時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

初期消火に尽力した武勇伝

2025年03月05日 | 時のつれづれ・弥生 

多摩爺の「時のつれづれ(弥生の52)」
初期消火に尽力した武勇伝

週明けの東京は、朝から降っていた雨が、お昼前には霙となり、昼下がりには小雪になっていた。
積雪の兆しはなかったものの・・・ 孫のお迎えを頼まれていたこともあって、
隣家の屋根に積もり始めた雪をリビングから眺めながら、
4WDながら、ノーマルタイヤなので・・・ ちょっとハラハラドキドキさせられていた。

その二日後、ゆっくりと東へ向かっていた寒気をともなう低気圧が、
山林火災の発生から1週間が経ったが・・・ いまだ鎮火に至ってない大船渡(岩手県)に、
ようやく、ホントにようやく、待望の雨を降らせてくれた。
(いまはまだ雪のようだが、次第に大雨になるとの予報だった。)

私にとっては、いささか厄介な雨であり雪であったが、
その雨や雪が、
待ち焦がれていた大船渡に降り始めたとの・・・ 朝一番のニュースは、
おそらく、この冬一番の朗報だと言っても過言ではないだろう。

改めて山林火災で被災され、避難を余儀なくされた方々へ、お見舞い申し上げるとともに、
昼夜を問わず、献身的に鎮火に尽力された方々に感謝するとともに、その労をねぎらいたい。
ホントに、ホントに・・・ ご苦労様でした。

火事は怖い・・・ ホントに怖い。
長い時間をかけて築いてきた財産や、有形無形の思い出を、あっという間に灰にしてしまい、
途方にくれる間もないなか、日々の暮らしが待ち受けているんだから・・・ ホントに辛い。

私は70年生きてきたこれまでに、目の前で燃え盛る火災に何度か遭遇したが、
そのなかでも、忘れ得ぬエピソードが1件あるので、それについて紹介させてもらいたい。

25年ぐらい前の1月5日だった。
後輩3名と千葉県の東部(空港と海の中間辺り)に、休暇を取ってゴルフに行った帰り、
真っ直ぐな直線道路脇の畑で、ゴミを焼いているオバチャンが目に入った。

現場の横を、まさに通り過ぎようとしたとき、
火が付いたゴミらしき物が、風に吹かれて車の前を横切ったのである。
ドライバーの後輩が「わっ、危ない。」と云ってブレーキを踏み、
直後にバックミラーに目を移すと、今度は「わっ、燃えてる!」と叫んでいた。

皆が降りて確認すると、畑の反対側の原っぱの枯れ草に引火して燃えていて、
ゴミを焼いてたオバチャンが、呆然として立ち尽くしていた。

「どうします?」と問う後輩に、「すぐ119番に電話してくれ。」と指示し、
「消防車がくるまで、できる限りの消火をしよう。」と声をかけ、
オバチャンに水道の場所を聞くとともに、バケツでも洗面器でも良いので、直ぐに持ってきてと伝え、
バケツリレーで、民家に近いところに集中して、水をかけて回った。

10分も経たないうちに、消防団の方が駆けつけてくれたので、民家に延焼することはなかったが、
消防団の方から事情を聞かれているとき、とんでもないことが二つもあったのである。
その一つは、ゴミ焼きしてたオバチャンが、私たちの車が通った後、風に吹かれてゴミが飛んだと、
まるで私たちが火をつけたようなことを喋っているのである。

通り過ぎたときに風が吹いて飛び火したのなら、私たちは気づいてない可能性が高く、
そのまま通り過ぎていたので、そのことも含めて説明すると、分かってもらえたので事なきを得たが、
問題は、ひと仕事を終えたばかりで、呼吸が荒かった消防団の方々の吐く息から、
酒の匂いがプンプンしていたことだった。

要らぬことは言うまいと思ったので、聴取を受けている時、そのことには触れなかったが、
驚くほど早く大勢の消防団が駆けつけてくれたことと、
平日の1月5日だったということと・・・ 酒の匂いから考えられることは、
彼らはきっと、近くの公民館かどこかで、新年会をやっていたのかもしれないと察した。

どうみても、彼らが公務員の消防署員ではなく、
地元有志による消防団員だったのは・・・ パッと見でわかったので、
それをどうのこうのと言うつもりはないし、結束を固めるための親睦は必要だと思うし、
機敏な対応もアッパレだったが・・・ なんともはやタイミングが悪すぎた。

火事そのものは、原っぱの枯れ草を半分ぐらい焼いただけで大事に至らず、
オバチャンの不注意も分かってもらえたので、
後輩に目配せして、野暮なことは問わず、胸の内に収めて帰路についたことがあった。

