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雑感録

福岡なるほどフシギ発見~おまけ17~ 古墳銀座でまたまた寄り道

 
石人山古墳(国指定史跡 八女古墳群)
5世紀前期(古墳時代中期)
弘化谷(こうかだに)古墳(国指定史跡 八女古墳群)
6世紀中期(古墳時代後期)

仕事で大川から広川ICに向かう道すがら。
「このへんは古墳銀座だよな~」とか思いつつ車を走らせていたら、この辺に気になる古墳があったことを思い出して、いても立ってもいられず、時間はないけどちょっとぐらいよかろう、と寄り道してきた。

八女古墳群は、筑紫君磐井の墓といわれる岩戸山古墳を筆頭に、その多くが磐井の一族の墓ではないかといわれていて、その中でも石人山古墳は最も古い前方後円墳で、磐井の何代か前、初代の筑紫君(国造)と考えられるのだとか。
石人や巨石古墳などの石がらみも八女古墳群の特徴で、ここでは名前の通り、大きな武装石人が古墳の主を守るように石室の前の方に立っていて、今でもその勇姿を見ることがでます。

古墳の周辺は広川町古墳公園として整備されていて、資料館もあり。正面の林が古墳のあるところ。入口に立ってる石人はレプリカです。

全長107m、前方部(2段)幅63m、後円部(3段)高さ12m。

前方部の中央に、上に昇る階段がある。
前方部の2段目に上がると、後円部に向かって真っすぐ延びる砂利道の先に何やら建物が…。
武装石人はこの建物「石人社」の中にいるらしい。守衛小屋みたいなものか?
これが武装石人。なんかのっぺりしてしまっているが、これは「せきじんさん信仰」で痛いところをさすったり叩いたりすると治ると伝えられて長い間さすられ叩かれまくってきたのでこんなになっちゃったらしい。江戸時代のスケッチには、ちゃんと鎧を着けた武人らしい姿が描かれている。身長は約1.8m。

守衛さんに許可をもらって(笑)、奥の石室へ。後円部の丘を削って道を造ったものと思われる。

石室の中にある家型石棺。手前に口を開いていて、屋根には模様が刻まれている。盗掘されていて、副葬品はなし。石室の壁は石板を積み上げて造られている。


いや~、なかなか見応えのある古墳でしたが、このすぐ近くにももう一つ、弘化谷古墳という重要な古墳があります。
こちらは直径39m、高さ7mの円墳で、6世紀中頃に造られたものだとか。
墓の主は磐井の子と同世代の有力者だと考えられるようです。
内部の石室に文様が描かれた、いわゆる装飾古墳というやつで、4月と11月の第2日曜(だったと思う)に石室が公開されるそうです。

UFOのごとき弘化谷古墳(もちろん復元)。これぞ古代人=宇宙人説の有力な証拠!?

古墳の頂上より。真ん中奥に見える林が石人山古墳だと思われる。

ここが石室の入口。壁画にはタコ型?「Ω」を横向きにした「双脚輪状文」という全国でも4例しかない珍しい文様もあるらしいが、風化でほとんど識別不能なくらいに不鮮明になってるそう。


なお、石人山古墳の下にある広川町古墳公園資料館(『こふんピアひろかわ』っていうんだって。ププッ)には、弘化谷古墳の壁画付き石室のレプリカ(もちろん壁画も鮮明!)や石人山、弘化谷をはじめとする広川町の遺跡の出土品を展示しています(関係ないけど、展示ではアステカの暦石と銅鏡の比較が面白かった)。


石人山古墳
八女郡広川町一條字人形原1435
弘化谷古墳
八女郡広川町広川字弘化谷
大きな地図でみる

広川町古墳公園資料館
八女郡広川町一条1436-2
[開]9:00~17:00(入館~16:30)
[休]月曜(祝日の場合翌日)、12月28~1月4日
[料]無料



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