暮れの31日から元旦の年越しをお節作りで過ごした今回という話をしてて、
来年もよろしくですと挨拶してたと思ったらおめでとうで今年もよろしくという挨拶に変わった。
なんか挨拶で一日の時間が一瞬で変わりますねという話をしてて、
目の前の景色も意識も変わるねという事と通じるねという気持ちで、
全ては一瞬で好転もするし暗転もする、意識次第だなという意味合いでもあって、
成るようになるさ、目の前の景色は自身の意識で変わる……
時の流れは何に影響されることも無く流れて行くので自分の意識はしっかり持っておきたいという自分に課せる意味でもあって、
心まで流されないように意識しておきたいねと、そんな思いの元旦の始まりだった
そして娘が東京からやって来て乾杯して、
いつも絶対に断る息子が夜勤明けの次女を車で迎えに行ってくれて、
そんな途中に、まだ息子がいたのか帰って来たのか何かきしむ音がするような。
そう思った途端ぐるぐる回るように揺れましたね!!
ビックリでしたね ('_')
まだ事の大きさに気づかない私たちは「お正月から大変な事になったね~お節料理作ってて、避難所に持って行けたかなぁ~」なんてまだまだボケた話をしていた!!
大好きなお正月番組が観れなくて嫌やなぁ~と言ってたぐらいでした!!
そう思ってたら一夜明けると凄い大きな地震だったんですよね (>_<)
ホント、事は一瞬で変わるという事が起きてしまったと……。
お祝いの年神様を迎えたところだったのに!!
これはどういう事よ!!
地震も洪水も自然災害は受け入れているつもりで
自然神にはかなわないと怖れと敬意が入り混じる感情は常にあるけれど、
こんな時に……、
人間の意識の天と地を一瞬で味合わそうとするのはどんな意識なのか……!
もちろん頂点があると地の底もあるというけど、
常にその両方があるという事なのか、
一喜一憂する事ない日常の平常心を常に育てろという事なのか……。
なんかそんな事を考えて始まった気が……。
それでも尚自身の意識をどう育てるか。
どう表現していくか試されているのか。
覚悟を試されているのか。
そんな気持ちのまま私の実家へ子供たちと挨拶へ行き、
その後長女を新大阪へ送り、その帰り道にいつも行く大阪天満宮へ向かいました!!
いつもより駐車場確保が難しいなと思いながらも運よく止められてお参りに向かいましたが、
凄い人だったんです!!
何年も同じように三が日に来ていますが、時間も大体同じぐらいに。
今までにない行列だったんです!!
これは駄目だと諦めました!!
よう並びません!
息子もいるので余計です。
次女といつも二人の時もこんなの無いねと。
すんなり帰りました!!
地域は違って景色も違う。
冷静になると人間の意識って何だろうねと自分も含めてだろうけど。
そういえばコロナ禍にも思った事やな~と。
天地人というエネルギーは常に流れているけど、
地域、人間、あらゆる繋がりにその天と地と人と神のエネルギーがそれぞれに流れて行くのかなと思った。
どの意識に繋がりを持って行くかで景色が変わって行くのかも知れないな。
そこでどんな自由な意識の表現がしたいかという事かも (^.^)
無意識に分かっている人はどんどん自由な表現していくのかな!!
無意識に任せられるか、任せるしかないという事か。
被災された地域へ光のエネルギーを送りたいと思います。
そして……お見舞い申し上げます。
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