痛みの話を続けているのですが、
先ずは痛みの本質に触れていくとその痛みと共に経験してた心もある事に気づく。
そして、その心がどんなだったか経験を通して知る。
痛みと共にじゃないと気づいてくれなかったんだと知る。
痛みと共に相殺でもあり、バランスを取る事でもあるという話でした。
痛みって、同じ腰痛とか手足とか場所は同じでも感覚の強さ大きさは違いますよね。
自分のはこうだと分かってほしい。
自分の方が痛いに決まっているとか、
自分の方が辛いのよと、
ある意味不幸自慢のように。
それを本当は自分に分かってほしいのに。
本当は人には分かるはずがないと知ってるのに。これもエゴです。
人に優しさを求めてしまう。
人に聞いてもらいたいと求める。
自分は自分の心の声ともっと奥の声を聴いてあげているのか。
私の場合だったら共通して「我慢」でした。
人に言ってもどうせ分からない、分かってもらえない。
人っていうのは親も含めだけど!!
人に言うと迷惑がかかる。
人に言うと可哀そうだと哀れだと思われて恥ずかしい。
自分が我慢さえすれば……。
人を信じれない……イコール自分を信じれなかったのです。
我慢も度が過ぎれば大きなエゴです。
お腹2回切って鋭い痛みにならないと気が付かなかった。
一度目の虫垂炎では術後も痛かったけどそれを医師に言っても信じてくれなかった、その上もう一度切らんとアカンでと言われ諦めた。
その後5年我慢した。
その影響か腸閉塞になって、体の中の繊維で腸を縛り付けた!
その痛みはペンチでお腹を強くぎゅーってつねった状態。
結局は紐で縛ってた状況だった。
3日間の検査している間もずっと痛かったのでどうでも良くなった。
内科医外科医が入れ替わり検査した。
初め一人の内科の先生は空き病室に運んでエコーかけるふりしてセクハラしてきたスケベな医師で最低だった!
どうにでもしてくれと、後、手術して腸閉塞でも腸同士がくっ付くとか詰まるとかでは無かったので、その紐で縛られている箇所をプツリと切って繋げるだけだったので手術自体は30分程で済んでよかったと先生が言われた。
あまり腸が短くなるような事はしたくなかったけど、腸同士がくっ付いた場合は剥がすのに時間もかかるし大量出血のリスクも多いので、良かったですと。
横向きに切ってあげれなくてごめんねと優しい言葉をかけてくれた。
それでも手術が終わると何だったのと思うぐらい痛みが消えた。
神様からもらった肉体、こんなに痛めつけてごめんなさいと心底思った!
自分の肉体であって自分の肉体じゃないと気が付いた。
人のため、仕事のため、酷使して働いてた。
その仕事も美容師の時じゃなかったので、本当にしたい仕事だったかなんてない、それも人に頼まれ、私じゃないと駄目だと2つの仕事を掛け持ちした。
その上、家庭の一切、家事、夫婦の事、子供の事、学校、地域、何もかも自分が全てやってしまっていた。
嫌では無かっただけに我慢という認識すらなかった。
器用に何でもやってのけ、卒なく完璧にやるのもどってことなかった。
それが普通だと思っていたから。
文句も言った事ないし、愚痴もこぼさない、
なんなら人の分まで自分がやらないとって無意識に思い込んでた。
これも自己承認欲求の歪みへとなりうる。
本当はそれを人に認めてもらいたかったんだなと思った。
自分が!自分じゃなきゃ!というのもエゴだと知った。
その後に自己肯定感が低いという言葉を知った。
そうだったんだと認識し出してから自分自身の事の解決策を得た。
そんなをただ人に分かってほしいのです。
ホントは自分に一番分かってほしい。
その時の体験も、その時の心も。
過去の体験でもあるけどいつまでも過去と共に過去に依存して生きていると未来に進めない、だから今を見せている。
そうやって過去を手放そうとして相殺している。
だから準備が出来ている自分を信じて前へ進めないといけない。
今の痛みだけに焦点合わせているとその地点から離れられない。
ループから逃れないと……。
自分自身の奥に準備が出来たから今起こっているのです。
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