多摩爺の「書棚の肥やし(その2)」
君は山口高志を見たか (鎮勝也・講談社プラスアルファ文庫)
書棚の肥やしに再び光を当てて、読み直し始めた文庫本のなかに、
野球ファンの私にとって・・・ 宝物のような一冊といっても過言じゃない、
スポーツライター鎮勝也(しずめかつや)さんが書いた「君は山口高志を見たか」がある。
160キロを超える快速球でバッタバッタと三振を取る、千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希投手
投手と打者の二刀流で、目の肥えたMLBファンを魅了する、ロサンゼルスエンゼルスの大谷翔平選手
敵味方関係なく、ワクワクさせてくれるスター選手が登場したことで、
うれしいことに・・・ 最近、野球が注目を浴びている。
朝のワイドショーまでもが、スポーツ特番を組んで、二人の投手を取り上げ、
なんキロのスピードボールを投げたとか、なん個の三振を取ったとか、
野球とは縁が薄い層が見ている時間帯にも拘わらず、口角泡を飛ばして盛り上げてくれている。
しかし、私にとっての快速日本一の投手は、
佐々木朗希投手や、大谷翔平投手にケチを付けるつもりなど、全くもってないが、
私には・・・ 意中のスーパースターがいる。
かつて阪急電鉄「西宮北口」の駅前に本拠地を構え、名将・西本幸雄、上田利治に率いられ、
山田久志、米田哲也、今井雄太郎、梶本隆夫、足立光宏などの投手陣とともに
失礼な言い方をして、大変申し訳ないが・・・ 強いのに人気がなかった阪急ブレーブスで、
その黄金期を支えた、日本一の快速球を投げる山口高志という投手がいた。
身長169センチ、体重70キロという小柄な投手は、
兵庫県の公立高校から、春と夏の甲子園に出場したものの、
希望していた東京六大学からは・・・ 残念ながら見向きもされなかった。
その後、進学した関西大学では、大学選手権を制して日本一に輝き、
栄えある第1回の日米大学野球で、アメリカ代表からバッタバッタと三振を奪って3勝をあげ、
日本代表の勝利に貢献したにも拘わらず、
小柄ゆえに、自分の体に自信が持てず・・・ 頑なにプロ入りを拒否していた。
それでも、ヤクルトがドラフト4位で強行指名し、
契約金や、年俸に好きな近額を書いてくれと、金額欄が空欄の小切手を提示されたらしいが、
首を縦に振ることなくプロ入りを拒否して、社会人野球に進んでいる。
転機が訪れたのは・・・ 社会人の2年目だった。
社員なのに、野球で評価を受けるという生活に疑問を持ち始めると、
仕事も、野球も中途半端にしたくないとの思いから・・・ プロ入りを表明するに至り、
出身地の兵庫に本拠地を置く阪急ブレーブスの1位指名に応え、プロの門戸を叩くことになった。
やっとのことでプロ入りしたものの、活躍した期間はわずか4年だから
遅きに失したとの声もあるが、個人的には・・・ 太くて短かい投手人生だったと捉えたい。
いま風に例えるならば・・・ 記録よりも記憶に残る凄い投手だった。
カープファンの私が、絶対に忘れられないのは・・・ 1975年の日本シリーズ
被爆地「広島」に球団を創設してから苦節25年、
辛酸をなめ尽くした貧乏球団が、赤ヘル軍団として悲願のリーグ優勝を果たしたこの年、
カープの前に立ちはだかったのが・・・ 入団1年目の新人投手・山口高志だった。
阪急の本拠地西宮球場で行われた、デーゲームのシリーズ第一戦、
カープ外木場、ブレーブス足立の、両チームのエースが投げ合う大接戦に、
8回表の一死13塁の場面で山口が登板した。
カープは、1点ビハインドを追いついて・・・ リードするチャンスだった。
この場面で登板した山口が、二者連続三振に打ち取って流れを断ち切ると、
試合は延長11回まで縺れ、4時間29分に渡った熱戦は・・・ 時間切れ引き分けとなり、
リーグ優勝の勢いのまま西宮に乗り込んできたカープに、急ブレーキがかかってしまった。
後に語り草となったのは、夕方の西宮球場には、グラウンドに大きな影ができるらしく、
それは、マウンドには日が当たっているのに、打席付近は日陰となり、
ボールが見えづらくなることを示唆していた。
早い話が、それでなくても速い山口投手のストレートが、
カープ打線から見ると・・・ 新幹線並みの、超快速球になってしまったのだ。
スピードガンがなかった時代の出来事である。
後に当時の映像を解析したところ、山口のストレートは154キロを計測したというが、
山口投手と対戦した打者は「160キロは出てたんじゃないか?」と証言し、
シリーズでカープの4番を務めた山本浩二は「初速と終速の差があまりない投手」だと語った。
しかし、この年を含めて、山口が活躍したのは・・・ わずか4年だった。
肩を痛めて引退した後は、コーチやスカウトとして阪急(後のオリックス)に残るが、
闘将・星野仙一監督から声をかけられて、タイガースに移ると、
後にメジャーリーガーとなった、火の玉ストッパー藤川球児投手を育てたことは記憶に新しい。
