多摩爺の「書棚の肥やし(その3)」
日蓮の手紙 (植木雅俊・角川ソフィア文庫)
毎年、故郷へ車で長旅すると、戻ってから1週間ぐらいは、自宅でボーっとしてることもあり、
暇つぶしと言っちゃなんだが・・・ 予め文庫本を1冊買っておいたので、
3日に帰京してから約10日、やっとのことで読み終えたので記しておこうと思う。
2月だったか、3月だったか、もうすっかり忘れてしまったが、
たまたま、チャネルを切り替えたNHK(Eテレ)で、
仏教思想家の植木雅俊さんが「日蓮の手紙」という文庫本を解説されていた番組があって、
けっこう興味深かい内容だったものだから・・・ 暇なときに読もうと思い買っておいたのだ。
文庫本を手に取ったとき、まず最初に目が行ったのは、
裏表紙に記されていた・・・ 下記のような紹介文だが、
本書の内容が、色濃く反映されているので、まずはそれから紹介しておきたい。
「 相手の境遇や困難を思いやる細やかな文体に、仏教思想の根本を込めた日蓮の手紙
仏典や故事、説話を駆使したその遺文からは・・・ 平等と人間尊重を説く「法華経」や、
国家の腐敗を糺し、災害や疫病に立ち向かう立正安国論のエッセンスが立体的に立ち上がる。
人生相談あり、生活指導あり、激励あり、
息子ほどの歳の少年へ、夫に先立たれた女性へ、子を亡くした母親へ、
厳選された25通の原文・現代語訳・解説によって・・・ 人間・日蓮に迫る。 」
本書は573ページに渡るが、その内容は・・・ 門下の一人一人に送られた25通の手紙から、
それぞれが置かれた立場や背景、さらには境遇を的確に捉えたもので、
どちらかと言えば・・・ 長編小説というより、25編の短編ものを詳しく解説して編纂してあり、
読んでる途中で飽きたら・・・ 25編のどこかで区切って、止めることができるのも良い。
時代背景は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」から、おおよそ80年ぐらい後が舞台となっている。
鎌倉以前になる平安の書き物は、総じて文学的要素の高いものが多く残されているが、
鎌倉となり、武士の時代になってくると、文字に起こした手紙などによって、
この国に起こったさまざまな出来事が、勝者の論理で史実が記されていることを踏まえ、
武士ではない一介の僧が残した手紙には、勝者の論理で史実を曲げる必要がなく、
時代背景が、そのまま記されており・・・ そこらあたりも興味深かった。
日蓮の手紙は、直筆と写本を合わせると、340通が残っているらしく、
これは他宗の開祖に、追随を許すことのない圧倒的な多さで、
聖職にある者が残した書き物としては・・・ 注目に値する多さといっても良いと思う。
それは、法然の直筆の手紙が見つかってないことや、道元がほとんど手紙を書いてなかったこと、
さらには親鸞の手紙にいたっては、誰に向けても同じようなことしか書かれてなかったこともあり、
幕末以前に、ここまでの多岐にわたる視点で、数ある手紙を残した、歴史上の人物は珍しく、
日蓮が残した手紙の数々は・・・ この国の仏教史のみならず、歴史的な価値も極めて大きい。
25編の個々の手紙について、その詳細と個人的な感想を記すことは略すが、
日蓮の手紙には・・・ 相手によって、比喩を巧みに使い分けてるといった特徴があり、
相手とともに喜びを分かち合い、相手の立場に立って悲しみをともする、
人間関係に着目する視点が随所に見られ、そこに暖かさを感じ・・・ 強く心に刺さった。
本書を読めば、そういった視点の基本となったのは、法華経・安楽行品に説かれている、
「 賢者は怠慢であることを避け、倦怠感を生じることなく、不快感を捨て去って、
聴衆のために慈悲の力を起こすべきである。 」と記された、
釈尊滅後の、菩薩の実践のあり方にあるとあり、現代の為政者にも実践を求めたいと思ってやまない。