四半世紀も前のことなんで・・・ 笑い話で済まされるが、
いまの世の中だったら、どこかの誰かがネットで呟いたり、動画をアップされたりで、
大変なことになっていたかもって思うと・・・ くわばら、くわばらであった。

車の中で「ひょっとしたら、明日あたりに連絡があって、感謝状とか金一封とかあるかも?」と、
けっこう盛り上がり、なに気にその気になっていたんだが、
だれ一人として、名前も、住所も、会社名を聞かれておらず、全くもって音沙汰なしだから、
せっかく良いことしたのに・・・ ちょっと残念なエピソードになってしまった。

いまとなっては、感謝状も金一封もなく、武勇伝を証明する物は、なに一つ残ってないが、
当時履いていたスニーカーの靴底ゴムが焼け焦げてしまい、
帰りの車の中に漂っていた、なんとも言えない焦げ臭さの記憶を、
形としてはなにもないが、生涯忘れ得ぬ・・・ 数少ない善行の勲章としている。

武勇伝とは言うものの・・・ なんとなく自慢話になってしまい申し訳ないが、
あれ以来、たき火は勿論だが、花火を楽しむ家族を見かけても、
水が入ったバケツが、近くに用意されているか否か、
サラッと目視するだけだが・・・ 確認を怠らないように心掛けている。

追伸
因みに当時のゴルフの腕前は、90台の半ばぐらいで、
ヨイショが微妙に上手い、接待要員といった程度の腕前だったが、
現役を引退したら、ゴルフを楽しもうと思っていた退職寸前に・・・ ギックリ腰をやってしまい、
それがトラウマとなって、強いスイングが怖くなり、間もなくゴルフから引退している。


コメント (6)    この記事についてブログを書く
« 国土乱れん時は、先ず鬼神乱る。 | トップ |   

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (多摩爺)
2025-03-05 15:10:06
forever-greenさん、こんにちは

酒を飲んでたかどうかは別にして、団員の頭数が揃ってたのはけっこう大きかったと思います。
10分前後で、あっという間に元気な団員が揃いましたから、ある意味でラッキーだったのかもしれません。
それにしても、いくら畑の横とはいえ、公道の傍でゴミ焼きする感覚が私には理解できませんでした。
返信する
Unknown (多摩爺)
2025-03-05 15:02:44
なおともさん、こんにちは

振り返ってみれば、40台の半ばでしたから、まだまだ元気でした。
いまなら足手まといで力になってなかったと思います。
でも・・・ 大事に至らなくてホントに良かったと思います。
返信する
Unknown (forever-green)
2025-03-05 14:56:28
かっこいい武勇伝ですね!

消防団だから、本業は別ですね。
呑んで車の運転は厳禁ですが、消火活動は出来るようですね。出動してなんとかチカラになりたかったのかと。
火事を出すと地域社会では村八分になるから、おばちゃん必死だったのですね。
正直に突風と言えば良かったのに、恩人を裏切るとはその後はいい人生を送っていないと思います。
返信する
Unknown (なおとも)
2025-03-05 14:10:10
こんにちは!

素晴らしい武勇伝ですね。おばあさんの恩知らずないちゃもんにも怒らず、飲酒運転も見逃し、何も良いことが無いような結果ですが、天知る地知る我知る人知るで、何らかの見えないご褒美があったかと思われます。今でも消防団活動は各地であるようですね。
この逸話は大いに語られたらと思います。
ゴルフ、腰を傷められたら無理しない方が良いですね。続けたらスコア、もっと伸びられでしょうね。でも、お元気なので何よりです。なおとも
返信する
Unknown (多摩爺)
2025-03-05 08:02:10
江戸の秋さん、おはようございます。

もう四半世紀も前のことですが、
いまだったら、とんでもないことになってたかもしれませんね。
改めてSNSの功と罪を考えさせられます。
返信する
Unknown (1kamakura)
2025-03-05 06:11:38
江戸の秋

おばちゃんの責任逃れには唖然としますね!
よしんば車が通ったからだとしても、車で公道を走っていただけ。
多摩爺様たちにはなんの罪も無い。

しかし消防士が酒臭いって、酷い話しですね。
今より飲酒運転に厳しくない時代でしたけど😞

それより、多摩爺様たちがたまたまいらしたおかげで大火災にならず、本当に良い事をなさいましたね。
おばちゃん一人しかいなかったらどうなっていた事やら。
返信する

コメントを投稿

時のつれづれ・弥生 」カテゴリの最新記事