~過去のものでつなぎます~
明治8年この山では坑夫111人、手子203人+149人、水替夫30人、製鉱夫36人、炭焼250人、計775人が働いていました。この他に女、子供がプラスされるので大変な人数が山に住んでいたことになります。
明治20年三井組がこの鉱山を全山借区し操業を始めました。大正9年国勢調査が日本で初めて行われましたが、その統計では「栗ノ木平の1…世帯50、人口225人・栗ノ木平の2…世帯63、人口315人」計:世帯113人口540人との記録があります。
社宅跡地にはいろいろな遺失物が残っていました。特に空き瓶が目立ちましたが、その中でもビール瓶は「右から左へキリンビールの浮き文字があり」また、そのビンに縦のつなぎ目があります。これはガラス成型の手法であり、古いものと推定できます。「ハイカラな器に山菜を盛って、冷たいビールを明治や大正の人達が飲んでいた」、そんな山奥での生活の一端が思い起こされます。
この漆山鉱山は、正に三井神岡鉱山の立ち上がりの土台を作り、日本の経済も支えてきています。そんな大きな鉱山の痕跡や記憶の全ては100年の時と共に森に消えようとしています。
2019.05.16 6分34秒