そういった視点(菩薩の実践のあり方)に・・・ フォーカスすれば、
約750年の時空を超えて、いまを生きている人々から見ても、
日蓮の手紙は、高度な哲学書であって、
人間関係や、日々の生活レベルにおいても、事細かく記された参考書としても通用するだろう。
大国の暴挙によって、国際社会の秩序が崩れ始めた今日(こんにち)、
地球をまるまる呑み込んで恐怖に陥れた・・・ 新型コロナウイルスの猛威、
さらには、世界の各地で起こっている、異状なまでの気候問題などは、
下記に記す「立正安国論」で、旅人と主人の問答形式で記された書き出しと、なんら変わっていない。
[参考] 日蓮が時の執権・北条時頼に呈上した「立正安国論」の書き出し
「 旅客来たりて嘆いて曰く、近年より近日に至るまで、
天変・地夭・飢饉・疫癘遍く天下に満ち、広く地上に迸る。
牛馬巷に斃れ、骸骨路に充てり。
死を招くの輩既に大半に超え、之を悲しまざるの族敢へて一人も無し・・・ 」
21世紀の世界を生きる、我々の社会で普通に日々起こっていて、
疑問すら持たなくなってしまった、環境問題や、自然災害、疫病などが、
日蓮の手紙を読めば・・・ 750年前も、そうだったことが分るし、
当時の医療の実態などを推測すれば、それはそれは大変な状況だったことも分ってくる。
数々の災い(不幸な出来事)や、数々の禍(思いもよらぬ不幸)は、
いま現在、世界で起きていることと、ほぼほぼ変わってないことに着目すれば、
750年も昔に・・・ 一介の僧が、
完璧に近い内容で、為政者に向けて問題を提起し、解決を求めたのみならず、
書き物として記し、残していたことに驚きを隠せない。
昨日の夕方、リビングのソファにふんぞり返って、本書を読み終えたとき、
たまたま、ホントにたまたま・・・ 女房と目が合った。
まだなにも喋ってなかったのに・・・ きっとなにか感じたのだろう。
「頼むから、小難しいことは言わないでよ。」と、
痛烈なパンチが飛んでくるんだから、私の心の中は既に見透かされていた。
いやはや・・・ まいった。
機先を制された感は、否めないものの、
面倒くさい男だと、自らも自覚しており、気をつけるしかないだろう。
追伸
こういった内容で、日蓮について取り上げると、
選挙が近いだけに、すぐに特定の宗教や、政党と結びつけたがる人々がでてくる。
なにを言っても、なにを書いても、穿った見方をする人が出てくるのは致し方ないことだが、
この国は、言論や思想信条は自由なので、そのことに反論するつもりはなく、
あくまでも、私の主観で記しただけあり、反論やご意見をいただいても、
思いは人それぞれであって良いと思っており、判断は個々人に任せれば良いとも思っているので、
申し訳ないが、意見交換(議論)に応じるつもりがないことを、予め断っておきたい。
政権が長引けば、澱みができ、流れが滞り、腐敗へと繋がっていくのは必然だが、
その澱みを腐敗する手前で気づき、改善を促すには・・・ まず政治を監視せねばならない。
どこの国とは言わぬが、力ずくで押さえつけるのか、それとも力ずくで変えるのか、
はたまた、民主的な意志(選挙)に託すのか、
いやいや、気がついた都度都度に軌道修正を求めていくのか、
その選択は・・・ この国の人々が学んだ教育と、それによって育まれた良識にあると思う。
そう捉えれば、税制や少子化対策、社会保障、さらには外交や安全保障など、
こんにちの政治には、待ったなしで、さまざまな課題が山積している。
こういったタイミングだからこそ、
色眼鏡をかけることなく、日蓮を学んでみると良い。
仏法は、人の振る舞いだから・・・ きっと、なにかが見つかるだろう。
多くの比喩を使った、読む人に優しく、とっても分かり易い文章(手紙)だが、
内容は高度な哲学書といっても・・・ 過言ではないと思う。
恐縮です。
けっこう読み応えのある本でした。