緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

この年越しに思う事

2024-01-04 | スピ的視点
  元旦に凄い災害が起きて、お祝いムードも一気に暗転し、ニュースを見るたびに被害の大きさに心苦しめられてはいます、
被害に遭われた方々、命を失われた方、未だ安否の分からない人もいる事態。
そんな中でも90代の方が2日目に救助され無事だったという事も。
言葉には出来ない複雑な思いでいっぱいです。
祈りのエネルギー、光のエネルギーを送るしかありません。

心を持って行かれてもいけないし、心を置き去りにしてもいけないし、自身の心と共にいつでも生きないといけない。
どんなに苦しくても辛くても心と共に生きるという事か。
辛い遠い地へ心や思いを寄せる事はあっても持って行かれてはいけない。
自分の心をしっかり持っていないと。

人間同士の戦いをしている場合ではない。
戦国時代、戦争……を経ても前を向いて生きる事は人類の課題ですね。
昔に戦争中の中で生き延び帰還した人が自分を責め苦しい思いをした事もありますが、それも教訓で、生きている者は生きる責任がある。
愚かな罪の中でも生きて行かないといけないという苦しみ。
命の尊さ、命そのもの。
 何を見て何に向き合って何に向かって生きるのか。
今までのいろんな時代を経てどんな事を学んだんでしょう。
まだ何か気付きや教訓を得ることがあるのか……。

元旦から刃物を振り回すものがいるのはどうしてなのか、
その人間だけが悪いのか罪なのか、
もちろん罪は悪い事だけど、
家族、世の中、社会には責任が無いのか、教訓は生かされないのか。

世界が繋がっていて、映像や情報やSNSで世界に何が起こっているかをリアルタイムで知ることが出来る今の世の中。
未だに自然災害の怖さを知りながらも世界の中には人間の愚かな戦いを止めない国もあるのは何でやろうと憤る気持ちも余計に湧いてくる。

そのSNSでデマ情報も流れてしまう世の中でもある。
そうなると余計に自分の心も律する必要もあるし、振り回されない事も必要。
情報の出どころも、情報の真意も、その情報による自分の心もしっかり冷静に受け止められるように常々自身の俯瞰が必要なのか。

私も年末にちょっとした出来事を受け、自分自身の事で自分の正解が分からない事があって、頭がフリーズしてしまって出来事だけが頭を巡り何も手につかない状況になって、まあそれでお節料理作りが年越しになってしまって、
年末キャンプからの筋肉痛と飲み過ぎと寝不足になって、お正月から肩凝りの風邪で余計にズボラしてるわけでして (>_<)

何年ぶりの風邪やろう……。
なんか浄化しているのは分かっている。背中の凝りなんで過去との決別。
その正解が分からないのも過去からの繋がり。
自由な表現で良いよとなると正解は無いんですよ。
自分の表現のままにと言われているようで、昭和の規律の真面目な自分には自由が重く正解を出せない事もあるんだなと、ちょっとフリーズ。

どれだけ俯瞰しても答えは全部正解。
これって昭和人間には結構な課題。
どうしても正解を出そうとしてしまって心を置いてきぼりにするという。
でもその正解は複数で、昭和なら良いとか悪いがすんなり分かれるのは分かっているけど、そうなると昭和のその意識に縛られているようでどうなのかと迷ってしまう。
具体的じゃないと人には余計理解不能ですが。
意識の奥ってこんな事なんですよ。
それが人間を潜在脳で苦しめている事もあるんですよね。
それが過去世です。
その人類の潜在意識の中での精算と浄化が自然災害の中で起こしている事もあるんです。

今回の災害時でもそうかなと思うんです、
昨日に話していた初詣ですが、
方や祝いムードから一転、方やお祝いムードの人で犇めき合ってる。
方やニュースで災害報道、方やお笑いムード。
でも生きているとなるとどちらも正解。
それを見ている人が勝手に正解不正解を決めるだけ。
自分はどうか……。
それが人生なのかな。

どんな表現パフォーマンスも正解で良い。
それを自分自身に対しても他者に対しても認めてあげれる時代や世の中になれば良いし、認めてあげれる自分に成長すればいいのかな (^.^)



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