神様は純粋に感じるもので
神様という言葉は、自分の気持ちの最大限に感じる事に現わされる言葉だったりするという話をしていました
神様と言うのは思いの先の見えないモノ
回りの目に見えないものに対する、この上ない気持ちを現す、そんな時にふと出てきたりする言葉
そして感じているモノ
神様とか愛とか宇宙って、純粋に感じるモノ
そう言葉に出す時、距離感はどうでしょう
どこか神社に行かないと感じれないと思っているか
救われたと感じる時に現れてくれるか感じると思っているのか
私は、若い時にそんな存在を考えた事もありませんでした
たまたま結婚してからそんな方向に興味をもち徐々に感じるようになったのですが
やっぱり神社にいてる架空のモノで、頼る事も願う事も祈る事もありませんでした
遠い存在だったか、現実主義だったんでしょう
なので、楽波動高次元研究会というところで最初に勉強した時に
「神様と友達になりましょう」と言われた時に
あ~そうなんだ!そんなもんなんだとすんなり受け止めました
神社に出向くより、ここに来てもらいましょう
そんな距離感ってあるんだと、疑う事なくホントに「へ~!」って感じでした
紙に大きな丸を書いて、そこに神様に降臨してもらいましょうって
こう言いながら笑いそうですが、人に言わせれば何の宗教?という人もいるでしょうね
私は冷静に純粋に疑う事なく降臨というのを実践してました
帰っていただく時にも敬意をもて「お帰り下さい」と
まあそれが出来ているか出来ていないかはフーチという探査機で測るので
それも信じていない人には何をしていることかって感じですが
私はそれもすんなり信じてとにかく色んな実践と研究をしていました
その時にはまだどこか天高いところにいて「近づく」というイメージでした
神様の滞在時間も、浄化の効き目の時間も最初は数分ですって感じ
段々長くなり
神様を身近に意識するようになって、神様と友達になるんですよと
親しみを感じるという感じですね
そしてそれをして行くうちに感覚も変わり出し
お傍に感じる、温かみを感じる、気配を感じる…
こんな風に感じだし
もっと探究心も湧いてきました
そのうちに自分の本質や魂を感じ、人の本質も感じだして、身体が勝手に受信しだして
自分の魂と自分の身体は「一心同体」という感じを確立していき
人の魂とも共鳴し肉体が反応し、そこにも一心同体を感じるようになり
宇宙の意識とか意識体とか、聖人や神様と交信するようになって
「一体化」ということを意識するようになりました
遠い存在だった神様が身近に感じ、周りに愛を感じ
そして今では魂と一体化を感じ
その魂はそもそも一つ
この世に分身となった魂の全てと一つだという事を感じるようにもなりました
オリンピック選手もそうなんだろうなとふと思ったのは、自分の努力であってもそれ以上の能力を発揮できるのは、純粋に神様と一体化を感じているんだろうなと
今回体操の北園丈琉選手もケガからの復帰の選手権でもそんな感じを語っていた、自分の力以上のものを感じたと。
そして自分一人の目的ではない、周りの人の思いも背負っている感覚はみんなの思いや魂は繋がっていると感じるこそなのかなと思った
その感覚や能力には大小もあるし、お役目もあるでしょうから各々の意識で変わるし、それぞれ魂の役割もあるでしょうから比べるものでもありません
能力の素晴らしい人の中でも影響力のある人は人格も問われます
そんな素晴らしい人達の大きな言葉や気づきを得たところから出た言葉を聞くと、まだまだちっぽけに感じる私
人格を育てるのは心を育てる事、この世の目的、もっと頑張ろうって思います
全て生まれてきて神様に見守られて、導かれて、成長があるのみです
それが分かっただけでもこの上もない幸せ感です
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