人生のゴールは何かと言う事を問うていました、3日目です (^.^)
人それぞれでしょうという話ですが
受験で合格がゴールだと頑張る人もいるし、
合格してもそこで何か喪失感を味わってまたそこで人生に迷う人もいます
思うところを目標立てて就職したとしてもそこがゴールでもなくなります
昔は「この会社に骨を埋めるつもりで」なんて言っていましたが (^_^;)
マラソンのゴールはテープを切る瞬間か、テープを切った後か、なんて事も考えました
何度かこのブログにも書きましたが、五木寛之著書の「下山の思想」、登山は登る景色と下る景色は違う、登頂がゴールではないという話でした、ちょうど東北の大震災後の日本の事を書いていました
ゴールだと思った瞬間に次が始まるんですね
結婚がゴールだと思って恋人探しに奮闘して、何年も付き合って、やっとの思いで結婚式を挙げて、そこがゴールだと思っていたら??…となったり
結婚がゴールだと思っていたら閃きで直ぐ達成してしまうとか
結婚は始まりだと…頑張り、続ければ続けるほど気づいてゴールが見えなくなったり (^_^;)
そう思うと、結婚したら夫婦で二人三脚で同じゴールへ向かわないといけないのか?
そうでもありませんよね (^.^)
やっぱり自分の人生のゴールは自分のものです
パートナーはパートナーであり、自分の人生のゴールに向かうために必要な人なだけ
自分の目指す世界へ向かうのに一番近道をさせてくれる人
それぞれのゴールは同じものや同じところでも道は違います
途中でひとりになったり、別れたとしても、道半ばであっても、道は違うのでそれも有りでしょう
結婚してからゴールが見えてくると思います
見えてくると言うか目指すところが見つかるんでしょうね
同じように暮らしていてもゴールの見え方も違いますよね
お互いに必要な人
体験を共有する人
体験を共有すると言っても、いつも同じ事をして共有するという事でもないです
時をシェアする体験です(たとえ何も無くても、関わりが少なくても、何もない事を体験する、そこから何を学ぶのかという)
一緒には、同時には死にませんもんね
二人三脚だとか、同じだとか、一緒にとか、如いては来世も一緒にとか、思い過ぎるから歪んでくるのかも知れませんね
まあ共に体験を共有して、助け合って、労わり合って、思いやって、楽しんで苦労して喜んで感謝し尊敬尊重し合わないと、太ったり、シワや白髪、入れ歯になっていく姿なんて見ながら一緒に居れませんけどね (^_^;)
ふと思うと…
結婚式という形式、誓い、イベント、指輪…などがあるから結婚した地点から歪んでくるのかも知れませんね
そのカタチがしきたりや呪縛の始まりで、その中でしか生きられなくなったり、
本来は呪縛から解き放たれる事がゴールなのか
元々はそれぞれの人生なんでしょうし
それぞれのゴールを共に目指すという事なのかな (^.^)
ゴールというのはどこであっても、何であってもプロセスを歩む事なんですね(^.^)
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