丁寧に感情移入した、まるで少女漫画のような挿絵があって、
最終ページには、少女漫画家の里中満智子さんが、解説するという豪華すぎるラインナップである。
それでもって、お値段は税込みで968円なんだから・・・ お手頃価格といっても良いし、
さらに・・・ 1ヶ月前(9月10日)に発刊された初版本で、
同郷の私が見つけるまで、売れずに残っていたのも、なにかしらの縁だろうし、
こりゃもう、購入するしかないだろう。
著作権の関係から、詳細を記載することは憚れるが、
私の好きな金子みすゞさんの詩「不思議」と、
満州からの引き揚げられて苦労された、ちばてつやさんの幼き頃の思いでに、
私の拙い感想を・・・ 併せて綴らせてもらった。
不思議 (金子みすゞ)
私は不思議でたまらない。
黒い雲からふる雨が、銀にひかってゐることが。
私は不思議でたまらない。
青い桑の葉たべてゐる、蚕(かいこ)が白くなることが。
私は不思議でたまらない。
たれもいぢらぬ夕顔が、ひとりでぱらりと開くのが。
私は不思議でたまらない。
だれに聞いても笑ってて、あたりまへだ、といふことが。
他人が当たり前だと思うことを、そうは思わない感性が詩を書かせるのだろう。
僕の子どもの頃は、不思議だなって感じる感性というか余裕がなかった。
いつもお腹を空かせていて、食べ物のことを考えていたから。
でも、最近になって、桜の花が一気に満開に咲き誇るのを見たとき、
きれいだなと思う前に、そのエネルギーはどこからくるのだろうって、
しばらくその場に突っ立って、見上げていたことがあります。
僕にもようやく、そんな感性が身についたのかもしれません。 (ちばてつや)
読み終えた後、静かに本を閉じて、
リビングの外に目をやり、遠くの空を見ながら、「ふぅぅ。」と一つ息を吐くと、
幼い頃に感じていた不思議が・・・ 一つ、また一つ、
あんなことがあった、こんなこともあったと、思い起こされてくる。
例えば、桃太郎の家来は・・・ なぜ、イヌ、サル、キジなのか?
イヌ、サルときたら、キジじゃなくてトリでは・・・ ?と、
普通はそう思うはずである。
普通に考えれば、ワシや、タカの方が・・・ 圧倒的に強いはずだし、
スズメやカラスの方が、小回りが効くし、いざという時には援軍にも困らない。
なのに、なぜ・・・ トリじゃなくてキジなのか?
私の幼い頃からの疑問に、未だ明快な解は見つかっていない。
あの頃は、だれに聞いても「そんなの当たり前で、昔からそうだし、日本の常識だから。」と、
つれない返事が戻ってきたのに、
ふと我に返れば・・・ いま、同じことを言っている自分がいる。
歳を取るにつれて、当たり前に・・・ 慣れ過ぎたのかもしれない。
でも、そんな不思議を忘れてないってことは、まだまた痴呆じゃないってことだから、
少しは、安心しても良いのかもしれない。
やれやれだが・・・ 「よかった。よかった。」なんだろう。
そうそう、2年半前の春に「こだまでしょうか。」との表題で、
金子みすゞさんのことを書いたことがあったので、リンクを貼らしていただいた。
拙い文だが・・・ 読んでいただけるとありがたい。
わずか100ページの詩集なので・・・ あっという間に、全編を読み終えてしまったが、
5歳の孫娘が、もう少し大きくなって、読書に興味を持つようになったら、
タイミングを見計らって・・・ この詩集をプレゼントしようと思っている。
喜んでくれたら、嬉しいんだけど、
さて、どうなるやら・・・ 21世紀に生まれ、情報社会で育った孫が、
いかにして、金子みすゞを理解するのだろうか?
それはそれで、興味深いし、楽しみなことでもあるが、
物事の機微が分る人になれるよう、
豊かな心を育みながら、成長してくれることを・・・ 願ってやまない。
金子みすゞさんの詩に、ちばてつやさんが挿絵を描き、自らの人生と重ねて回想した解説を綴った、
ちょっと可愛らしい絵日記だった。
爺さんの趣味じゃないと思うが・・・ 衝動買いしてしまった。
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