昨日までの話でオリンピックにかけて、神様との距離感の話をしていました
私もずっと前は「宗教」や「神様」といった言葉を口にするのって、どうだろうって思いでいました
それが正しいか正しくないか、訳わからなかったし、変な宗教が世に広がっている時でもあったし、人から強要されるものって印象だったから
だからそんな言葉を使えないと感じながらも信じる事が起きたりして、信じたと思ったら世に事件が起きたりしてまたその言葉を遠く感じたりして
言葉だけで距離感を感じていました
段々と、私が何故宗教というものに嫌悪感を感じたか、それは集団や組織が好きでは無かったんだという事に気づきました
そして集団や組織が何故嫌だったかというと、自分の個性が壊されたり、個性が尊重されなかったり、ある象徴だけを崇めなければならない事に疑念があったからです
そんな時の私はまだ自己肯定感も低く、自分を尊重する事も出来なかったので、人の言う事を嫌でもきいたり、自分を抑えてまでも人の為に動いたりしていた
それも自分為だと思っていたけど、自分を観ていなかったんでしょう
きっと自分を尊重するというミッションがあった
人には何でも段階というものがあるんだなとそんな時に気づきました
言葉にするとか、人に知られるのが恥ずかしいとか、そんな事を思っている間は心底感じれていない
一体化になった時に感じるもの
やっぱり人間が生まれて来た目的は、神様に近づいていく事なのかなって思います
まあ先に仏になる為に葬儀やお墓や仏壇といった形式ばった事を信じさせられ、
お寺のお坊さんの説法聴いて、お坊さんの話を信じ、委ね、依存し
その仏の世界から何世代も抜けきれなくなって言ったんですよね
依存からの解放がその先の神様への道です
昔、古代、そんな時の人間も先に仏になりましたが、その後後世の人々に崇め讃えられて神格化して行きました
学問の神様の菅原道真とかみたいに (^.^)
その人生を観て、自分達も仏から神格化するという道を歩むんだよと教えてもらっているんだと思います
生きている間に仏壇の前やお墓の前で、仏様に近づき
それはカタチや儀式だけではなく心も意識もです
その世界を知り
神様との距離感を縮めて行くミッション
ミッションクリアして後世へと繋いで引き継いで行く事が使命だと思います
来月にはお盆もあります
その時は自身が神様と繋がって、その間におられるご先祖様達にももっと上昇してもらうというミッション、それこそが供養だと思っています
神様との距離感の意味も先の世界を知らないとどう縮めたら良いか分かりませんもんね
お盆の供養まで考えてみてはどうでしょう (^.^)
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