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歴史探訪情報発信④~平家終焉の地&北村季吟~

2012-07-04 00:01:50 | ボランティア

昨日のブログの最後の方で紹介した「義経元服の地・鏡の宿」から500メートルほど離れた先に「平家終焉の地」があります。昨日までは竜王町の紹介でしたが、ここからは野洲(やす)市になります。ちょうど境界線を挟んで、この二つがあります。

   

参加メンバーが奥へと入っていきます。

上の説明書きに書いてあるように、宗盛父子を処刑した後、義経は、その池で首を洗っています。

「首洗い池」とも「かわず鳴かずの池」とも呼ばれています。

平家終焉の地は、壇ノ浦と思われていますが、本当の意味での平家の終わりは、義経が首を刎ねたとされる平宗盛、清宗父子の胴塚があるここではないでしょうか。

 

この胴塚は、今は風雨にさらされ小さくなっていますが、かつてはもっと大きなものであったと言われています。

つづいて、野洲市北(地元民は北村と呼んでいる)にある北村季吟句碑を紹介いたします。

 

北村季吟…江戸時代前期の歌人・俳人・国文学者です。この北村という集落の出身です。

『土佐日記』『伊勢物語拾穂抄』『源氏物語湖月抄』などの注釈書をあらわしました。

ちなみに、あの松尾芭蕉を指導した先生になります。意外と知られていませんので、ぜひ覚えておいてほしいと思います。

「花も見つ郭公(ほととぎす)をもまち出でつこの世後の世おもふ事なき」の辞世の一首が有名です。

   

この先には妓王屋敷跡などがあります。

   

バスを降りて、みんなで周辺を散策しました。いたる所に色あざやかな「おいで野洲」の幟がありました。

みなさんも、ぜひ野洲においでやす(来てください)!

明日は、祇王寺を紹介したしますのでお楽しみに…