緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

自分は良いけど……って。

2023-08-04 | 人生観
  ひまわりが太陽に向かって咲くという話で、先日見に行ったら見事にみんなお辞儀していたという話をしていました。
その姿が人間のようにも感じたという事でしたが、
自分を解放していき自信をもって光に向かって生きているかという話。
理由なんてない、言い訳もない、自分の言葉と行動に自信を持っているかと。

真っ直ぐに正直に進んでいるといつしか光へ融合していく。
ひまわりって、いつも言う「一つの中にすべて、全ての中に一つ」で太陽に向かって生きてるんだなと、ふと気づいた (^.^)
そしてたくさんの種を生みまた花が咲くって感動なんですね。

ふと気づくんですが、いつでも知っている事に気づくって感じなんです。
何でもどんな事でも知っているんです。
それは魂が知っているから。
これ考えてみなさい、上書きしない、確認しときや~って (^.^)

普段のサイクルの中で一つの事と一つの事が繋がっていく。
一つの事と数ある事が繋がる事もある。
哲学ってそういう事なんだなと。
一つの哲学が正しいわけでは無くて、自分の哲学を見つけていく。
その繋がりが太く大きくなるとそれも人生の自信となる。
覚悟にも繋がる。

先日友達と話している中で、ご主人の死後のお墓について話していて、
その前に他の人と自分の父親のお墓についても話していて、

自分の親との間でも我が子との親子関係の中でも夫婦でも
生命観、人生観、死生観は全く違っている、
もちろん時代の変化の中で先祖代々受け継がれていく事や受け継ぐことが当然で話し合うことも無い事や、親子でも全く話すことも無いままその価値観をどう共有していくのだろうという話。

本来は風習や慣習として地域や家族の中での決まりや規則ってなるんだろうけど、そもそもその慣習や風習だってどうやって決まったのかも分からないまま受け継がれているのは何だか変な話。

そこに哲学があるわけでもないけりゃ信念もない。
そもそも人生観や死生観の価値観すら受け継がれている訳でもないのに
そこに在るのは体裁と成仏への不安と怖れ、先祖への義理、規則への義務と執着

「自分は良いけど……」やっぱり旦那さん(お父さん、お母さん)はきっとこう思ってるやろうとか、こうした方が喜ぶだろうとか。
当人の気持ちも価値観も分からずままに、ある程度のお金をかけて、または残してくれたお金やし、一生懸命働いてくれたお金やしと、どうにか落としどころを見つける。
「自分は良いけど……」ってどう良いんだろう。
そのまま子供たちに引き継がれていくのかな。

お盆のころになるとやっぱりこんな事を考えるのは、情報番組でも取り上げているからやろうけど、

みんなで一旦考えよう、考えを共有しようという事なんだろうね。
ご先祖さまや仏様や神様の提議でもあるのかなといつも思う。
ご先祖様は本来どんな事を考えていたんだろう、
ご先祖様が天国へ行ってからはこの世で行われている事をどう見ているんだろうとか。
今目の前に生まれてきてくれた子供や孫に生まれ変わり違う事を教えてくれているかも知れないとか。
先に亡くなっている先祖たちの時代なんかはもっとお粗末だったでしょう。
肉体をそのまま土の中に埋めてとか。
でもその時の気持ちの方が供養の心がこもっていたかも知れない。

ご先祖様は体験済みで……、死ぬ事の一大イベントも大切な事やけど、その前後の方が大切だと気づいたかも知れない。
人間にとったら人生の中でのどんな事も一大イベントの体験で、一つの事だけで価値観は決められないし、
それを誰かと簡単に共有する事も出来ない。
普段から自分の人生についてそれに伴うどんなイベントについても「感じる」心を置き去りにしてはいけないと思う。
感じる心の総まとめが価値観となっていき哲学となっていく。

人生がおざなりになっていないかっていう事も普段から意識していたい。
「自分は良いけど……」っていう言葉は、自分の人生がおざなりになっているんじゃないか

そんな事をふと感じるお盆の頃。



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