この本には、関西大の先輩でミスタータイガースと呼ばれた、村山実投手から受けたアドバイスや、
大学で極めた日本一や、日米の大学生が戦った日米決戦のエピソード
「ボールが焦げる匂いがした。」といわれた、うなりを上げるストレートの投げ方
さらには・・・ 入団時の契約が終身雇用だったことなど、
野球小僧がワクワクするような話題だけじゃなく、生活面を含めたエピソードも満載で、
395ページを・・・ あっという間に読み終えていた。
衝撃の山口高志投手を見てから、
早いもので・・・ 既に半世紀近い歳月が流れた。
この国の野球界には、金田正一投手に始まり、尾崎行雄投手、江夏豊投手、江川卓投手、
伊良部秀輝投手、佐藤由規投手、松坂大輔投手、五十嵐亮太投手を経て、
現役で活躍する藤浪晋太郎投手、大谷翔平投手、佐々木朗希投手へと引き継がれる、
伝説のスピードスターというか、取り締まりも困難なスピード違反の常習者が数多いる。
そんな歴史に名を残す投手たちが居並ぶなかで、
もしも・・・ 「日本一の快速球投手は誰だ?」と問われたとしたら、
私は間髪入れずに、阪急ブレーブスで14番を背負った、山口高志投手の名を上げるだろう。
それぐらいの強い衝撃を、脳みそに刻んでくれた投手に着目した文庫本は、
ちょっとマニアックかもしれないが、当時を知ってる60代から70代(昔の野球小僧)にしたら、
読み進めるに従って、頭のなかでの想像が膨らむから・・・ 実に興味深いと思う。
閑話休題
そうそう、今日は日曜日である。
サンデーローキこと、令和の怪物くん(佐々木朗希投手)が投げる日である。
令和の怪物くんの、三度目の快投に期待したいのは山々だが、
それにつけても、いま気になってしかたないのは、
彼のコンディションなどではなく、テレビ中継があるか否かであって、
どこの局も中継しないんだから・・・ 仕方がないとはいえ、残念で堪らない。
チョコレートでも、ガムでも、少しぐらいなら買うから、
球団の親会社(ロッテ)には、もう少し頑張ってほしいと思うが、いかがなものだろうか?
追伸
2年前に山口高志投手について綴ったことがあるので、リンクを貼らしていただいた。
たいしたことは書いてないが・・・ 笑ってもらえたらありがたい。
生い立ちからリタイアまでを記した「君は山口高志を見たか」は・・・ けっこう内容が濃い。
因みにの目次と章立ては以下の通りである。
1.衝撃
・神宮が燃えた ・反対された東京六大学への進学 ・剛速球を生んだ特訓
・村山実の言葉 ・絶対的エースへ
2.プロ入り拒否
・打倒東京の悲願 ・メジャーでも十分通用する ・塗り替えた七つのリーグ記録
・プロ入りを拒否したワケ ・白紙の小切手
3.誕生
・原点は長屋の路地 ・持って生まれた資質 ・ピッチングフォームを体得 ・制球よりも速球
・後悔と満足感 ・甲子園はおまけ
4.葛藤
・ボールが焦げる臭いがした ・プロで力を試したくなった ・キューバをねじ伏せた
・ドラフト会議の舞台裏
5.プロの壁
・周囲の期待と山口の不安 ・酒に求めた慰め ・失いかけた直球への自信
・恐怖の羽田ポカリ事件
6.最盛期
・勝てない日々 ・二度目の胴上げ ・赤ヘル軍団との決戦 ・4時間49分の激闘 ・祭りの後
7.阪急の悲願
・兼務という激務 ・巨人に勝つために ・ベテランの意地 ・Nの不在
・阪急が一番強かった時代
8.引退
・突然の激痛 ・剛速球の代償 ・黄金時代の終焉 ・衰えていった球威 ・太く短くでいい
・山口が示した生きざま
9.継承
・山口のコーチ論 ・毎日がピクニックのよう ・闘将からの電話 ・藤川球児に託した剛速球
・美しき師弟愛 ・再びスカウトに ・愛すべき男
そうそう山口高志いましたね。凄かったですね。僕も今なら160キロのイメージです。
今はあの西宮スタジアムは西宮ガーデンズという大きな商業施設になってます。隣駅にすんでる僕はしょっちゅう遊びに行ってます🎵
広島の繁華街にあって、カープの本拠地だった広島市民球場もなくなり、広島駅の近くに新スタジアムが建設されました。
跡地にはイベント・商業施設「NEW HIROSHIMA GATEPARK」ができるそうです。
こちらは世界遺産の原爆ドームの真向かいにあったことから、跡地の活用に苦慮したようです。
私は山口高志さんを直接見たことはありませんが、何かにつけて名前が挙がりますね。
今年の全日本大学選手権では、ちょうど50年前の優勝投手として、始球式をされるようですね。
本当に凄い投手でした。
いまでも忘れられない快速球投手の衝撃的なシーンが三つあって、
一つ目が、山口高志投手のカープとの日本シリーズ
二つ目が、江夏豊投手のオールスターゲーム9者連続三振
三つ目が江川卓投手と甲子園で対戦した柳川商のバントの構えからのプッシュ打法です。
この三つを見れたことは幸せだったと思います。
羨ましい限りです。
独特のフォームから投げるサンデー兆治投手もまた、記録よりも記憶に残る投手でした。
私は彼らを見たと自慢できるインパクトのある投手でした。