真理というのは本来単純で簡単なもの。
宇宙にも神様の世界にも愛や光の次元にも言葉は存在しないからです。
言葉があるから有難いけど、言葉があるからややこしくなる。
人間関係がそれです。
真理の解釈もだけど、伝導も伝達も自分がクリアでピュアでなければ途中で屈折し歪む。
受け取り方も違えば捉え方も違うとそうなる。
私なんかもひがんだりひねくれたりしていたから分かる。
何でもそうやって受け入れていたように思う。
そもそも自分を肯定しないでひねくれて自分を受け入れてたからでしょう。
自分を尊重するかしないかでそのひねくれも変わって行く。
今なら率直に伝えよう、率直に受け取ろうと考えるけど、
じゃあそれで伝達がうまく行くか、
率直に伝えてもそれが相手に率直に受け取ってもらえなかったら、
そこは率直に言葉が交わることは無い。
言葉が率直に交わる事が無くて、思いが交わるだろうか。
言葉を交わしながらいつか思いも交わるだろうとなるのか。
言葉によって誤解が誤解を生んでしまう。
武器の戦争が無くっても言葉の戦争が起きて、
心の戦争まで起きてしまう。
人を許そう、罪を許そうとなっても自分自身が自身を許さない限り終わることも無い世界。
もう嫌だ!!
神様も言葉のない世界で宇宙で天上でどんなに苦しんでいるか、
神様の世界では苦しみというものもない。
神様は全て許す。
それなのになぜ人類に伝わっていないのでしょうか。
神様の世界に言葉が有ったら神様の言葉って伝わるのか、
神様は何て言って人類を導いてくれているんでしょうか。
昨日に話してた、真理は簡単ですという事。
その真理に導かれながら探しながら聖者も自我に目覚める事によって覚醒し悟っている。
キリストや釈迦、空海も親鸞もその体験を残している。
その体験を曼荼羅で残してくれているんだけど、
そんな曼荼羅でも言葉であるようで言葉でない。
人類は結局のところ体験で悟って行くしかないんだ!!
この下界で言葉のやり取りで人間関係を絡めていると思うとちょっとうんざりしている私。
言った言わない、言われた言ってないとかもそうです。
もう既に絡んでもつれている結び目がどれだけできているか、
その点がどれだけ食い違っているか
言葉があっても思いがあっても食い違う結び目。
ここに隠された自分の心理を知る事からしか解けない絡んだ糸なんですね (^^;)
私でも言葉を投げかけられた時には頭がフリーズする時もあって、
それってどういう事かなって思っているうちに流れてしまい、心にぽっかりその言葉が浮いて残っている場合がある。
それが傷つく言葉でもです。
反対にこっちが投げかけている時もあるでしょう。
時にそれがカーブで投げている時だってあるかもしれない。
自分でそれがカーブだと分かっていたらその理由も見える。
相手の姿勢が分かるからでもあるし、
率直に届けたいと思う場合もある。
だからこそ自分の言葉にも責任持とうと思うのでしょう。
カーブが勿論ブーメランのように返ってくるのが分かるし。
自分の人生では、素直に正直に率直に行きたいもんです。
自分にも人にも。
それでもあまりにも伝わらない時には
その時の自分の心に正直になろうと思う !(^^)!
先ずは自分自身です。
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